集団をテーマに

今日は終戦の日。

戦争の番組を見るたびに、「集団」の恐ろしさを感じます。
集団をテーマにした話をいくつか。

 

・集団の中の自分を正義と思う

正義で連帯している集団内の自分は、1人の時より何倍も力がある、と錯覚しやすい。
しかも集団内で支持されていたり仲間が何人もいるときの全能感。
その自信で、集団外の人にこっちの言い分を押し付けることができる、とやっぱり錯覚する。
そのくせ実は「個」としてあまり考えてない。流されることも多い。
集団の中にいる安心感って独特で、本能的なアンテナを狂わせる危険性ってのも結構ある。

 

・修学旅行の記憶

集団内の自分は実はとても弱い。なのに力を振るう権利があると思いがち。
思い当たることはたくさんたくさんあります。
前回の記事じゃないけど、修学旅行で同じ部屋の女子ほとんどが恋愛ネタで盛り上がろうとするとき。
もしくは男子から「女子の部屋行っていい?」と聞かれたとき。
私は、その事態を忌避する少数派の嫌悪感を無視していた側でした。
でも振り返ると、恋バナ拒否女子の「私は参加しないけど盛り上がるのは平気だよ」という大人の対応でいつも成立してた記憶。
「多数側」に自分がいるときのいろんな無自覚さ・鈍感さにはいまさら反省しきりです。
いくら強引でも恋バナなんだからいいじゃん!というのがこれまでの価値観。
これからは・令和以降は、もうそういうのはダメと思う。
なんてことないような無視や強行はどんどん・あちこち侵食していくんですよ。
「嫌だ」「無理」という人をちゃんと尊重しましょうと、そういう小さな流れが大きな変化につながると思う。

 

・メンタリストのジャッジ感

集団といえばつきまとうのは悪口や差別的な対応、排除。
私も思い当たることがあるけれど、自分は悪口を言える立場にあると思い込む。そして悪口じゃないんだと。正当なジャッジだよね、という周りとの暗黙の共有感。
このときいろんな「まともさ」がフリーズしてることになかなか気づかない。
私のごく親しい知り合いでも、時々ぎょっとするような差別発言をすることがある。
それは自分のいる集団が脅かされるわけはないという安心感から出るものという気もする。
その人の性格や考えというより、「集団内の誰かの声」という印象。
誰かの声=自分の意思と、するっと置き換えてしまう人って、そう珍しくない。
メンタリストは250万以上のフォロワーだって?
それだけ支持されてれば何かが麻痺するでしょうね。でもインフルエンサーの声=自分(フォロワー)の意思にしてしまいかねない責任はとても重い。

「自分で深く考えたくない」という人は結構多いです。
そういう人は毒舌が特徴の論破系ご意見番みたいなタレントを支持してたり録画とりまくって見まくってたりする。そしてよく似てくるもんですね。
人を下に見ていいと思ってる。嘲笑していいと思ってる。嫌悪感を表していいと思ってる。
何かあっても集団内部の人が「本当はいい人なんだよ」とかばってくれる。
似たような流れをここ3年で何度もなんども目にしてる。
脳内を暴けば、実は「何も考えてない」という人が8割かもしれないのに、目と耳から得たうっすい差別的情報に脳内は覆われてたりするのだろう。
それは悪性ウイルスのように排除発言までさらっと生み出す。

脳みそから悪意がただ漏れている。深い憎悪も主義も本当はないくせに。
そういう人の共通点は世界があまりにも狭すぎること。
もう少し広くて勉強熱心だったら、基本的人権に沿ったメディアや活字にいくらでも触れられるでしょう。
そもそも「戦争」について関心をほとんど寄せたことない人は、差別なんてしてないとしても積極的に戦時中の情報に触れた方がいいと思う。この国は積極的にそれを教えてないのだから。おかしな国。被爆国なのにです。
オリンピックを構成してた人はもしかして、原爆や戦争を思うときに感情が動かされない人が多数派だったんじゃないだろか。もしくは力のある人がそのへんすごい無知だったか。本当にそうだったらば、そういう人が国家的プロジェクトやったらだめじゃないですか。
とても惜しい。メディアの責任も重い。もっと流せる情報・制御できる嘲笑はいくらでもあるだろうと思う。

 

・集団もいろいろ

集団を全部厄介なものと思ってるわけではない。
人は誰でも何かするときに仲間を募り、心の拠り所にし、いつの間にかそれなりの集団を形成してるものです。
でも「自覚的かどうか?」というのはとても大切と思う。
集団の中にいる自分。集団としての責任感。集団内での「個」の尊重。
私が信頼を寄せるコミュニティーはどれも、「集団」としての顔でも人に強引な態度を取ってきたり、誰かの尊厳を奪ったりはしない。
少し目を転じれば、ラジオの中にも味のある書店内にも、新しく心地よい風が吹いてるのを感じられると思うのです。

 

・ただの一般論が怖い

私はいきなり好きな人ができたわけですが、両思いになりたいとか図々しいなとはよく思ってます。
でもそう思った瞬間に、「なんで?」と口をついて出る。40代独身女。

ずいぶん前の話、私が30くらいの時。
35歳くらいの女性先輩が既婚の同僚女性に「旦那さんの友達紹介して!(合コンしたい)」と懇願した。
そしたらば、「子どもを産めるかわからない人を紹介するなんて無責任なことはできない」と言われたという。先輩は当然だけど憤慨していた。
人はこの手の一般論で、知らないうちに人を傷つけてると思う。経験ある人が未経験の人に先輩風吹かしたり見下したりとか。
私も無配慮なことを言ったことはある。彼氏作んなきゃとか、そういう押し付け。
でもこの手の一般論で多くの人が自分を責め、人をジャッジして、息苦しさが募ってる。
何がどうであれば人が正しく生きてることになるんだろう?

これまたメンタリストが過去に、「妊娠できなさそうな女に用はない」みたいなこと言ってたらしく。
世間一般的に「出産」がひとつの目安みたいになってるのが怖いです。
あんたらの精子も卵子もわからんだろう?と思うのに。誰にもわからんですよ。自分の可能性。誰かとの相性。
若い2人同士が交際したって可能性なんて誰にも想像できない。
ただ一般論で大いに祝福したり余計な心配したりしてるだけ。そう、余計な心配。
親心みたいのもわかるけど、あなたの選択の未来も可能性だって誰にも何もわからない。
集団心理的な心配とやらで人を支配・差別・排除までしちゃならないのです。

 

集団をテーマに」への2件のフィードバック

  1. 私は、修学旅行も社員旅行も真っ先に部屋に戻って早々と就寝していたクチです…。
    なので、カゲで協調性がないと言われていたらしいですが。
    オリンピックも見ていません。
    子どもも、昔から産むのが怖くて仕方なかったし。 自分が死ぬこともあるわけじゃないですか。よくみんなポンポン産むなぁって。私には無理。
    まぁ、私の人生なのにつまらない意見に左右されたくない!って、最近は強く思いますね。
    日本は同調圧力がすごいですよね。

    …多様性が少しずつ認められてきて、みんなが生きやすくなると良いなと思ってます。

    1. かんさん

      「同調圧力」という言葉が生まれてから、「それを押し付けちゃいけない」という価値観が広がって、徐々に多様性が認められてきてるように感じますよね。
      でもオリンピックのゴタゴタには失望しました・・
      出産も人生全般、「普通はこうだよ」という価値観に振り回されないようにしたいですね。
      いつもコメントありがとうございます!

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