孤独の続き

前回の続きです。

私がこれまで苦手としてきた人、私に意地悪をしてきた人、攻撃的な人をふと思い返してみました。
すると、みんな孤独だったんだなということがわかる。
それは前回の本を読んで、とある癒し方を試みて感じられたこと。
もちろん自分が過去攻撃的だったあれこれも孤独ゆえ。

人の攻撃性や関係性の不和って、全部全部「孤独」からきてるのかもしれません。
孤独好きな人の孤独じゃなくて、疎外を感じる孤独ね。
広く見れば世の中の攻撃的な事件も、犯人の孤独がゆえんということは大いにありうることであって。

しかも孤独は伝染する。
孤独だけじゃなくて、ネガティブな感情もうつりやすいと。

 

私の家族は喧嘩や不和を昔から繰り返してきたわけですが、みんなみんな孤独だったんだなと今更ながら感じられます。
母は、毎晩酔っ払って帰ってきた挙句に借金まで抱える父の顔を見れば怒っていた。
姑問題、父のきょうだいの問題、3人の子育てもすべて一人で対処しなければならなかった母の孤独。
父は父で、家に帰りたくない孤独があったんだと思う。
借金は主に接待。経費オーバー分の負担。
そうまでしないと認められない孤独を社内で感じてたのかもしれない。家に帰っても怒られるだけだし。
姉もまた荒れていた。
愛に飢えていたような孤独。母は幼い私の世話。みんな忙しくて喧嘩ばかりで。
しまいには、離婚危機の叔母とその娘がうちに居候していたという気遣いまくりの居場所のなさ。

我が家の孤独は祖母が発信源だったんじゃないかと初めて気づいたんですよね。
家の中で一番孤独だったのは祖母だったんじゃないかと。
その半生を半身不随で生きた祖母。自由に動き回れない。
明治生まれの祖父にお風呂の介添えや食事の準備をしてもらう日々。思うところがあっただろうか。
また若い頃、継母との折り合いがとても悪かったとのこと。
いつから孤独だったかわからないけど、結婚前は可愛がられてた母親も、同居した途端に責められる日々。母をかばう祖父。嫁に日々怒られる愛息(父)。忙しい母が健気に頑張るほど祖母は孤独や攻撃性を深めていったんだと思う。誰も祖母の前で立ち止まらず、忙しく通り過ぎるだけ。
まるでWi-Fi基地のように、孤独がみんなに伝播したのかな。

なんてね、祖母のせいにしたいわけじゃないけど、あの家はみんな孤独だったよなぁって思うだけで心のわだかまりがちょっと溶けていく感じ。
でも祖母は、母に介護される晩年はとってもおとなしかったという。
母も最後は心が通じていたと何度も話す。
祖母は最晩年にやっと「孤独じゃない」と思えたんだろうな。
父も母とあんなに分かり合えなかったのに、父が病気になって母の献身を受けた晩年は穏やかだった。
最期に「孤独じゃない」と思えてよかったね、と今は思う。
わかんないけどね。なんて孤独だ!と思いながら死んだかもだけど。
でも我が家の孤独Wi-Fi基地は、今もう昭和の遺物って感じがする。
ちなみに「孤独を与えてしまった…」という反省しすぎもよくないという。

 

と、ここまでいきなり家族の吐露なわけですが。

よく喧嘩する近しい人間がいます。
その人と喧嘩するといつも絶望で立ち直れなくなり、一度いのちの電話にかけたこともある(つながらないんだこれが)
その人はもう10年以上前に希死念慮を抱いていた。
ハッと気づいたのは、今でもその人は死にたくなる気持ちと付き合ってるんだということ。
私の生への絶望は私の感情ではなく、その人の絶望が伝染してるんだ。
確かにそんな絶望はその人と喧嘩したときぐらいしか湧き上がりません。
そこで孤独に寄り添う言葉を胸でつぶやく(本に掲載)。
みんなある意味孤独で、それをうっすらとでも人と分かち合うだけで、「自分だけが」という疎外感が和らぐ。せめて人の攻撃性の波が穏やかになればいいですよね。
猫は目の前の人間が自分を恐れてるとわかったら絶対近づいてこない。
優しげふうの魂胆すら読み取る猫。
「大丈夫よ」ってな安心感と、人間のそれなりの謙虚さを感じなければ寄ってこないような敏感さがある。
あの感じかも(違うか?)

 

職場で、うるせーなってくらいしゃべる人が私は苦手で、最近露骨に避けるようになってしまった。
おしゃべりしててもなぜか強い罪悪感を抱く人。
でも避けても罪悪感が募る。
なんか、私って本当にバカで非常識ですみませんっていつも思うからさ。
でもなんか、本当に私をバカで非常識だと思ってんだろうなと思ったらそんな気がしてきた。感情が移ってきてる。
だってしゃべっててそんなに自分を卑下したくなる人は他にいない。
私のこと見下してて、仲良くしたくもないのだろう。じゃあなぜおしゃべりしてくるかといえば、孤独だからと思う。
明るく振舞ってなきゃならないような孤独。それは彼女のいろんな事情から察せられることではある。
周りの人はみんないい人で、それをわかって彼女の話をずっと聞いている。孤独でいつも疲労していることを知っているから。
私はそこから逃げた。
ってか、周りの人がそんだけ聞いてくれるなら別にいいじゃん?という気持ち。
なのに私すらつかまえて近況を話したがる彼女の孤独はいかばかりか。

 

鬼教官と化した好きな人の孤独。
それは、私が彼以外の人に露骨に教えを仰いだから。
彼は私にとても親身になってくれてたのに、彼じゃない人を「すごーい」とか言ってしまった。
ちょっとそういう私を見せたかった気持ちが実はあった(バカ!)
男を嫉妬させてはいけないとよく言うけれど、嫉妬なんかしないでしょ?と思ってた私の浅はかさ。
私への好意とかそういうんじゃなく、彼のコンプレックスを刺激する行為だったと今頃自覚されました。
彼は日頃からそのコンプレックスを口にしていた。私はそれにピンときてなくて、まるで小学生みたいなことをしてしまったね。
そういえば小学生のときも男子をからかって、卒業まで嫌われてたってことあったわ(バカ!)

男性社会での彼の孤独が攻撃性となって私に向かってきてたんだな…(もう鬼ではなくなりました)
彼以外でも、やたら上から目線で教えてくる男性の内部にもそれなりの孤独があるんだと思う。
男性って自分が教えた技術を実践しないことに露骨にムッとしますよね。
わかってるけどできませんってば!というこっちの能力事情も知らずに。
そんで「できなくても大丈夫だよ〜」とかいうヤサ男の意見を真に受ける私に男はみな鬼と化すと。
みんな孤独・疎外感いっぱいでさ…わかります。私もまた…

そんなささやかな共感でこの世から意地悪な攻撃性がなくなればいいと、本気で思っているわけです。

 

 

 

 

 

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