蟹座と仕事

しいたけ.さんの本、読みました。

 

蟹座についてまず「仕事」の話が来るところが他と違うと感じたんですよね。
一部抜粋します。

あなたはとにかく「ちゃんとしていない人」が苦手。ブチ切れそうになります。それが「今後の人生で関わらないであろう第三者」ならなんとも思いません。でも、自分が人生の時間の中で関わっていく「身内枠」の人にプロ意識や責任感がなかったりすると、すさまじく怒ってしまうことがあります。

おーそのとおり。。
しいたけ.さんの言葉が異様な人気を見せるのは、「誰にも見られてなかった自分」を見つけてくれた感覚を覚えるところでしょうね。
私はしいたけ.さんは、地球星座、とは言わないまでも「オポジションサイン」と「支配星」の要素をかなり取り入れて読んでらっしゃるように感じた。
人はなんだかんだ太陽星座の「対向」を目指してんじゃないでしょうかね。
だけど人生はその挫折の連続。しいたけ.さんは、その挫折部分を拾い上げる方なんだと思う。
私で言えば山羊座。
「とにかく頑張りたい(頑張ってきた)」というところの報われなさを一体誰が見てくれたのか。見てくれてない…と感じやすい。

そもそも「蟹座」の表紙に書かれてることがドンピシャ。

苦手なことは克服するまでやる

そうなんです…誰だってそうだとしても、蟹座としてこのあたりを取り上げられたものってあんま見たことないから、まんまと嬉しくなってしまう。
蟹座については、私自身もそうですが「家族・家庭・愛されたさ」のことをつい教科書的にクローズアップしがち。
でも蟹座のほとんどにとって「仕事」とか「役に立ちたいから頑張ること」が自分のほとんどを占めているはず。
そうか、私は山羊座になりたかったのかもしれない。山羊座になるための旅を一生続けるのか!?

 

今ほとんど口をきいてない人がいる。
仕事のことで意見が食い違ったことが一つの原因だけど、なぜここまで話さなくなるほどか、私の怒りがなぜ収まらないのか、よくわからないまま日々だけが過ぎていきました。
でもしいたけ.さんの本を読んで、私はその人のプロ意識のなさに腹を立てていたんだと気付いた。

話さなくなったきっかけが、とある1つの「点」だとしても、私の無意識はその人と仕事の関わり方を「線」としてキャッチしていたんだと思う。
「自分とはやり方が違う」
それでも努めてこう意識するだけで仲良くできていたのに、ある日崩壊した。

前も「意図」の話をしましたが、仕事において「なんのために?」という方向性は、人によってその向きがある程度バラけるとしても、総じて「世のため人のため」という範囲には集約されるんだと思う。
部署によっては「顧客のため」というより「従業員のため」を心がけることもあるでしょうね。
もちろん「自分の生活のため」という人がいたっていいと思う。
でも私は自分とすごく近しい人の意図のベクトルが、どこをどうたどっても「自分」に行き着く人が苦手なんだと気付いた。第三者ならどうでもいい。

「私はもうどうでもいいんです」と言う人が時々いる。その「どうでも」という投げやりな感じは時にカッコよく見える。
「主義・主張とかないんです。平和に普通に生きられればいいんです…」
うんうん、だよねー…なんて肯定できてたはずなのに、なぜかあるときから「ん?」と。
親しくない人ならそんな言葉は流してしまえる。
でも親しくなるほど「は?その心は?」というとこが気にかかる蟹座。

結局それは「意図などなんにもない」ということだった。いや、「意図など持たない私でいたい意図」…
もっと言えば「常に多数派のお尻を追っかけたい意図」
多数派の先頭集団でもなく2番目集団でもなく、お尻を追っかけるんでいい。誰かを引っ張る意図もない。ましてや何かを目指す意図もない。なのにいつも多数派の顔してる。多数派という安住の位置にはいたい意図。
それに気づいたときなんか鼻白んだというかですね。なんだよそれと。しかも最後に「許してちょんまげ」とかってぺろっと舌出して、可愛げの自己演出には長けている。髪はカールがかかってる。
いつも自分のことしか考えてないんだ…つまり「自分」にばかりベクトル向ける意図はあるんだけど、もしかそういうタイプは、意図というものをどう世に放てばいいかわからないんじゃないでしょうか。

 

 

意図を放つと「行動」が伴う。
意図→実現のおなじみのパターンといえば、「この電車に乗るために駅に行く」
意図を設定したら、どういう道を通るか、どう歩くか意識せずとも目的は達成されるんですよね。けど行動は伴う。
私の場合は「この料理を作る」と決めて材料と時間さえあれば、大して苦もなく料理できる。
でもたぶん、どこかでエラーがあると料理は出来上がらない。
それは「本当は作りたくない」という裏願望。行動すべてがめんどくさい。ましてや人のためなんて。

「やりたくない」が日常に多すぎると、意図も何もないのでしょうね。
「世のため人のため」言ってらんないだろうし。
でもそれってなんで?
というところを見つめない人は、一体どうなっていくのだろう。

 

 

 

 

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