自分を見つめて6日

一部内容変更しました。

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前回紹介した方のブログを読んでいる日々ですが(→愛されるためにがんばるのは今すぐやめたほうがいい)ここまで数日「自分を見つめる」ということをしてみたわけです。
自分はとにかく「罪悪感の塊」だったことに気づいた。

自分のやることなすこと、どこか「気持ち悪い」「絶対人から”おかしい”と思われてる」とビクビクしながら長いこと過ごしてたんですよね。
人生ずっとそういうわけじゃなく、30代になって急に「謝罪人間」みたいになった自覚はある。
何もかもに申し訳なく思い、今までがずっと傲慢だったように感じられ、これまでのすべてについて謝ります!みたいなスタンス。
「私、過去とても失礼なこと言ったんじゃないでしょうかね?」と中高の同窓会で詫びまくったり、罪悪感とかあまりなかった20代以前が急に恥ずかしくなったりした。

これ、なんでなんだろう?結婚してなかったから?
高校生の私はテニス部集合写真で真ん中らへんにいて彼氏と下校するタイプだった。それが同窓会では既婚者の輪から勝手に離れてぽつねんとしてる。「現時点の自分、ほんっとダメじゃん(なのに堂々としてたあのころ→穴があったら入りたい)」みたいなメンタル。苦しい30代でした。

あと「他人軸」
これは罪悪感と密接に絡んでそう。
「人がどう思うか?」ということにいつも囚われている。
この歴史は長いですよ。小学校の時から「だってみんなも…」とよく言ってました。
そんで兄から「みんなってだれだよ!」と激しくツッコまれて、「みんなはみんなだもん…」とグスッとなるという。
そんな私に甘い母が、みんなも持っている服だかグッズだかを買ってくれて、今度は兄や姉という「他人軸」にビクビクする。「おめ、ずりぃーな!」って一生小突かれるんじゃないかって。

多くの人が経験する「私は人と(普通と)何か違う」ということの恐怖・罪悪感。
その「違う」ということは輝きでしかないのに、抑えて抑えて、抑え込むことなどできないのに「抑えて周りに合わせることこそ正しい努力」と思って生きちゃうんですよね。
努力。あーなんて痛々しいワードでしょう。
「努力するぞ!」って明るく決意するならまだしも、「一生努力の日々です」とか決めてしまったり、ましてや人に「努力しなさい!!」と強要したりする。
全部あるね、私の中に。
もう努力なんかやめよう。
そう思った矢先にAmazonで美顔器をポチったりする。
「このままの私でいいんだ!」と思えない罪悪感、どうにもしぶといっすね。

今年はこの罪悪感や他人軸な自分とじっくり向き合って、必要以上にがんばらないことにします。
「ブログを書く」というのは、どこかビクビクする気持ちと切り離せないこともあって、一部非掲載にした記事もあります。今読んで自分がおもしろいと思えなくなったものとかですね。

私は感想文を書くことが好きなので、今年はその気持ちに正直でいたいものです。星の話は、感想の流れでさらっと触れるにとどまるかもしれません。自分の罪悪感センサーに触れるものとは慎重に付き合っていくことにします。

というわけで早速次の記事で感想文を書いてみたのでよろしければどうぞ。

 

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