続けるということ

先週末はいろいろ捨てた。


2年以上着ていない洋服に、もう開かないような本。


数年前の決意表明ノートや、古い手帳。


もっとやってやりたい。


という勢いがまだくすぶる。



あちこちで書いてるということ。


続けようか、もう閉じようか迷っている。


続けることは正しいことだと教わってきた気がした。


進研ゼミを続けてきたから成績が上がった。


鍛錬を乗り越えて今の仕事がある。


継続の正しさ例として、どっかりと在るから。



でも継続は、どこかぼんやりさせてくる。


このままじゃいけない。


このまま続けてたって何が残る?


「すごいね」と言われたのは、中身じゃなくて根性のこと。


継続の上にただ得意げであるだけで、


”誰のため”というところの欠落。



怖いのは脱落。


部活時代、バイト時代のいつだって大きな壁。


苦痛に背を向けていいのだろうか、とか。


おとなしく継続していられない自分への失望、とか。


でも、ただ続けてるだけの惰性も嫌で


それは「変えられない」ということ。


いろんな継続を断ち切りたいという波は時々やってくる。


ただそれだけのことかもしれない。



g.o.a.t.よりインポート

 

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