結構時間があるのですよ。
こんな日曜日。
約束まであと1時間。
その約束に集うみんなは、
たぶんちっちゃい子とかおうちのことでバタバタしてたり、
家事をこなしてもこなしても終わらない!と、
焦っていたりするのかもしれない。
私は、それらを想像しながら
こんなにゆっくりすごしている。
さっき掃除も終えた。
43歳独身というのは、よっぽど多忙な業務の人でなければ、
こんなふうにたっぷり時間があるものかもしれません。
そこに罪悪感を抱くときもあれば、
自由を満喫するときもある。
寂しさに襲われるときもあれば、
なんて気楽だ!と感動してたりもする。
今「生産性」がなんだって話題になってるけど
結局、見ず知らずの人をぱっと、「あるなし」で判断しちゃう人の
話の気がする。
赤ちゃんを連れてない女の人の、未婚既婚出産経験のことなど
知るよしもない。
職についてない人が、何か作品を生み出してるかどうかのことなども
見た目でわかるはずもない。
「◯の人はこっちへ、×の人はあっちへ」
そんなクイズみたいに、
仕分けられる日が来るわけでもあるまいし
むやみに人に罪悪感を抱かせる人が、
反省してるかね?なんて確かめに来るはずもないのに。
ただうねりがね、
おかしなうねりになったとき、傷つく人が増えて、
攻撃的な人もあっという間に増えて、
いつもそれら、どうやっておさまってきてたんだろう。
自分の力が「余ってる」と感じる。
あちこちに助けて欲しい人はいて、
出かけて何かの役に立つことはとても有意義です。
しかし。
病気でもないのに、私は私のことを、
この余ってる時間の中にゆったりさせることがなければ
自分を好きになれないのだから
好きになれなくなったら終わりなのだから
ゆったりしているようでいて、
どこかでは真剣に、必死で暮らしていたりします。