政治と私

自分と政治が大きくかけ離れてる・なんの接点も感じられない。

そう思う人はすごく多いと思う。
もしかしたらそう思う人が人口の半分ほどになってる「今」じゃないのかな。

それでも昨日の事件はこの国の大半の人がショックを受けたはず。
そういう意味で安倍氏は国民にすごい近い政治家だったんだなと改めて思いました。

私もすごく動揺してます。
その報道は、メンタルへの配慮がここんとこ呼びかけられてたメディアと思えないダイレクトさだった。
びっくりした。でも見てしまう。頭がすごく混乱状態。
とにもかくにも明日は選挙です。
私は期日前投票を済ませました。

 

1週間前のこと。
職場で「選挙行きます?」と聞かれた。
「行きますよ」と言ったら「偉いね」と言われた。
・・・自分が珍しい人間に思えた。
そりゃそうか。最近の投票率は確か5割を切ってたっけ。

聞いてきた人は男性で正社員。
投票する意図なんて湧かないだろうか。
別段日々を変えるつもりもないのなら。

私は非正規・女性・未婚。
今の社会じゃどうにも生きにくい。
そう言うと、「え、人のせい?(しかも政治の?)」と目を丸くされるかも。
Yes!そうです。私は自分の生きづらさと政治はある程度関係してると思ってる。
「全部私のせい」という自己責任を感じさせるムードこそ政治が形成したものと思ってる。
政権代わってもすぐ大きな変化はないかもしれない。
もし政治に関心なかったら、やっぱ全部自分のせいと思って生きてただろう。
自己責任・自責の念を抱き続けて生きるなんて私には無理。
非正規になってから特に思う。
非正規と正社員の間に一体何があるのだろう。個人の資質の差?
私は「個人の事情の違い」しかないと思う。
家庭の事情、健康や体力面での事情。なのに搾取され度はずいぶん違う。お金の搾取・時間の搾取。
「しょうがないよね」というムードに甘んじなきゃいけないのは、自分の問題じゃないはず。
それをどうにかするのが政治なんじゃないか。

 

ところで私は安倍氏と同じ大学。
入学式にスピーチに来てたらしいけど覚えてないんですよね。
あのころ政治家はおろか、与党と野党が何だってことすら知らなかったですよ。
ハタチになって投票行っても、なんの手応えも感じられないから次第に行かなくなっていく。
すると親に怒られる。
そのうち、親がTVの向こうの政治家にやたら怒ってる声が耳に入るようになり、次第に「なぜ・何に怒ってるか」がわかるようになる。
「この人いいこと言ってる!」と、親は与野党問わず誰かを称えたりもする。
私の中に政治が、それはゆっくり浸透してきた20代前半。

私の場合「親」ですね。政治を意識したきっかけ。
「こんな法案通ったら大変なことになる」とよく憤慨していた母親。
そのベースには「戦争を二度としない・させない」という強い意志がある。
その警戒感で政治を見つめていた。
戦前生まれの両親なので、夏の間に国の体制やムード・大人たちがガラッと変わるのを体験済み。
民主主義!ということに胸ときめかせた世代。
そういう話を何度も何度も聞きました。

でも自分1人っきりで政治に関心持つってやっぱ難しいかもですね。
誰かの声がバシッと入ってくる環境にいなければちょっと難しい。
家族の誰も政治に無関心という家で育ったとして、自主的に関心持ったり勉強する人ってどれくらいいるでしょう。
私も親から影響受けたとはいえ、「教科書やTV情報だけじゃ全然だめじゃん!」という絶望というか焦りが常にある感じ。
「知る・監視していく」能動性って、流れに逆らうというエネルギーをかなり要するしね。
そんなことしなくても平和に生きられる。
そうなんだけど、「無関心のうちにこんなとこまで流されてたよ!」っていうのを私はとても恐れます。

私も「戦争反対」がベースにあるのです。
「戦争反対」なんて、ほとんどの政治家そうでしょ?と信じ込めば平和に暮らせる。
でも「戦争をやりたい層(党)の存在あり」という前提で見てみると、感じられることはとても多い。
いまだ軍隊の名残のような・ただ自由を制限するだけみたいな規律を強制する組織の存在(しかも中学・高校とか)、同調圧力がいまだに良しとされる教育(学校でも職場でも)、あと「家族」を前面に打ち出す思想、男は男らしく・女は女らしくをいまだに推奨するような。
推奨どころか、「女らしくない」ことをいまだに嘲笑するムードや問題発言あるしね。「そうじゃないと選ばれませんよ」という脅し。うっせっつぅの。

権力が力を持ちすぎるとメディアや大企業との関係も強まるので、CMやドラマ、政権と近しいTV局からの情報をただ浴びてれば、「そんなもん」と思い込んでしまう。
やっぱ自分は女で非正規・未婚だからかな。「はぁぁ?」という発言や描写の野放しに呆れることは多い。
そんな時、ツイッターはかなり助かるし勉強になりますね。
自分でも気づかなかった差別を知ったときも政治を身近に感じます。
怒ったって不愉快だって、無関心者が増えるよりずっといい。
「もっとみんなが(自分が)幸せに暮らせるように!」という願いが高まる原動力となる怒り。

ただ、怒ったとしても暴力は絶対ダメ・ハラスメントも絶対×!
だけど「怒りを持たない」と決めるのも表裏一体ぐらい危険なこと。
暴力がたとえあったとして。例えば今回のような。昨今頻繁に起きる交通機関でのような。
「なぜ?」をたどった先に浮かび上がるのは、「人生が報われなかった」という恨みじゃないだろうか。自己責任ムードの限界が来ている。
私は死刑制度にも疑問があって、書籍をいろいろ読んでいくうちに「悪を排除」するだけじゃ何にもならないという感想をいつも抱く。
排除したって見つめなければまた同じことが繰り返される。無視された分もっと過激に。

政治が「声」をずっと無視している。
何か・どこかからの声は「聞かなくていい」ことになっている。とりわけマイノリティーの声。弱者の声。
与党の政治家が「野党の声は聞かない」とかほざいたようで、例えば同性同士の結婚が認められないことも夫婦別姓が認められないことも、「認めてもらえない側」の声ってもうずっと届いてない。届いたとしても、「聞いてもらえた」というよりジャッジされた痛みを感じることが多いですね。
「変えていこう」とまとまれるならまだいいほうで、誰と協力すればどこかに届く声になるのかわからない人は大勢いる。
でもそのほとんどは、日々を生きていくだけで精一杯。疲れてメディアはおろか政治なんて関心持てないよ…というね。こういうムードはどこかの層にはとても都合がいい。ただ粛々と生きていく市井の人・私たち。

私たちも政治家の声を聞き続けないとならない。今こんなときだからこそね。政治を選挙の日だけで見ようとしても何もわからない。声をひたすら聞く積み重ねが、ある日自分とのラインとなってつながる。

「とにかく頑張る」にかかってるのも、もうつらすぎなのです。
頑張らなくてもうまく回る生き方ができればいいな。
そういう望みを政治に託したい。
不穏な情勢を目にして「何ができるだろう?」と絶望するけど、投票に行くことは「できること」のひとつ。
無料だし投票券も送られてくる。投票所行けばわかりやすいし、国民の意見を生かそうという民主主義のまっとうな権利。ま、税金払ってるしね!!
何にも変わらず徒労だぜと思ったら、その不満こそ政治とつながると思う。
不満は時に楽しい。そしてどんどん政治に関心が向く。そのうち希望と手ごたえが合わさって。そういう流れになっていくといいですね。

 

 

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