映画「ベイビー・ブローカー」とお父さん

是枝裕和監督の「ベイビー・ブローカー」見てきました。


ベイビー・ブローカーインスタより)

舞台も俳優も韓国だし、ソン・ガンホが主役なので、「ポン・ジュノ監督だっけ?」と思いそうになる。
けどやっぱ是枝作品です。実に淡々としている。
隣の高齢男性は10分くらいで寝てました。はやっ。

淡々としてたのに、ほんの小さなセリフが引き金となってあとずっと涙…
「万引き家族」のときもそうでした。
是枝監督は子どもの表情を捉えるのがすごい上手ですね。
赤ん坊ウソンの奇跡的な表情も盛りだくさん!

どこでまず泣くかって人それぞれと思うけど。
最大の山場まで特別こみ上げない人も多いかもですね。
私は「プレミアリーグ」。
孤児院で育った男の子の夢。
これが引き出された会話そのものに泣けたとも言える。
ヘジンと、ウソンの母・ソヨン。

その最大の山場。
破壊力がすごかった。涙腺の破壊力。
映画を見たあとに是枝監督のメッセージを読むとまたこみ上げてくる。

お前なんか自分なんか生まれなければ良かったという内外の声に立ち向かって強く生きようとしている。あの子どもたちに向けて、自分はどんな映画を提示出来るだろう。
ベイビー・ブローカーHPより)

とにかくウソンを幸せにしてやろう。
映画の中の大人たちはそれが第一優先に見えた。
たとえ買い手を探して大金を得るのが最終目標としても。

人生行き当たりばったりのサンヒョン(ソン・ガンホ)にも、人として当たり前の優しさがある。
そこに救われるんですよね。
「万引き家族」と通じるところはたくさんあります。
あのときも思ったけど、「正しい」ってなに?ということ。
人が外から決めた「正しさ・常識」に当てはまらなければ「正しくない」と論破されて終わり。
「でも愛はあったんです!」と訴えても、「エビデンスは?」とか言うんだろ。
エビデンスを示せなかった人は、立場をただ弱くしていくばかり。
日本だとそれは「自己責任」となる。

 

私の父親のこと。
私はこれまで母のことを思う時間はたくさんあっても、父の時間は少なかった。
父はすでに亡くなってることもあるけど、謎な人だったんだよな。
やっぱ月魚だから宇宙人だったのかなーなんて。

でも「父を思う」ことそのものにブロックがかかってると自覚した。
宇宙人父との間にも楽しい思い出はたくさんあって、それは小学生までの間。
何が楽しかったかって、一緒に出かけたこと。
博物館、サイクリング、市民プール、ディズニーランド。
日曜になるとたたき起こした。朝6時とか。
疲れてるだろうに、よく遠くまでサイクリングしてくれたよ。

昔から家族内喧嘩は多かったけど、それがなぜなのか?をはっきり知ったのは中学ごろ。
父がいかに責任感がないかを母親から知る。借金とかね。
そこから私は父を「父親という役割を果たしてるのか(果たしてないだろう)」という目で見るようになる。
父親として正しくないじゃん。恥ずかしい人。
娘からずっとそう思われ続ける父親は珍しくないかもですね。
父親ってそういうもん、と。汚い、臭い…

けど確かに小学生までは大好きな人だった、それを思い出しました。父親というフィルターをかけるずっと前。ただ大好きだった人。楽しいから。安心するから。
父が「謎な人」になってしまったのは、1人の男性・人間としての個性の前に「父親であるべき」としか理解しようとしなかったからかも。

それでも定年後、父は私に本やCDをプレゼントしてくれることでコミュニケーションを取ろうとしてきた。手紙付きで。
その手紙が無邪気すぎて可笑しかったので、母に「ねぇ見て!」と見せたりする。
見せつつドキドキしてたのは、母の前で父への愛を表現してよかったっけ?ということ。
苦労してきた母を思うあまり、父を否定しなきゃならない時期も長かったのです。

いきなり家族の告白かよという話ですが、「ベイビー・ブローカー」のソン・ガンホもそんな父だったなぁということ。
別れた妻子のもとに戻ることはもうないだろうとわかる。
娘を・子どもをこんなに愛するのに、正しさをもっともっと備えなければいわゆる父親にはなれない。
その娘も、「ごめんね」と言う。愛することすら罪悪感が湧くなんて。だってお母さんを幸せにしてあげたいから。

映画では、赤ん坊ウソンを前にしたら男も女も子どもも、ただ当たり前の優しさに突き動かされる。
そこにもすごい泣けました。
ソヨンに少し触れたドンスの手が優しかった…
突き動かされたような優しさは、誰もが持ってると信じたい。
そこには母も父もない。目の前にぐずってる赤ちゃんがいれば「どうしたの?」って顔をのぞき込むような。
「なんとかしてあげたい」
そう思ってもね、環境が許さない場合もある。
そういう人が駆け込む一つが赤ちゃんポストだとして。
自分のせいかもしれないけど、自分だけのせいじゃないはず。
一般的な正しさになど、とうに届かない人がいる。
その想像力をもっと持ってもいいんじゃないか、是枝監督はいつもこのあたりのことを訴えかけますね。

 

私はとにかく結婚願望のない人とばかり出会ってきましたよ。
付き合う前からいきなり言われたりする。
「俺、そういうのないんだよねー?え、ある?」とか。
答えにくいだろ!!30前の女に聞くなよ。
そういう回答にすら、「どう言えば正解だろう?」ってまた「べき」が発動して、「うーん、私もまだ、かな」とかお茶を濁してたけどバリバリ結婚願望あったかんね。それはじきにバレる。
付き合う前とか初期は彼を「好きな人・気が合う大事な人」として見てたのに、時間がたってくると「夫にふさわしいかどうか?」で見るようになる。「私を幸せにしてくれる人?」とか。
私の場合は特に父親が責任感乏しかったので、「ちゃんとした人」を求めてた。

でも…本当は誰もちゃんとしてないと思う。
一見そう見えても、「実はちゃんとしてなかった部分」に勝手に傷ついたりする。それがその人なのに。
今の世の中、女性に対しては「妻・母としてちゃんと!」をすごい求めてきますよね。
女性はすんごい頑張る。「ちゃんと」をちゃんとクリアする。そんな人はとても多い。
だから家庭内で怒るのにさ、この間のヤフーニュースで「妻の怒りにはウンザリ」という記事を見かけたけど、背負ってるものが大きすぎるから怒るんだと思う。抱えきれなくて困ってるから。
ちゃんとしなくても受け入れられたい・愛されたい。
「ベイビー・ブローカー」は、不完全なりに自然な優しさがあった。
「万引き家族」でも、リリー・フランキーさん演じる父親は一個もちゃんとしてないのに、楽しそうだった。
遊ぼうとか、眠いから一緒に寝ようとか、ボタンほつれてるね、とかとか、自然と心から湧く親しみや優しさを、なんのブロックもなく人にも自分にも私は許せてるかな、と思ったんですよね。

 

 

 

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