音楽ポリアモリー

「ポリアモリー」というワードが急に頭に浮かんで、検索してみた。

ポリアモリーは何か?ということはうっすら知ってたつもりでした。
複数の人と恋人関係になること、だよね?という認識。
ウィキペディアで調べてみました。

ポリアモリー
関与するすべてのパートナーの同意を得て、複数のパートナーとの間で親密な関係を持つこと、または持ちたいと願うことを指す。

「すべてのパートナーの同意を得て」っていうのがハードル高そうだな…とかうっかり思った自分がいた。

数年前にポリアモリーについてふわっと知って、でも自分とはまったく縁のない概念と思ってたのに、なぜか急に気になりました。言葉の方から自分に向かってきた不思議な感じ。
「自分を見つめるワーク」というのはまだ続いてるわけですが、何をするワークかといえば主に「自分を愛する」「自分のすべてをOKと受け入れる」ということ。その声かけ。

私は何かにつけ自分を責めて生きてきて、それがどれだけ自分を傷つけまくってたかを思い知りました。
傷つけて抑制して罰して。
「私を傷つけないで!」という心の叫びに私はなかなか気づけないから、心はあらゆる手段で私に訴えかける。
それは嫌な出来事として、誰かからの罵倒として(心の投影)
そういう目にあってやっと自分を守ろうと思う。ややこしいな、自分。

「自分はダメでどっか欠けている」という前提で長いこと生きてきたので、何をするにも「欠けを埋める」というのが主目的みたいになる。恋愛も何もかも。
ところが「自分これでOK」という声かけを続けているうちに欠けは徐々に埋まっていく。
欠けが埋まると次に何が起こるかというと「思いっきり自分らしく生きたい(生きてやる)」という宣言。
そんな折に飛び込んできたポリアモリーというワード。
えっ、私のひそかなる願望!!??

 

ゆうべ、自分のサビアンシンボルをいくつか確認したからかもしれません。
自分のサビアンは「一般的な社会成功を求めない」という意味合いのものがいやに多いと気づいた。
土星に至っては「一般的な社会環境が提供してくれるものでは基本的に満足できない」と(蟹座22度ヨットを待つ女。松村潔「神秘のサビアン占星術」より)

最近、仕事に関しては正社員への渇望を手放しつつあった。
好きな人を想う時間も減り、自分が少しずつ変化してきています。
変化というか、本来の自分に戻ろうとしてるのかも。

それでポリアモリー。
検索をしたらこのインタビュー記事にたどり着きました。
ポリアモリーのきのコさん:結婚すればまともになれると思っていた

私はこの中の「(結婚制度について)二度と利用したくない。良い意味で形骸化していけばいいのになって思います」という言葉にすんごい共感したんですよね。
数年前だったら…数年前と言わず少し前なら嫌悪感すら抱いたかもしれないこの方のインタビュー。
2人の恋人との関係性について、正直まだ興味・関心という気持ちが大きいけど、「自分もポリアモリー派かもしれない」という前提に立ってみてもいいかも、とは思えた。

ちなみにポリアモリーというのは「そういうライフスタイル」ということ。
「同時に複数人を好きになる」というのは案外よくあることと思うのですが、「交際相手にそれを隠さない・その同意を得る選択」で、隠しながらの交際は、どちらか既婚なら不倫。
交際相手の性質によってはポリアモリー・ライフスタイルはやっぱ選択できない…という人も多そうですが、「むしろ隠したい」と進んで不倫を選択する人もいるでしょうね。

 

男性のポリアモリーの方の興味深い記事も見つけました。
「好き」から余計な意味を抜いていく。ポリアモリーの恋人ランキング構造。(小島雄一郎さんのnote「誠実なクズとしてのポリアモリー」より)

この中で「音楽ランキング」が例に挙げられていたので、自分なりに音楽・ミュージシャンでポリアモリーを感じてみようと思います。
ただミュージシャンとは当たり前だけど交際関係はないので、その例えは全然違うよ、ということになるのはわかっていますけども、まあ妄想全開ということになります。

2012年に岡村ちゃんこと岡村靖幸に夢中になった私は、そこから5年以上にわたり岡村ちゃんと1対1の・他の人はもう目に入らないという熱い関係だった(として)。
自分は一生岡村ちゃん主義だな…と確信までしてたのに、実は別の形の「愛」があることは自覚されていなかった。
中村一義ーーー
2002年にスピッツのカバーアルバムきっかけに興味持って聴くようになり、アルバム「ERA」と「100s」はいつだって自分の支えだった。
「今何を聴きたい?」と自分に問うたときいつも真っ先に胸に浮かぶのは「キャノンボール」であり、「いつだってそうさ」、それは今でも全く変わってない。再生回数ナンバー1曲。

2020年年明けのライブで新アルバム「+」を聴いて、「ずっと愛だったな」と自覚。
中村一義曲のナンバー1愛レベルは、実は相当群を抜いていて、岡村ちゃんに感じる愛がキュンキュンするものとしたら、中村一義の愛は「ずっとそばにいてくれた大型犬」みたいな感じ。「いてくれたよねー」みたいな穏やかな感謝ベース。

そしてコロナ禍元年の苦しい苦しい行動制限期間に出会ったのが!
フジファブリック志村正彦。
岡村ちゃんも中村一義も、自分の深い領域に安定して存在することは前提で、「ちょっと当分帰らないかも」と告げて(誰にだよ)志村のもとに押しかけていくような激しい恋慕。
しかし志村とは夢の中での恋愛だったのかも…志村による新しいアルバムが出ることはもうない。
とぼとぼと帰る道すがら、「うち寄ってく?」と藤井フミヤが声をかけてくれたこともあったかもしれない(ねーけど)、家に着くと中村一義と大型犬が「おかえりー」と迎えてくれる。大きな地震があれば岡村ちゃんから「大丈夫?」と連絡が入る状況を幸せと思う私・・あ、最近ふかわりょうとはまめに連絡取ってます。

わけわからない妄想全開です。
そういうんじゃねーよ、という失礼さがあったら申し訳ないです。ちょっとやってみたかった。
ふかわさんの曲はすごく聴いてるわけじゃないけど、平日はバラいろダンディ、日曜はラジオでふかわさんのセンスによる選曲を楽しんでいる。実はラジオで3回ほど投稿が読まれたこともあります。勝手に心の相棒みたいに近しく感じてます。

ここで心当たりのある複数恋愛感情体験を思い返してみます。

大学4年、社会人の彼と付き合って1年半になろうかというとき、ゼミが一緒の1個下の後輩とすごく話がはずむようになり、毎日電話したり年賀状やりとりしたり友達レベルで仲良しになりました(私に彼氏がいることは知っている)
私はゼミの後輩をほとんど好きになってたともいえるけど、「そうじゃない」と自分をだましつつ、ある理想を描いていた。
社会人の彼に「好きな人できちゃってさ!今度デート行こうって言われたよーん」って明るく報告すること。「でさでさ、聞いてよ〜」って後輩との恋を聞いてもらう図、そんなのっていいなぁと思ってたけど、それが許されるわけないともわかってた。
何より「お前はあばずれだな!」と社会人彼氏に嫌われることを恐れていた。

でも後輩と、ある日に相合傘したとき猛烈な嫌悪感だか罪悪感が湧いて、それを境に後輩に対して露骨に嫌な態度を取り続け疎遠に。後輩と性的に進んでいくのは嫌だった。
これがポリアモリー関係として成立するには、社会人の彼氏に「後輩くんと付き合いました!」と伝えて全員に複数交際の同意があること。やっぱここにハードルの高さを感じる!
それに私の気持ちが本当に複数交際を望んでてそれに耐えられるか、自信がありません。

その後、仕事が多忙になった社会人の彼は私をほとんど構うことがなくなり破局に向かうわけですが、なら後輩にいけばよかったじゃんと思うものの、「私はあなたのもの!」という状態にしがみつきたいという複雑な自分がいたのです。

「複数の恋愛感情」って実はすごく自然なことじゃないかと思ったりもします。
でもそんなことにうつつ抜かしてたら結婚できない!という恐怖がありましたよね。
結局結婚なんですよ。
女は「結婚と出産」という社会的な行事にすごくコントロールされている。
そもそも結婚制度自体が男の支配性にすごく都合が良いものなんじゃないだろか。
特にこの国は、先の宗教問題でもかなり明らかになったように、ある程度コントロールありきで社会通念が形成されてますよね。
「だってそうじゃなきゃ少子化が」とか、支配側の思惑としてあるのかもしれない。
それにしても女性の自由にはとにかく厳しい。女性が自由だとすぐあばずれ呼ばわりされたり、芸能界でも女性主体の不倫はめったくそたたかれるしね。

鑑定依頼をしてくれる方も、配偶者もいて恋人もいる、というのはさほど珍しくないです。
「あなた1人に一生一途」という状態はそんな自然じゃないのかもということは薄々わかっていた。
あらゆる通俗性からフリーであるのが自分らしさなんだとして。
ここから自分はどこに向かう?というのを楽しんでいきたいものです。

 

 

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