好きな人は誰ですか

「私、あのタレント嫌いなんだよね」と誰かが言ったとき、「そっくりだけどね」と心の中で思ったことは何度かある。

だけど自分が嫌いな人のこと話してるとき、「人間関係って結局鏡だから」とか言われるとなんかムカっとしますね。

私も自分を見つめるワークの一環として「鏡の実践」というのをしていますが、鏡とは目の前の人=自分という単純なことじゃないようですね。
いや、ある意味自分であると言えるけど、こんな憎たらしい女=自分!??ということではない。
いや、そうだとも言えるんだけど(なんだよ)、「そいつの何が嫌いか?」=「自分が抑え込んでる私」→「それを出しちゃってる相手が嫌い」=「認識したくない自分の一部」であるらしいことがだんだん感じられてきました。

例えば私が嫌いになる人のパターンというのがある。
A:相手を見下すマウンティング気質(神経質タイプ&罵倒タイプ)
B:全身”いい人”のお節介気質
C:服装も何もかも”目立たないチョイス”気質

これらの表面的な性質=自分というより、大抵はその人の「言葉」が「自分の心の声」ということ。
Aだと、神経質タイプなら「信じられない!」とよく言ったりしますが、これは「私が私を信じてない」ということ。そのことに気づいて!と、私の心が人に不快に投影してまで訴えてきてる、ということらしいです。
罵倒タイプがよく言う言葉なら「もしこうなったらどうしてくれるんだ!責任取れるのか!」
→私自身が「とても責任が取れない私」と思ってる。あと「不安を感じすぎてる私」ということ。

Bの「いい人でいようとする」ことへの嫌悪感からも、「なぜなら嫌われるのが怖い・不安だから」という心の声が浮かび上がる。そんなに不安を背負わなくていいはずなのに。
あとBの人の嫌なのは、「やっといてあげたからね」という余計な宣言。
頼んでないのに…と思うと同時に「申し訳ない」と思わされる罪悪感。
おそらくBの人も、自分がやらないと罪悪感が湧くからやってくれるんだと思う。
この場合は「罪悪感を抱きすぎてる私」が鏡に映し出されているのかも。

Cの人がよく言うのは「できるだけ目立たない服を着てる」「太い脚を見せたくない」
私はそれを聞くたびに「誰も見てないと思う」と思うんだけど、つまりは私自身が「人の目を気にしすぎている」ということ。
自分が自分を低く評価するほどに人間関係で不快を感じやすくなる実感はあります。
「私を傷つけないで!」と、どうにかして私の心が私に伝えるためじゃないでしょうかね。
「あーそうだった、ごめん自分」と思うだけで不快感が不思議に消えたりするもんです。

 

昔、とある心理学教室に通ってたとき、「自分の好きな人の好きなところを書き出しましょう」という課題があった。
私は、いつもおいしそうなお弁当を手作りしてくるふわふわセーターの女性のことを書きましたが、講師から「それはあなたなんです」と言われて驚いた。
私はお弁当作りが苦手だし、ふわふわセーターも持ってない。その人はロングウェーブの髪型で私はぼさぼさ頭。
どこが!?と思うけど、嫌いな人が自分の一部であるなら、好きな人だって同じこと。
そのお弁当女性の「女性らしさ」に憧れを抱いてた私に同じような女性らしさがあると思えなかったけど、自分が認めてないだけで、あるのかもしれないです。
でもずっと抑制してきてる気がして、それはそれで理由がある。

たぶん女性らしさを全開にしたら怖いことが起きると心の奥底で思ってるんでしょうね。
つまり「自分らしさを表現してはいけない」ということ。表現したら攻撃されると信じ込んでいる。
私がブログをやってることを知り合いのほとんどに言ってないのもそういう思い込み恐怖ゆえなのでしょう。「自分らしさを出してはいけない(怖すぎてできない)」というのは、私だけじゃなくこの国の女性の多くが抱いてると思いますがね。

そういえば小中高の好きな男子を思い返すと、共通点が浮かび上がってきました。
小学校
・1人で黙々掃除をしている私を大仰な演劇調でほめてくれたO君
中学校
・人と逆方向を行こうとするひねくれクールな水瓶Y君
・全部先生に楯突いては笑いを取る牡牛A君
・自分のクラスのみならずあらゆるクラスに顔を出して笑いを取る獅子座I君
高校
・超イケメンの朴訥サッカー少年牡牛K君
・全校生徒を笑わせることが生きがいの体育委員長・天秤S君

「ちょっと(かなり)浮いてる唯一無二個性の陽気な人」にいつも私は惹かれているようです。
この中で高校の朴訥K君は、個性としてはかなり地味ですが「超イケメン」という労せずして輝く個性に理想を見たのかもしれない。
労せずとか失礼だけど、ただ存在するだけで光っていたい自分を投影してたのかな…
基本はひねくれたり楯突いたり笑いをとったり…エネルギー使って目立とうとする人が多い。

私は私自身が「ちょっと(かなり)浮いてる唯一無二個性の人」になりたかったんだな。自分の中にそうなりうる「芽」を感じてたんだと思う。
でも目立つと何が起きるかわからない(特に女子)小中時代じゃそれは無理。
浮きまくってる人の個性が私にはキラキラ感じられた。10代はそれを遠くから見てるだけで、私は自分を満たせていたのかもしれません。

成人してからは牡羊はじめ火星座ばっかり好きになって、中には唯一無二でもない真面目タイプもいたけれどみんな陽気だったな。ストレートに自分を出すことを恐れない火星座のカラッと感を「わたし」として映し見てた気がします。
やっぱ私の月が獅子だから?「らしさ」のASCが牡羊だから?
月もASCも「自然なままの陽気な私」につながる。なのにそれを出せない・出すのが怖いという思いをずっと抱えてる。
彼らのほとんどの人が結婚願望ゼロだったのも、私の無意識とリンクしそう。
私には、自分らしさを曲げられるかもしれないこと全般に大きな不安があるんだと思う。曲げられるくらいなら隠す。結婚とは相手に合わせること、という思い込みがネガティブなまま更新されてないのかもしれません。

ところで次の以下の人なら誰を好きになりますか?
(サッカー観戦してるひとびと)

O:今、めっちゃ走り込んだ見事なシュートだったね(詳細をよく見つつ称賛タイプ)
P:うんうん、あれはキーパー無理だね(同じくよく見つつ同調できるタイプ)
Q:いや、取れるっしょ。始動が遅れたでしょ(よく見てたからこそ批判分析できるタイプ)
R:倒れてる人がいるよ、血が出てる(視野が広くけが人に思いを馳せるタイプ)
S:今日のアウェーのユニフォーム、かっこいいよね(見てるとこが人と違うタイプ)

現在の私の好きな人はSですかね。
今でも、あんま同調しない浮きタイプに惹かれるようです。つまり私に非同調浮き願望があるということ。
女性が結婚したがるとき、自分ではとても発揮できそうにない(と思い込んでる)個性の投影先を探してる、ということかもしれません。
普通でいなければ…という「べき」を重く抱えてる人こそ激しい人を好きになったりするんでしょうか。
自分では到底無理(と思い込んでる)業績を上げてるエグゼクティブとか天下取ったような人とか好きになりやすい人は、それができる潜在性が自分の中にあることを知ってるということなのかもしれません。
ってかそうなんだと思う。
だいたいそのブレーキは「他人の目」とか「強すぎる不安感」と思うので、そういうの突破できたらいいですね。すぐ飛躍に繋がるんだと思う。

 

鏡の実践についてはringoさんのサイトがとても参考になりました。
この世を鏡で見てみると、どうなるか?

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。