2022年9月の日記

・去年の自分と違うところ

1・「自分が悪い」とむやみに思わなくなった
2・「自分第一!」とまず思えるようになった
3・頑張りすぎないようになった

人生の半分以上に「反省」がつきまとってました。
でも「すみません!!」とどんなにほうぼうに頭下げても救われたことはなかった。
むしろ「どこまで反省・謝罪すれば…」という白目・「誰かダイレクトに私を罰して!」というマゾ思考。
反省して罰されて、「私」が完成するんだろうと思ってた。
実際は、「悪うございました」と思うほどに「ほんとだよ!」とか調子乗って言ってくるやつにメンタルをこてんぱんにやられる。
この負のループからやっと抜け出せた気がしますが、それは2、3とつながりますかね。
でも自分第一と自分勝手のバランスがなかなか難しく、今も罪悪感をなだめる日々。

罪悪感はマジ悪で、罪悪感が自分のほとんどを占めると嫌なことが続くんですよ。
「あなた悪くないよ・大丈夫」という反応を他人に期待するビクビク涙目の日が続くと、真逆のことを言われて青ざめるとか。
自分で自分を「大丈夫」と言ってやらなきゃならない。
「頑張り」のバランスも模索中ですね。
頑張ってよかった!と思うこともあるけど、頑張りすぎると神経が冴えて眠れなくなったり、疲労のループにはまりがち。
「もう本当は嫌だ(頑張りたくない)」という心の声を聞かないと、眠れないくらい胃痛になったりする。
このキリキリした胃痛に太田漢方胃腸薬がまたよく効きますね。

 

・プログレス月ーT冥王星スクエア

このアスペクトはなかなかきついですよ。
今何が起きてるかというと、母のこと(介護間近)とメンタル改造(継続中)
母は80代半ばで、強靭な胃袋と肉体を持っていた人なのに、もろさが忍び寄ってくるものです。
腰骨を折ってしまい、痛すぎる日々が続くと食欲もなくなるようで、ずいぶん小さくなった母。
私はその事態にハラハラし通しで、おまけに認知機能の低下も顕著に。
介護とは娘の半生を捧げるもの、、ではないと強く思いたい。
それにしても嫁の半生を費やすのが当たり前みたいな時代、あれ本当すごいと思うよ。
母もその1人だった。
でもあのころ景気良かったからね!
あと、今ほど「自己責任」とかじゃない時代だった。誰かしら助けてくれるような豊かな人間関係。
母もそれに救われてた記憶。

そのころを思い返してみても、今と世のムードが全然違う。
ふと、孤独と絶望に襲われる。
やっぱそういう娘や息子が多い時代なのか、かかりつけ医に母を連れていくと、看護師さんがすごく気遣ってくれる。薬剤師さんまでも!
「あなた1人で頑張らなくても、いろんな制度や行政サービスがあるよ」と能動的に教えてくれるんだからありがたいです。
そして兄がとても協力的になった。
これも去年と大きく変わったひとつかも。
自分のメンタルが変わるといろんなことが劇的に変わる。

 

・いじわる

真にいじわるな人はいないんじゃないかと思ったりした。
いや、いるだろうと脳内でツッコミが鳴るっちゃ鳴るけど(どっち)
少なくとも私にいじわるしてきた人は、私に脅威を感じてたんだな、ということがわかった気がして。
私の存在が、誰かの愛のルートの遮蔽となっていたらしい。
「おま、邪魔!」とかって肩をつかまれ、背中をどつかれる痛み。
お前(私)がいるせいで愛のチャンスが逃げた。
そんなような言いがかりは無数にあった。
私はそれに「正義感」で対抗した。
私正義、あなた悪。
私は正義の通せんぼポーズで「悪はこっちへ来るな!」と、リボンの騎士よろしく立ち向かう(時代ね)
しかし説得力がないので、「なんだお前!?」とボコボコにされる。そんなようなイメージ。
何が?って話だけど、特定のあの人やあの人を思い浮かべてる。
ボコボコはないよね、ボコボコは…と1人つぶやきながら猫のグルーミングが一生終わらない感じ。
いつまで傷舐めてんだっていう。
あの人やあの人が誰に愛を伝えたかったのか。
そのとき私はどの位置にいたっけと振り返れば、確かに愛の動線を塞いでた(無意識もあれば意図的のもある)と自覚した、という話。

いじめを許していいということではない。
ひどすぎる罵倒や扱い・人権侵害とは即刻距離を取らなければならない。
これまでの私は、わけもわからず「全部自分のせいですよね?」とむやみに謝ったりして自分で自分を貶めてた。まず自分が自分の味方になる…というのは大前提なんですね。
いじめをフェアに見つめようとするのは、自分がうんとたくましくなってからじゃないと無理。

 

・付き合いたいとは

好きな人とはやっとリラックスして雑談できるようになりました。
ここんところ自分の体調や家族のことばかり考えてて、恋愛どころじゃない!というのが逆に良かったのかもしれません。
リラックス=素の自分を出せるということで、私が素を出せば相手もどこかホッとする。
知り合って1年近く経てば互いのいろんな発見があり、相手はどうやら片付けられないタイプっぽい。
デスク周りが出社数分でごちゃっとなる。
でもそれで嫌いになるわけもなく。
去年の私はそういうレベルで良く見せようとしてたことが無数にあって、やっぱ恋にトチ狂ってたなという自覚。

去年の私はまた早い段階から「付き合いたい」とか思ってたし。
目的がそこだから、「付き合えそう」のラインから遠ざかるだけで落ち込んだり勝手に傷ついたりしてた。
今年の夏、私自身がすごく忙しい中で「付き合う・付き合いたい」という具体性がどんどん薄まって、それでも「あー彼と雑談したい」という思いは募ったりする。
それで「雑談」という願いはわりと早く叶うんですよ。3日とかで。前もそういうことありました。
「どうでもいいことを彼と雑談したい」というのはなかなか具体性のある良い願いと思いますね。
そうすると「付き合いたい」という願いがひどく曖昧に思える。
付き合いたいって何??
両思いになってデートを重ねて互いの家行ったり深い仲になったり…そういう一連のことが「付き合う」というパッケージになっているとしても、それは私が適当に詰め込んだだけであって、そんな夢セットは実際自分以外には知ったこっちゃないんだと思う。付き合う概念がたまたま好きな人と似通ってたとしても、どこまでもすり合わせが必要というか、「こんなの付き合ってるうちに入らない!」とかなりがちですよね。連絡頻度にしても既読スルー問題にしても。
「結婚前提」がパッケージに含まれるかどうか?というのも大問題。含まれてそうなら後ずさりする令和の草食系。含まれてるのに含まれてないふりをする女性たちの駆け引き。
世で言われる「付き合う」という概念をそろそろバラさないと、誰にとっても恋愛成就は難しいんじゃないでしょうか。バブルの名残というか遺物というか。
あの時代の「付き合う」は誰が見てもわかりやすいパッケージだったじゃないですか。
付き合うとはドライブデートで彼のお迎えから始まり、当然お代は男性持ちで、電話は毎晩、クリスマスや誕生日、はたまた彼の異動日がプロポーズの最大チャンスデー、とかとか。月9と中山ヒデちゃんが大体教えてくれた。
平成・令和と時代を経て、「付き合いたい」の中に「選ばれたい」とかいう承認欲求が入ってきてからますます複雑なパッケージになってしまったようで。

「彼と街ブラしたい」という願望も叶いやすいです。街ブラは何度もしました。
つまりデートということですが、「デート」という響きも昭和ですね。もはやAIも混乱しそう。
「今の私は彼と何をしたいか?」というシンプルな願いを見つめたいものですが、社会とか世間体とか「そろそろ」というノイズに邪魔される。
それとも、もっと一緒にいるうちに「付き合いたい」と純粋に湧いてくるものなんでしょうか。
性欲はまたそういう意味で叶いやすいんでしょうね。「付き合う」というパッケージからバラせばすぐ叶いそう。怖くてバラせないけど。
だから「付き合う」って本当曖昧だよ。個人差すごいある。
告白→付き合うという流れも化石化せずよく残ってますね、と思う。
「そんなの付き合ってるうちに入らない!」とか叫ぶ友達とかなんだったんだろう。うるせーって話なのに、「だよね…」って一気に別れに傾いたもったいなさ。
だから「一緒にいたい」→「付き合う」の段差がすごすぎるわけで。純粋な気持ちを急に社会的なジャッジに立ち向かわせる感じというか。
そうすると社会的なジャッジをとことん避ける令和の草食系男子が、安易に「付き合う」に乗るわけないという気もしてくる。「社会」を介在させない恋愛をしたい。それってどんなものでしょうね。

 

 

2022年9月の日記」への2件のフィードバック

  1. 深く考え込んでしまいました…。笑

    個人的には、「告白」を経て得た「付き合う=恋人という称号」は、互いに相手のことを好きだと誇示する・確かめ合う権利みたいなものなのかなぁ、と思ってます。「結婚」を経て得た「妻・夫という座」もしかり。対外的にもお互いにもハッキリと示せる形というか。形だけで、中身に何を詰めるかはそれこそ、お相手と自分のすり合わせ次第。nemoriverさんが仰るように濃淡はありますよね。

    女性も男性も1人で稼いで生きていける時代だし、かといって、結婚を経て子育てするにはお金が厳しいことも多いし…なんというか、ちょうど恋愛のスタイルも生き方も、過渡期で多様な時代なんだろうな〜と思います。絶対的な正解というか王道ルートがなくなっている気がします。逆に考えれば、みんな好き勝手やってもいい時代なのでは?とも思ってます笑 自分の満足を自分で見つけなきゃいけないから、苦しいっちゃ苦しいですが…。

    私は1人じゃ寂しいから、好きな人と一緒にいたいです。自分だけじゃ予定調和で飽きちゃうなぁって。好きな人を見つめて「かわいい〜おもしろ〜い」ってしてたい!って感じですねぇ

    1. ふむさん

      コメントありがとうございます。
      考え込んでいただいたとは…!
      結局、私の「付き合いたい」パッケージが複雑化してるんですよね。
      でもやっぱ告白されて付き合いたいですよ笑
      30代男性って平成以降特に「社会性」がプレッシャーになってる気がして、そんな敏感な彼らに「付き合う」を求めるのすらもしや難しくなってる?と思ったんですよね。
      女性はやっぱり称号や権利得たいでしょうよね。時代が自由になったとはいえ保守化も進んでるしね。
      恋愛の過程もスタイルも、多様化がもっと目に見える形だったらなんか安心できそうと思いました。
      私も今でもパートナーを求める気持ちがあるのですが、相手をかわいい〜とか日々思いたいです!それを付き合うに置き換えて願望としたいと思います😊

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