2022年10月の日記・歌舞伎と愛読書

・平成中村座

浅草に歌舞伎を観に行きました。
場所は浅草寺の裏。
昔、勘三郎さんご存命のときに2度、平成中村座を観に行ったことがあって、その後勘三郎さんが亡くなって。(「愛らしいお方」)
大きなショックを引きずったままの数年。
また歌舞伎を観に行こうという気にならない時期がとても長かった。
でも今回、観に行こう・行きたい!!と思えたのは…
宮藤官九郎が新作歌舞伎を書き下ろす!!!
と知ったからであって。


歌舞伎美人HPより)

タイトルは「唐茄子屋」
唐茄子とはかぼちゃのこと。ハロウィーンの時期だから?
サブタイトルは「不思議国之若旦那」
ふざけてる…それがクドカンっぽい。
大体役名が変じゃないですか。
亀蔵さんがカエルのゲゲコ、扇雀さんがゲコミ。信じらんないですね。
またうれしいことに鎌倉殿でおなじみ・坂東彌十郎さんも出演。
時政パパのあの声が懐かしかったです。
中村勘九郎さん・七之助さん、勘九郎さんのご子息・勘太郎さんと長三郎さん大活躍でした。
私が観に行ったのは第二部ですが、第一部では中村獅童さんとご子息・陽喜くんも出演されてたそうですね。

舞台は幕が開ける前から何やら騒がしく、幕が開くと祭りが繰り広げられてた。
吾妻橋でお神輿が踊る。
それを冷やかしに花道から登場したのが荒川良々さんだってんだから、そこからもう笑いっぱなしでした。
いや〜はちゃめちゃでしたね。
まさかの下ネタが展開されたときだけ客席が静まった気がしたけど、みんな引いたかな?(私はびっくりしつつちょっと引いた)
勘九郎さんは勘三郎さんそっくりの声でしなやかさで丸みだったし、七之助さんの花魁姿が美しかった〜。
第二部の二がクドカンの唐茄子屋で、一が「綾鼓」という有吉佐和子さん作の演目。
扇雀さんと、ご子息・虎之介さんの年の差師弟愛の物語でした。泣けた…

平成中村座といえば、「仮の舞台小屋」という親しみやすさがなんとも良いのであって、小屋はコンパクトだし、歩けばミシミシするし、トイレも仮設ながら「最上の仮設にしよう!」という舞台関係者の意気込みを感じて清潔感も完璧。あちこちに感動しまくりでした。平成中村座ってこういう手作り感が本当にあったかい。
また浅草寺ってつくづくいい寺だな〜と思った。
なんかいっつも明るいんですよね。
本堂の奥に、笑ってる勘三郎さんが常にいらっしゃる気がなぜかするんですよ。

 

・誰もが調子悪い時期

今ひょっとして、「調子悪い」って人多いですかね?
最近思うのは、自分が調子悪いときってみんな悪そうだな、ということ。
なんかリンクし合ってる気がするんですよ。
この間そう思ったのはエリザベス女王が亡くなられたときで、あと安倍元首相の事件前後とか。
大きな事件の予兆キャッチで不調というよりかは、メンタルのさざ波が無意識でつながってんじゃないかと思うんですよね、やっぱ。
メンタルに限らずですけど。腰痛とか疲労とか。
Jアラートが鳴った前日に私は外国からミサイルが飛んでくる夢を見て、耳をつんざくような轟音におののいてた。
こういうのって証明できないだろうけどさ、いつも読んでるあの人のブログで心を落ち着けよう…とか思ったら数日更新されないこともあったりして、のちにそのブログ主も調子を崩してたと明かしてくれる。なんだ、みんな不調だったわけ?と、そんなこともあるあるな気がしますね。

今、また不調な感じ。ここからどんどん下がるのか、明日になればケロッとしてるのか。
でも前よりは深く落ち込まなくなってます。
自己肯定の土台がやっとできてきた気がするから。
「自分を見つめるワーク」も終了しました(→ringoさんのワークでした)
自己肯定感が安定してくると、不安感がなくなり、むやみに自分を責めなくなる。
この不安感と罪悪感がどれだけ心に毒かというのがわかったし、何によって不安と罪悪を感じるかというと、「べき」という社会的な視線。
仕事、親、振る舞い、年齢、性別、外見。
どんなに仲良しで信頼し合ってる相手でも、ふとしたときに「あ、相手は普通なのに自分はヤバイ!」とか思ってしまうと、心が急にグラグラしてくる。
最近思ったのは、どんなに仲良しでもずっと連続でしゃべるのは控えようということ。例えば3時間とか。
40代って確かに「肯定年齢」とは思うのです。
「そうだよね〜わかる」って本気で感じられる丸みが育つというか。
でも40代って、若い頃に抑えてきたことが最も噴出しやすい年齢と思う。
だから「わかる、わかる」とか言いながらも個性は抑えきれなくて疲れちゃうのかなって。
抑制って矯正にはならないんだなと。
カドを抑え込めたら、なんか理想的な人になれた気がしたけど、40代で「カドの削られた恨み」がよみがえる。いっそう鋭さを増して。
カドこそ唯一無二の自分らしさだったのにね。

そんで今はカドの個性派宣言をゆっくり受け入れようとしてるというか、それがうまくいかないときに不調になるのかもしれない。「べき」もまた鋭く侵入してくるから。
でも今は職場で「やっちまった〜」と個性噴出に悶えても、帰宅後に「結局それでよかったんだよ」といたわる。
前までは家でも反省会だったですよ。
おかずが家にあるのに、弁当を買って帰った日とかも。今はそれを堂々喜んで食べる人になりたい。
「おかずが家にあるから」と無駄なことまったくしない人にならなくたってよい(前までそっち目指してた)
無駄なことを欲してる自分を今は楽しみたいですね(インタビュー調)

 

・最近よく読んでる

田房永子さんの漫画・エッセイをこの1年で4冊買いました。
全部で7冊はあると思う。
この間買ったこのエッセイがむちゃくちゃおもしろかったです。
すごいタイトルだけども。

タイトルは刺激的だけど、セックスの話は最後の最後の方だけ。
それまでは男女の性差の話、女の息苦しさの話がメインです。
田房さんといえば「母がしんどい」であり「キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜」であり、これも買いました。
私にとって、「メンタル部門の親」のよう。
キレやすかったり罪悪感が強すぎることへの対処法を泣けるほどに模索しまくる田房さん。
自分は一体何に困ってるかもわからず(ただ混乱)、どこに相談に行けばいいのやら…という疲労感がハンパないときに随分救われました。
また同世代だからか、世代の話がめちゃ楽しいです。というか田房さんは何を表現してもユーモアと真剣さがあり、「男と女」「フェミニズム」についてこんな真剣に考えてる同世代を私は知らなかった。
そんで、なぜ知らなかったか→そういう時代だったじゃないか、ということまで書いてくれてる。
そうだよな〜あれこれ疑問や嫌悪感を感じても、それを認識することすら許されてないような時代に10代・20代だったよなと。あのころの痛みに遡るだけで過去も癒やされていくような田房さんの表現です。

私が田房さんを知ったのは、数年前noteをやっていたときに、とある記事を引用リツイートしてくれたことがきっかけ。
プロフィールに漫画家と書いてあって、舞い上がった。
私が書いたものを確実に読んでくれてる人がいたんだという実感がぶわっと湧きました。
しかもツイッターでのリツイートだったので、自分の文章がnoteという場を超えて誰かの目に届いてることは、感動でもあり少し怖かったのを覚えてる。
だって漫画家さんのリツイート。お取り巻きから心ないジャッジコメントが来るんじゃないかと怯えたけど、それはうぬぼれもいいとこでした。

田房さんは「性」の話も真剣で刺激的でむっちゃおもしろいですよ。
刺激的だけど経験豊富者特有の遠さとかじゃない。
数々の妄想は確かにヤバめなのに、「あ、いいんだ」という開放感を覚えますよね。私の中の鍵も外されたような。
「男の子の育て方」で感動したのは、田房さんが占い師に言われたことが詳細に書かれてるとこ。占いを否定しないってだけで嬉しいですよ。
文章が全部面白い。電車の中で笑い声を漏らしてしまうのは辛酸なめ子さん以来。
田房さんみたいな文章書ける人になりたい。
「8」のつく日に届くメルマガも今とても楽しみなんですよね。

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「クリエイターズファイルEXPO」を観に京都へ行った

この3冊も持っています。
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