心のオカン2022年現在

誰か・何かを「すごく嫌」と思ったとき、「事態がこうなってくれたらいいのに」と思えるならまだいいほうで、大抵は嫌と思う心を封じてしまう。

今日、怖いあの人と仕事のペア!とわかっても「あの人早退してくれたらいいのに」という願いが叶うことはほぼないので、「無」になろうとするか「きっと大丈夫」と前向きを心がけつつ「すげーやだ」のミックスでもみあげに鳥肌も立つ。
結果、嫌いな人にこびる振る舞いをしたりとか、「こびない」と決めつつ「余計嫌われたかも」と、いずれにしろ自己嫌悪に陥るのが私のパターンです。

 

先日、苦手な人と仕事が一緒だった。
なぜ苦手かというと極度に愛想が悪い人で、何を話していいかわからないから。
挨拶しても、返してくれたんだかくれてないんだかもわからない。心は折れかかる。
その日はとある路線が人身事故でずっと止まってて、その人は沿線に住んでるので「大丈夫でしたか?」と声をかけてみた。

「はい」

「はい」だって立派な返事なのに、なぜか私は怯えてる。どんな答えを期待したんだ?
「いや〜危なかったけど大丈夫でした」とか、マスオさんみたいな振る舞いを期待したんだけど、愛想悪いとわかってる人がそんなこと言うはずはなかった。
その人はもともと「ここは仕事場だから」というような誰とも群れない人だし、私からの問いかけや雑談なんて望んでないのだろう。

けど、やけに落ち込んだんですよね。
その人に特別思い入れがあったわけじゃないのに、なんかすごく嫌だった。
嫌だ嫌だ…ムカつく。本当にムカつく。悲しい。後悔。すごい嫌だ。
感じまくってみた。

そしたら翌日もその人と仕事のペア!
連続って珍しいのに、あれだけ嫌と感じたあと。あぁ嫌だ〜。
今日こそむやみに話しかけない。傷つきたくないから。

そしたらば雑談が弾んだ!第三者を交えてだけど。

 

「誰かを嫌だと思う」って、どうしてこんなに罪悪感湧くんでしょう。
嫌だ…嫌いという感情が湧くと、「そんなこと言うたらアカンよ」という関西弁のオカンまで心に湧いてくる。(なぜ関西弁かというと、「舞いあがれ!」の世界に今どっぷりだから)
嫌いとか言わんと、みんなと仲良くしぃ
そうやって諭す自分がちゃんと出てくる自分って健全、とむしろ思ってた。

「せやな…」

朝ドラでも、お母さんの忠告を素直に受け止めて翌日「あそぼー」と明るく切り替えられる子が愛される。
でもこの間はなんか溢れて切り替えとかできなかったんですよ。
「嫌だ・悲しい・ムカつく」という感情をしっかり感じた。
その日、心のオカンは「せやったんか。つらかったな」、、と言った気がした。そういうオカンを私が選んだとも言える。
自分の嫌悪感を自分がしっかり受け止めたというか。

 

また別の日。
これから実家に帰るという道のりが重かった。
最近は母親も認知機能の衰えが目立ち、実家に帰ると「あれもこれも片付いてない。びっくり!」ということが増えて、そのたびにがっくりする。
帰りたくない…つらいなぁ…
嫌いな人もそうだけど、特に母親に対してのネガティブな感情って、「そんなこと言ったらアカ」という心の語調が強まる。
あんたを生み育ててくれた人なんやで…
うん、わかってる。でも・・・

私は今まで「心に蓋してきた」ってことが相当多かったんだ。
何思っても自由や。そうか、嫌なんやな…」という全肯定のオカンも心にいるはずのに、あまり登場させない。そのほうがポジティブに乗り切れると思ってた。
特に親・母親って、「高齢パターン」「衰えが目立ってきたパターン」とか「型」がいろいろあって、「ほな、病院連れて行き」とか、「あの医者がだめなら他当たり」とかアドバイスまでしてくる。
そうするといよいよ「心」を真っ正直に感じる余裕がなくなり、「どうすべきか」とかってまた「べき」を探って疲れるんですよ。極度の疲労が実は続く秋だった。

今年はワークで「とにかく心の声を聞く」ということを徹底したやってきたこともあるけど、その心の我慢がいよいよできなくなってますね。
蓋をし慣れてきた分抵抗もすごいんだけど、正直に感じまくって全肯定のオカンに癒やしてもらうんだ。
ええよ、ええよ。よう頑張ったもんな…

 

とことん感じて自分で自分を癒すようになったあと、最近は奇跡を感じることも増えたような。
苦手と思ってた人との雑談もそうだけど、実家のことも前よりしゃかりきに取りかかれるようになった。自然に体が動くというか。ただ無茶もしない。それでも罪悪感湧かなくなった。
私は母を昔から、衰えた今もずっと「母親」として見てたことにも気づいた。
「母親なのに」という押し付けの目を向けていたというか。
その分、自分に対しても「娘なんだから(これくらいやんなきゃ)」と厳しい何かを課してたみたい。
母にも自分にもむやみに社会的なハードルを高く設定して押し付けて、疲弊した心で顔を合わせても幸福感は薄い。
そして母はずっとだらしなくなった分、私にも何も期待してないことにも気づいたりして。
その後、ケアマネさんとヘルパーさんに来てもらう手はずもスムーズにいきました。実家へ向かう心が軽くなった!

 

好きな人とは数週間会えてなくて、なのに「寂しいな…」という気持ちすら蓋しそうになる。
好きな人のことを考えると、「私のことどう思ってるんだろう?」ってことばかり頭に浮かぶのが嫌になるので、会わないのをいいチャンスと、「無」を目指そうとしていた。
しかし想いをちゃんと感じまくってみる。
好きな人へのモヤモヤとかまた蓋しがちなんですよね。
100%好きってことないはずなのに、100%と思おうとすることでなんかギクシャクしちゃう。
「好きじゃないかも」という気持ちでオセロ盤がひっくり返りそうで怖いしね。

でも最近の奇跡続き。ここは正直に恋心とモヤモヤ両面感じまくってみる。
したら!LINEの返信が1分で来た!!業務連絡だけど。
でも今まで既読スルー男だったですよ。
その後、久々職場で会えたときも話しかけてくれて話が弾んで。
想いに正直になった方が、どんな面も受け入れられそうな筋肉が育つ感触を得た。

 

ネガティブな思いって自分に対しても言い訳しちゃうことがある。
「〇〇だから嫌い」とベストな正当化を必死で考えてる。
それがまた疲労のもとで、いわゆるいい人に対して嫌悪感を抱いたときは正当化材料が何も見つからずに「あんないい人を嫌う自分」を責めたりもしますね。

あんたは嫌いなんやな。よっしゃ味方したる
という声を内側で響かせないと、罪悪感で死にそうにもなるじゃないですか。
パートナーや親きょうだいに全肯定を求めても叶わないことはいくらでもある。
自分しかいない。どんな局面でも味方してくれるオカンを育てられるのは自分だけ。オカンじゃなくてアバターでもなんでもいいだろうね。
どんなに残酷なイメージで誰かに濃い感情を抱いても、それをちゃんと見つめて「そう感じてる」と自覚するほどに奇跡が起こる気がする。
しかも奇跡って、「苦手な人と距離が取れて嬉しい」とかじゃないのがまた不思議で(そういうこともあるけど)すごく順調に会話できたり愛着が倍増したりするんですよね。
苦手で向き合いたくないこの人と、本当はこうなりたかったんだなということは、奇跡が起きてから気づく。
奇跡の方が私にベストな展開をカスタマイズしてくれるような、不思議オカン体験のメモでした。

 

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