自分のテーマ・やりたくないこと

自分のテーマって自分が決めるのか人が決めるのか、なんとなくにじんでくるものか。
人生の折り返し地点でなんとなく感じられてくるんですかね。
それとも一生わかんないのか、テーマなんてものはないのか。

でももし自分の人生テーマがあったとして。
それをホロスコープで見るなら太陽ーオポジションのサインじゃないかなと。

 

私だったら太陽蟹なので、蟹ー山羊ラインにテーマがひそんでいるといえそうです。
ずばり「家族ー仕事」「身内ルールー社会的なべき」

「社会的なべき」と書くと少しネガティブですが、「社会的活躍」とも言えるかもです。
家ではあんなに甘えたがりなのに、仕事となるとしゃかりきに仕切ったりする。ベテラン・重鎮扱いされてたりとか、蟹座にはそんな人が多いように思うし、山羊座の人も「家と仕事」が同時に浮かび上がるような活動ぶり。
もちろん家族がいる方は誰しも「家ー仕事」ということが大きな柱と言えるでしょうけどね。

例えば私の知り合いは双子ー射手のリーダー率が高い。
結婚して家族がいる方もいれば、夫婦だけの方もいる、独身で実家の家族に寄り添っている方もいて、そんで役職についている。
またリーダーではないけど、このたびシングルマザーとなって世帯主となった方もいる。
親の介護の中心に立ってる人もいる。
不思議なんだけど、個々人と話すといずれも「責任とか無理」「仕切りたくない」「面倒は嫌」と言う。
なのに結果的にリーダー的立場になってる人がとても多い双子ー射手。

双子ー射手に特別「リーダー」というキーワードはないはずで、むしろ双子座は責任から積極的に逃げようと、目立たないように集団の後ろの方でコソコソする。
おとなしくしてんじゃなくて、コソコソしゃべってんですよね。射手座なら堂々しゃべってる(笑)
校長みたいな人に「コラ、そこ!」といつでも指さされるのが双子ー射手というイメージ。
それなのに結果、大事なことをきちんと仕切っていたりする。

人のテーマを私がとやかく言えませんが、双子座をあえて「無責任(責任嫌い)」とさせてもらうと、なんだかんだ「無責任ー責任」がまとわりつく人生なんじゃないかと思ったんですよね。
「自分は責任がとにかく嫌なんだ」ということを、人は双子ほど意識するでしょうか。
そりゃ私だって嫌だけど、話せばいっつも「面倒から逃げたい」と言う。「私はそこまで嫌じゃないかも」と思うほどに。
射手も「めんどくせー」とか言うけど、不思議に射手には「やれそう」という未来がにじんでますね。
双子ー射手の人は、いずれ自分の人生に「責任」が関わってくることを知ってるんじゃないか。
そんでまんまとリーダー的立場になるんですよ。責任をしっかり背負いきる運命性。

山羊ー蟹はリーダー選抜に前のめりだと思う。
「やれるよ」という表明をするとき、みんな小栗旬が顔ににじみますね。
「ありがたい!」ということで人はまんまと山羊ー蟹に責任のバトンを渡しますが、私は「渡したが最後」だと思う。なんてね。
それは言い過ぎだけど、山羊ー蟹のリーダーには「政治」の要素が色濃くにじむ。
初期こそクリーンだとしても、だんだんと身内びいき・権力のしがみつき・気に入らない人の排除という腐敗臭が漂い、誰も意見を言えない状況がじわじわ形づくられていくというか。
山羊座の小栗旬さん演じる北条義時がまさに今こうなっちゃってるという。またぴったりな人選でまた…
それに2008年に冥王星が山羊座に入ってからは、現実の政治もずーっとこんなんだと思う。
日本だけでなく海外も。

もちろん山羊ー蟹でも素晴らしいリーダーはたくさんいると思う。
でもなぜか「嫌だ嫌だ」言ってる双子ー射手に、人は何かを背負わせたがるし、そういう人の方が前のめりタイプよりうまくまとめてくれることを知っているようです。
たぶん「責任」が根っから嫌だからこそ権力に無頓着でいられるし、「嫌だなぁ」という堕落同類タイプの気持ちもわかるからこそ、人の気持ちをゆるく上向かせることができるんじゃないかな。
射手座のキーワードに「裁判」があったりするのも、「ジャッジ」の適性があるということだと思います。
山羊ー蟹だとどうしても「正しさ」がジャッジの軸になる。
それは多くの人が当然望む在り方だとしても、とても恐ろしいことでもある。
「正しくない」といったん見なされれば排除への加速がつくから。
本当にずっとそういう世相だったじゃないですか。

双子ー射手は何をジャッジの基準にしてるのでしょうね。
わからないけど、「人の言い分」を公平に聞く力はある人と思う。

 

そう考えると、もしかしたら「嫌で嫌でしょうがないこと」の中に自分のテーマが潜んでいるんじゃないか。
私は20代後半で一人暮らしするまで家事とか料理が苦手で、みんなでキャンプとか行っても包丁は絶対握らないし(握りたい人に即譲る)、ホームパーティーでも手作りのものは今でも持参しない。
ところが一人暮らしをするようになり、おまけにアレルギーが多数判明したこともあり、自炊中心の現在。
掃除や片付けは得意じゃないけど、なんと実家の家族が私以外全員、汚部屋気味の人なので、必然的に私が実家の整頓・年末の大掃除をすることになっている。
太陽蟹的に家事・掃除を結局やんなきゃならない人生というね。
母だって母親なりに家事・掃除をしてましたけどね、仕事や姑の介護などで忙しかったので、フォローしないとどうしようもなかった。
そして今は母も年老いて趣味の草むしりもできなくなっていますが、今、私が一番やりたくないことはこの草むしり。
でも結局、業者などを私が手配することになるんだと思う。
あと障子やふすまの張替えとかいろいろ。
「実家を守る」
私が最も避けてきたことですが、なんとも蟹座っぽくその道が敷かれている。

でもたぶん人生テーマって、そういうスケールじゃないはずで。

 

相変わらず河合隼雄先生の本を読んでいますが、河合先生は「運命性」という言葉を時々使う。
特に男女が夫婦として出会ったその運命性・相補性には「よくできてるもんや」と、運命としか思えない相手をみんな選んでると。
出会いがお見合いや紹介だったとしても、不思議とお互いの人生を補う相手。
「離婚したいと思ってる」というその時こそ、この夫婦でしか乗り越えられないテーマが立ちはだかってると。
結婚だけじゃなく、人は脳みそ以上に「無意識」みたいなものが自分の可能性をよく知っているようで、例えばとある道に進むのが怖いと思ったとして。
でも進まなきゃいけないと思うし、なんとかその道を避けようとも思う。
でも「その道」が自分の中に存在してしまってるということは、「進む道」なんだということ。
それを進んだら今までの自分じゃなくなってしまう気がして怖いから逃げたくなる。
生まれ変わらなきゃならないのがつらいから。
でも、たぶん保証されてるんでしょうね。自分の内部に浮かんできたということは。
「こっちだよ」という道しるべでもある。
本当かよ…と思うけどね・・

ただそれはなんでもOKというわけじゃなく、殺傷願望とか不義理なこと、それはそれでバランス崩壊の危機的サインっぽい。
暴力はNGとして、例えばどうしようもなく堕落の道に流れたり、布団から一歩も出られなかったり、大げんかをしてしまったり、破滅的な行動も「進むべき道」の前での悪あがきなのかもしれません。
河合先生はそういう「外れたような」行動こそが「自分らしさ」だと言う。
なんとかして「自分らしさ」は表に出たがってるんですよ。
ずっと抑えて一生が終わるわけもないし、終わらせてはいけない。

「自分のやりたいこと・やるべきこと」を見つめるよりも、案外「絶対やりたくないこと」の中に人生テーマ「進むべき道」があるのかもしれないですね。
といって、ノイローゼになるほど「嫌なこと」と向き合わなくてもいいと思う。
不思議なことに、嫌で嫌で逃げても追いかけてくることってあるんですよね。
それに向き合おう・受け入れようと観念したときに思いがけない適性が現れたりして。
今度誰かつかまえて、「絶対嫌なこと・これだけはやりたくないトーク」をしてみたいと思います。

 

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