頑張りたくない心B

この間、コンビニで買った弁当に髪の毛が入ってた。

幸い、いくらも口つけないうちに気づいたけど、ふたをかぶせた。

一瞬迷った。食べちゃおうかと。
その日は仕事ですごく疲れてて、おなかも空いていた。
「気にしないで食べる」というのもできた気がするけど、やっぱ気持ち悪い。コンビニに電話。

「お持ちくだされば返金します」とのこと。

 

その日は仕事ですごく疲れてて、疲れてたからお気に入りの弁当を買うためなかなか遠いコンビニまで行った。手作り弁当が豊富だから。
しかしお目当ての弁当が売り切れてた!
仕方なく買った弁当をぶら下げて20分以上かけ帰宅。
そんで、いざ実食!という段に髪の毛という。

「お持ちくだされば返金します」か・・・

買ったものに不具合があった場合、それを返しに来てくれれば返金というのが一般的な対応というのはわかる。
でもその「お持ちする」が面倒すぎて、すでに腐ってた野菜を捨てたことも何度かある。
今回もそう言われるだろうと予想はしてたんだけど。

 

対応してくれた店員さんに、バス停2つ分くらいの遠さで、今からそこに届けにいくのにはもう疲れ過ぎていて…とうっすら愚痴ると、「では明日でも構いませんので」と言う。
明日も何も、自分でもなぜこんな遠いとこまで赴いてしまったんだという場所で、でもそれほどそこの弁当を食べるのを楽しみにしてたというわけで…そんなことも切々訴えつつも、「自分はどうしてほしいのか?」ということが自分でもまとまってない。
「店長に相談してみます」と、店員もどうすべきか困ってる様子を感じながらひとまず電話を切った。

 

店長が直接電話くれるらしいのに、一向に来ない。
しびれを切らして弁当を返しに行ったんですよ。

コンビニに着く手前で大粒の雨が頬に落ちた。
そんで弁当を返し、うっすら期待していたお茶などのサービス品なども一切なく、店を後にする。
外は土砂降りで、その中をまた20分以上かけて帰ってきたわけで。

 

こんなに不運なことってかなり久々だったですね。
ムカついて悲しくて怒り!!という出来事はいつ以来だっけ、と。

店員さんに怒りはないんだけど、「髪の毛が入ってたことのショック」と「返しに来てくれれば返金対応」のなんか釣り合いの取れなさ、そのやるせなさを飲むしかないことが悲しすぎたというか。
しかも店長は終始、「あーなるほどー」という軽さ。
私のほうがクレーマーになりそうな危うい反転の予感もあり、「じゃあもういいです」と帰ってきた。

 

まぁ、こういうこともあるよね。
で、済ますことができない。
そんなことができる人は心が強靭なんだろう。
星の影響が何かあったのかもしれない。
この日は春分の日前後で、ここらで歯を折ったり高熱出たり大変なことがあった人が周りにもいた。

なぜこんなことが起こったんだろう。

ひたすら考えてみた結果、「自分の声を無視したからかもしれない」と思った。
あの日ものすごく疲れてた。
「おいしい弁当を食べたい」というのも私の声ではあるんだけど、もっと奥底の声は「もう歩きたくない」「早く休みたい」

心の声を無視したり肉体を酷使すると、この自分が自分をいじめるのかもしれない。
「頑張る」っていつだって美化されるけど、頑張りすぎて死にそうになってる人を何人も見たし、自分もまた頑張りすぎて、大事なものをどこかに置いてきたという体感がある。

頑張ったほどに良い景色が見える。
そういう登山みたいな体験こそ自分らしいという人もいるとは思う。
私は違うかな。
頑張って走り続けた結果いつも吐きそうになったり、気を遣いまくった果てに頭痛で苦しんだり。
また恋愛がこれまた頑張るほどに相手が離れるという、あの頑張りの報われなさには「いいかげん気づけよ」という何か真理が横たわってるはずで。

 

特に行きたいわけじゃなかった旅行に誘われて行って、「楽しかったよね!」という共感に最初は「そうだね」と答えるものの、「本当に楽しかったよね」「一番何が楽しかった?」という追い質問・追い共感にブチ切れて、最終日を台無しにしたことがある。
今回の弁当事件は、ちょっとこれに似てる気がした。

階層Aの心:頑張ったからおいしいもの食べたいよねぇ。
階層Bの心:まぁ、そうだけど疲れ切ってるね。
Aの心:あそこのお店でおいしい弁当食べよっか。
Bの心:食べたいけど遠いよね…
Aの心:でも、あそこがだめなら斜めにも弁当屋あるし、ね、選択肢たくさん!
Bの心:何軒も寄るほど元気はないんだけど…

階層Aの心は、ついにBの声を押し切って行動した。
実はこういう押し切りによる失敗は少なくない。
残業で疲れ切ってるのに「自炊のために頑張る心」がスーパーまで遠回りさせて、結局欲しいものが売ってなかった(遠回りの意味がなかった)とか。
しかも疲れすぎて眠れない。
Bの心が「ほら見ろ!」と怒って興奮・拗ねまくり、「そんなに頑張りたいなら起きてれば?」と、心が復讐でもするんだろか。
「だろか」って自分のことだけど、そうなんじゃないかと感じつつある。

心から満足してないときに限って、「楽しいよねぇ」と共感をしつこく求める存在が現れる。
ニコニコ笑顔のその人は、「嘘ついてるだろ」と何もかもお見通しの「自分」なのかもしれない。
その問いに「うん、楽しい!」と答えられなければ帰った方がいいのだろう。
帰れないなら1人静かに場を離れたり。
そうじゃないと誰かにアルコールひっかけられたり、鉄道事故で帰れなくなったりする。
そんなような経験も何度かしてきたな。

 

でも本当久々だった「嫌なこと」
ここ半年くらいずっと生活が穏やかだったんだな〜と気づいた。
「自分の快適さ第一運転」がやっと上達してきたということかな。
頑張りたい階層Aの心の奥には「不安」がある。
その不安を自分でなだめることができてきて、「頑張らなくても大丈夫」が通常運転になったら、ずいぶん図太くなったかなと。
比例して腰回りも太くなった。動かないからな。

昨日、ナジャさんの本を買って寝る前に読んだ。
ナジャさんがまた頑張らない人でまた…
1ページ目からナジャさんの声が聞こえてきそうな文体に癒やされました。

 

 

 

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