集まるのが苦手

「集まろう」というお誘いが2つ続いた。

1つには先日行ってきました。
親戚の集まり。
無事終わったことにもうホッとして…

その日を迎えるまで妙なプレッシャーが続いてた。
複数人で集まるのが苦手で。
そんな構えることもないだろうけど、神経を使いすぎてしまう。

 

私は1人で楽しむすべを今やもうたくさん知っている。
だから寂しい思いはさほど抱えてないんだけど、仲間で集まって楽しそうな光景ってやっぱ華やかさがありますよね。
あんなに酒飲んじゃって…って冷ややかな視線を送りつつ、自分も集団の中でいやにはしゃいでた時代あったなぁと。
同期で海に行ったりした過去は確かに青春でした。

でも、ふわっと懐かしく思うだけ。
別にあのころに戻りたくない。
あのころなりに各々の心の機微を推し量る面倒さはやっぱあったし、「じゃあねー」と別れたら、そのうちの誰かが誰かに愚痴とか悪口とか言ったりしたんだ。
どちらかというとその愚痴とかで、より何かが満たされた。

私は集団の中じゃ抜け駆けタイプといえるほうかもしれず、そんなんで小5、6とかにグループ内で警戒されたりした。
グループに入っても、その中の1人とすごく仲良くしちゃうから追放宣告を受ける。
追放宣告。小学生って本当残酷。

まだほんの小5とかでも、グループ内の「誰かと特別に仲良くなることはナシね」という暗黙の決まりがあって、それがとにかく理解できなかった。
それなのに誰かの結婚式に行けば、自分よりずっと歴史の古い友達が招かれている。
みんなどうやって親友を作ってきたんだ?
私は抜け駆けタイプのくせに、誰かの昔からのオンリーワンになれてないじゃないか。
なんでだ?

 

集まりへのお誘いを面倒がるって、すごく罪悪感がある。
せっかく誘ってくれてるのに。
誘われるうちが花。
とかとかね。
でも「集まろー」ってLINEグループが盛り上がると憂鬱になってしまう。
しかも「集まり」ってなぜか微妙に薄い間柄でこそ盛り上がりますよね。そんな話したことないのに、また集まろーってなる。
同窓会で「また集まろーぜ!」って熱い握手求めてくる男と、「イェーイ!」ってキャピつく女子はどっかのエキストラなんかな?
集まるってなんだろか。

集まりたい気持ち。
集まりたくない気持ち。

私はみんなが元気ならそれでいい。
近況はさほど関心がない。
というか、関心がある人としか会いたくないし話したくない。
これが本音かなぁ。

複数人の中でバランス取ったり、誰の話にも笑って共感したりとか、すごいなと思う。
私は自分をそう装う。だから疲れるんだけど。
自分の個性をうまく出せてないから疲れるのか。
でも今までの苦い体験も忘れてない。
自分の話題が一刀両断されたりとか、ジャッジされるようなこと。
笑われることはなんであれ良きことと思って毎回臨むけど、なんかすり減るような疲れが残ること。
「報告」のネタを絞り出すこと。

自分が自分を道化にするから、「今回も何かネタないの?」と言われる。自業自得。
ってわかってるんだけど、複数人だと私はリラックスできないかな。

また私がやりがちなのは、大事な人をないがしろにすること。
複数人の中に大事な人がいたとすると、ほかの数名は私にとってお客。
もてなそうと余計にサービス精神旺盛になる。
そういうとき、大事な人の方をずっと見てないことに気づく。
大事だからこそのパラドックス。
あとでフォローする。なんかちょっと鼻声みたいじゃない?とかこっそり。
1対1の場でしか挽回できないというね。
男女でも家族でもそうなる。

 

「日曜の夜ぐらいは…」っていいドラマと思うけど、3人のバランスにちょっとヒヤヒヤする。
そんで案の定、清野さんとケンタの距離が近づく。
そうなるんだってば…誰かは抜け駆けっぽくなるんだって。それをルール違反みたいに言うなって…(え言ってない?)

 

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です