「おむすび」をなんだかんだ毎日見続けてます。
ネットでは「ちむどんどん」が引き合いに出されがちだけど、あれよりはずっとちゃんとした朝ドラと思う。
もしこれが「きょうの健康」のタイアップドラマだったら、丁寧で優しげな描かれ方と思うんですよね。
「おむすび」は基本明るさに満ちていて、かつ震災を体験した人たちの深刻さや拭いきれない感情も掘り下げられていた。
なのに物足りないと思っちゃう。
最近のNHKドラマの進化度を思うと、ちょっと異質さはありますよね。
どうした?というツッコミどころも結構ある。
例えば今日とか。
夫の翔也が結の隔離マンションを訪ねたとこですよ。
コロナ禍真っ只中のシーン。
「ドア開けなくていいから、ちょっと話いいか?」と、娘・花がクラスで「親が病院勤務」であることの悪口を言われて、落ち込んで帰ってきたと語り出す翔也。
いや、ほかの住人に聞こえちゃうだろ!というのが気になった。
病院勤務であることがとてもセンシティブなことだったあの時期。
なぜそれを共用廊下で話すのか・・電話じゃだめだったのか・・
というより、「お前はなんも気にせず働け」とか言うなら、もっと時間経ってから話すんじゃだめだったのか。気にするっしょ!
まぁ、こういう出来事を気を遣って隠されるのもつらいけど、翔也の優しげなずさんさが気になった。
「おむすび」をここまで見てきて、男が女に異様に気を遣ってると感じるんですよね。
そんで、男性のナイーブさの方がずっと掘り下げられている。
息子と父のぎくしゃくした関係とか、男同士の友情の不器用な感じ、プロ野球選手の夢が絶たれた翔也の無念さとか、そこだけやけに繊細だった。
そういう朝ドラもいいんだけど、女性キャラが「いつも周りを明るくする仕事(家事)デキる人間」ばかりで、そうやって女を持ち上げとけばいいと思ってんのかなと、うがった見方をしてしまう。
みんないつも「人のこと」ばかり考えてて、それが結実して社会で活躍する女たち。
時には挫折もあるけれど、米田家の女性たちの提案はいつも人を救う。
それもこれも家族や人間関係が安定してるから。
最近は、夜ドラ「バニラな毎日」をずっと見てます。
悩みを抱えた女性たちが何人も登場して、その悩みの多くが母親との関係にある。
少し前の夜ドラ「作りたい女と食べたい女」や、「恋せぬふたり」でも家族関係の悩みが描かれていて、その悩みも多様、でも心当たりのあるようなこと。
「おむすび」も初期は結が父や姉との間に確執があったけど、思えばあのころはストーリーに厚みがあった気がする。
怒りや悲しみとかの「感情の複雑さ」って、ドラマに欠かせないんだなとつくづく思いました。
昨日、Eテレ「最後の講義」で大石静さんが教壇に立っていたのを見た。
「人間の多面性」
これを必ず描くことにしていると話されていた。
それは、大石さんの父親に愛人がいたことや、実母の常に悲しそうな顔、隣家が作家の執筆場所で、やはり愛人が出入りしてた様子を幼い頃から目にしてきた体験が影響しているとのこと。
どんなに立派な文学を世に出しても、人としてしょうもない面があることを嫌でも思い知らされる。どんな人にもそういう多面性がある。
大石さん自身、チャキチャキ一直線タイプの方に見えるけど、かなりの泣き虫だという。
亡き夫から見た自分は、いつも泣いてる女だったんじゃないかというお話はとても意外だったけど、大石さんのチャーミングさがすごい感じられたんですよね。
「おむすび」に物足りなさというか薄さを感じてしまうのは、多面性を感じられないからかも。
「いい人ですね」「素晴らしい人たち」
そんな人たちが時々挫折しても結果、優秀成功人間として描かれる。
きっと花ちゃんも、INAC神戸に所属するのだろう。
母親の愛子(麻生久美子)までブログの書籍化一歩手前までいって(あっさり辞退・ブログも終了。なんだったのか)
この愛子と出版関係者の打ち合わせをたまたま目撃した歩(仲里依紗)は、「浮気!?」と激しく動揺して家族にそれを伝染させる。
歩は恋愛に重きを置いてなさそうに描かれてるのに、あんなに動揺するんかな〜と思ったし、家族の誰も「友達じゃないの?」みたいに思わず「お母さんが!?」と家族崩壊危機みたいな不安をにじませたりする。
主役は北村有起哉さんでいいんじゃなかと思った。
北村さんの繊細さが飛び抜けてるんですよね!
北村さんだけが自身の多面性をなんとか顔芸で表現されてるように思うのは気のせいじゃないと思う。
ギャルスピリットもなんだったんだろう。
仲里依紗さんも基本ギャルなんだろうけど、歩がかっこよく見えないんですよね。
実家暮らしだからだろうか。
「家族仲良し」を描くために実家暮らし設定になってるみたいなのが安易に感じるというか、なんでもお母さんに話すとか、自分とマインドが違う世界のお話だなと思ってしまう。
それとも、私が思う以上に世間の家族はあんな感じなのかな。
なんとなく、実家にほとんど帰らない男性が思う理想の家庭像が描かれてるように思えて。
家の中の男性が帰省してくると、女はひとまずニコニコいたわるような空気を作ろうとする。
うちは今もそういうとこがあるからさ。
それは精一杯の表面的つくろいなのに、男はそれが実像と思う。
男というか、うちの兄。
そんで、そのつくろいが崩れてギスギスしてきたときに怒るのも男。
昭和の男って昔そんなふうに描かれてましたよね。
お父さん(兄)が怒るからニコニコしとこうとするけど、それが当たり前と思われることの抵抗感がやっぱ漏れ出ちゃう。
そういうことに男が気づかないまま女のニコニコとイライラのサイクルは繰り返されて。
米田家では、女のイライラのネガティブさがきれいに削ぎ落とされている。
朝顔とか「ハコヅメ」とか、女性主役の優れたドラマを生み出してきた根本ノンジさんだから、ちょっと信じられない思いなんですよね。生み出したとはいっても漫画原作だけど。
万博ネタを入れるとか、橋本環奈さんのスケジュール調整とか、あとコンプラ対応など大変なことがいっぱいあったのかな(想像)
「バニラな毎日」や「東京サラダボウル」に感動したからこそ、つい厳しい目を向けてしまうということで。
近いうち「バニラな毎日」についても感想を書きたい。
蓮佛さんと永作博美さんの演技やストーリーが素晴らしくて、15分のドラマだけど毎回胸を打たれてます。