「ゆきゆきて、神軍」

「ゆきゆきて、神軍」「奥崎謙三」「原一男」

この3つの単語をよく目にするものの、どんな感じの映画なのかが、なかなかつながりませんでした。
とにかくすごい映画という噂にも、何がどうすごいのかピンとこないまま。
しかも1987年の作品。
DVD買ったりしないと、見ることは叶わないんだろうなと思ってた。
が!!

アップリンク渋谷で今日から、原一男監督特集だということで!
監督のトークショーつきで観てこれました。
どうやら8月は終戦シーズンということで、毎年上映されてたみたいです。

なんとなくこのドキュメンタリー映画も奥崎という男も、サブカル的な場所での人気・盛り上がりと感じてた。実際そうなのでしょうね。
けど、それがよくわからなかった。
観終えた後、あぁこれは戦争映画だ、って捉え方だったからかな。

確かに彼の強烈なキャラクターはツッコミどころ満載で、「人間の作った法律などなんだってんだ!」という、刑罰も服役も暴力も恐れない極端な生き方をカリスマ視する人たちはいるのだろうけど、もしかしたらそれは、「ゆきゆきて」後の奥崎氏の生き方込みでの評判なのかな。
この映画の始まりですでに、13年の服役経験(殺人など)のある奥崎氏。

私なりに感じたことを勇気持って書いてみます。

 

・聞く耳を持つ

どんな人にしたって、まず「聞く耳を持とう」とすごく思った。
奥崎氏は、まず乗ってる車から物騒だった。
「殺す」と元首相の名前がでかでかと書かれた看板掲げてるし、「宇宙人」「神聖」って文字も見える。
中央に近づくと途端に警察の車両に囲まれる。
それで「法律がなんなんだ!」と拡声器でわめく。

「頭おかしいね」
で、わりとすぐ片付けられちゃうこと。
でもそれで本当にいいのかな。
この映画だって、その奥崎氏にどんどん引き込まれていくのだから。
私だけじゃなく、かつての軍人たちも。

「若い兵隊2人をなぜ銃殺したのか。事実を話してほしい。謝ってほしい」

ひっそり生きてきた老後、これをわめく奥崎氏が押しかけてきたら誰だって「帰ってくれ!」と、時には取っ組み合いの喧嘩にもなる。
それがだんだんと皆、変わっていく。
どうしてもすべて話すわけにいかないという老人もいたけど、つい先程までの取っ組み合いを許し合ったりもする。
みんな奥崎氏の執念に負けたように見えて、奥崎氏が何を訴えてるのか「聞く」、ということに能動的になってから、展開ががらりと変わるのです。
今はもう年老いたかつての軍人が、奥崎氏の過激な言葉や暴力によって表情もがらっと。
「ああしねぇと、生きてかれねぇんだ…」
過去がその目に引き出されたとき、怖かったし、悲しかった。

 

・ショッキングなこと

「ゆきゆきて」がどういう映画なのかをよくわからず観に行ったので、例えば出てくる単語「人肉」にしても、私にはショックが大きかった。
「カニバリズム」ですね。
戦地に行った人は皆、一様に口が重い。
それは一種のPTSDのような、過酷な日々を忘れたいという心の傷ゆえと思ってたけど、たぶんそれだけじゃなかった。
タブーの領域を侵した人間であるということ。
それを奥崎氏や銃殺された兵士の肉親が、かつての上官から詳細を聞き出そうとするシーンで、実はちょっと気分が悪くなりました。

この映画の詳細を知りたくても、なかなかたどりつけなかったわけがわかる気がした。
ちょっと書けないですね。書くことすらタブーと思えてしまう。
そして奥崎氏は、「引き金を引いたの?」「何発?」と、口が重い相手に詰め寄る。
私はタブーの事実にも怯えたけど、「これ以上はどうしても言えないんだ、わかってくれ」と言う人の、心の扉が開く瞬間を見てしまうのかな、という緊張に怯えて、胸が悪くなってしまったのだと思う。
脳みそを開ける手術を見なくちゃならない直前のような。

 

・戦争はどうしたって起こしてはならない

奥崎氏の極端すぎる行動とエネルギーは結局ここにあるんだと思ったら、やはりそれは泣けてくるものでした。
戦争が終わったからといって、どうして忘れたり許したり、変わることできるでしょうね。
できるもんか!という人がいたって、不思議ではないです。
怒りをエネルギーにして燃やし続け・大きな大きなものを敵にし・自分も悪魔みたいにならないと、生きていかれない人が確かにいた。

それでいて奥崎氏は、亡くなった兵士のお母さんのもとを訪れて、飯盒でご飯炊いて梅干しを乗せて供え、お墓に手を合わせる。
「お母さん、一緒にニューギニア行きましょう!」
お母さんのパスポートも取ってあげる奥崎氏。
奥崎氏は律儀な人なんだということも、ところどころで感じられました。
自分が人を殴っておいて、自分で通報するとか(笑)

お墓の前でお母さんが歌うシーン。
私はまだ映画の何も把握できていなかったのに、ただ胸を打たれました。

 

・女性の日常感

奥崎氏の奥様・シズミさんがまたいつも平常心で(笑)
あんな過激な夫なのにいつでも指示に従って、時には遺族の1人として演じるよう命じられたり。
それでも奥崎氏が激昂して人につかみかかると、体を張って止めて流血。
そりゃ痛いのだろうけど、なんてことない顔してる。

私はドキュメンタリーはあまり観てる方じゃなくて、森達也さんのと東海テレビ系くらいしか他は知らないのですが、例えば佐村河内氏の「FAKE」でも、あの奥様が素晴らしかった。
佐村河内氏の味方でありながらも、愛もたくましさもすべて「冷静さ」に包含されるような魅力的な人だったんですよね。
あと同じく森監督の「A2」では、麻原彰晃の三女、まだ幼いアーチャリーの日常感にも救われた。
女はいつでも男にただ従ってるように見えるけど、「生活感」のあたりがブレてなくて、それでいて「この人についていく」となったらいつでも忠実で。
後半に向けてシズミさんの存在感もどんどん増す映画でした。

ラストは、ついに罪を認めようとも語ろうともしなかった元上官の身内に奥崎氏は銃を発砲し、また10年の服役が確定するのでした。

 

ここまででも長くなっちゃったけど、原監督のトークショーの話も少しだけ。。

「ほら、奥崎さんって服役後、AVに出たでしょ」
「ほら、奥崎さんってニューギニア行ったあと、性に目覚めちゃったから」

!!!!!
周知のことかもしれないけど、衝撃でした。
AVというか、AV的なことが含まれた出所後のドキュメンタリーなのですかね。
原監督はこの映画への不快感から、「AV」という言い方をされたのでしょう。

「この本は、ほとんどが僕と奥崎さんとの確執です」

「ゆきゆきて」の裏側を知れる本があるというのは気になりました。
いろいろあったみたいですね。
奥崎謙三という人はやはりただものじゃなく、自分が監督でありたかったようで、晩年は原監督への愚痴が絶えなかったようです。

そしてドキュメンタリー映画ではあるものの、自分でリハーサルしちゃうと。
初めて訪問し、初めて問い詰める体でリハーサル。
実は数日前にも訪問してたりして、いくつか本番用の演技をしてたようです(笑)
ドキュメンタリーと奥崎さんの演技の境目が、実は本人にしかわからない作品なのかな。
ドキュメンタリーといえど、そういうものかもしれないけど。
いろんなコンプレックスとか怒りとかをわーっと原動力に変え、自分がスポットライトを浴びたかった人。
「そういう人です」と締めくくっていた原監督。

 

奥崎氏と同行しいていた男性が、語りたがらない老人に穏やかに語っていたことが印象的でした。

「今の若い人は戦争の勇ましさばかりを取り上げて、またムードが変わってきてる。だから(下士官殺害に加担したような)あなたが体験を正直に語ってくれることが今、大事なんだ。戦争はどれだけ残酷で、二度と起こしてはならないということに協力しなければならない」

ちょっとうろ覚えで、奥崎氏の言葉も混ざっちゃってるかもしれません。
戦争は反対なんて、誰もが当たり前のように思うことだと信じつつも、「そうなったらもうしょうがないじゃん」ってあっという間に流されていきそうなムードをいつも恐れます。

 

なんだかんだまた長くなってしまった・・
8月のこの時期ですから、ね。
読んでいただきありがとうございます。

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