ザ・遺族感情

ヤプログ終了に伴って、2008年の日記を10年後の初日にひとまず移行させます。

 

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病院に遅れてきた兄が到着し、母、姉、姉の子供2人、叔母と私、
やっと全員で父と対面できた。

「眠ってるようだね」

みんながそんな思いを抱きながら、ちょっとほっとして外に出る。

そしてもうすぐ葬儀屋さんが来るので今度は父を安置所に移すという。
私たちもぞろぞろついていく。

そこはまさに「安置所」と呼ぶにふさわしく、ひんやりと不気味な地下室だった。
「死んだ人はここに来るんだ」
そう思わされた。

きょうだいに改めて先生が最後の様子を説明してくれるとのことで再びさきほどの部屋へ。

実は父の最後には納得の行かない点があった。
もっと早くここに運び込んでくれれば、
生き延びたとは言わないまでも、死に目に会えたのに。

今でこそ、父の子供3人が死に目に会えなかったのには、
全裸を子供の前で絶対見せない父親らしさのあらわれかな、と思えるものの
なにかそんな「しこり」が泣けない理由のひとつだったのかもしれない。

先生にちょっと質問したら、ちょっと的を得ない答え。
ここの病院の手際の悪さではないので、先生を責めるわけにもいかないし、
何より「死んだ人は帰ってこない」
こう思うと「しょうがない」と思うしかない。

世の中にはもっともっと、家族や大切な人を納得の行かない形で亡くす人もいる。
ほんと、自分なんて「しょうがない」と思うしかないレベルなのだと思うが、
このやるせなさ、今、この時点で打ち消しておかないと、悲しみといろいろなものと
結合して、恐ろしい負のパワーになるのではないかと
一瞬考えた。

先生は的を得ない返答をしたまま、流れるように
「お母さんを支えてあげてください」と締めくくった。
なんだかちょっとムッとした。
だから「母は高血圧なので、帰る前に診てもらっていいですか?」と言うことで気を紛らわせた。

そして葬儀屋到着。
お葬式は2日後。父は明日まで家に戻すことになった。

急にあわただしくなって、タクシーは2台にしようかとか、バタバタし始めた。

先ほどの先生も見えた。

私はそのときまったく気づかなかったのだが、ほかのきょうだいや母親が
「先生はなんで安置所まで聴診器つけてきたんだろうね」と
話していた。

先生は本当に母親を診てくれようとしていたのだ。

私はバタバタしてきた時点で、先生に母を診てもらうのをあきらめていた。
でも、先生はそのバタバタする中でもなんとか診てくれようとしていたのだ。

世の中には、こんなささやかな部分まで職務を果たそうとしてる人がいるんだ。

少し救われた。

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