「非道に生きる」

このたび、園子温監督の著書「非道に生きる」(監督のサイン入り)が、応募していた抽選で当たりました!!!

東京MXで放送されていた「ニッポン・ダンディ」という番組に園監督が出ていて、確か監督の作品DVD-BOXか著書どちらかのプレゼントだったかな。
私は著書にしてみました。
それなりに熱い思いを感想欄につづったと記憶してるのだけど、それが届いたのだろうか?
水道橋博士に?
いや~どうかな。

この「ニッポン・ダンディ」という番組、たまたま録画してた「5時に夢中!」のCMで園子温監督が出演するという情報を得て録画をしたのだけど、いやー録画して本当によかったです。
だって監督、もしかしたらこれがTVに出る最後かもしれない…なんて言ってた。
冗談だか本気だか「芸人になる」と言っていて、水道橋博士によればそれはかなり真剣に考えていたそうで。
けど著書によると、新しい映画を撮ってるとのことだったのでその点はほっとしました。
本当に何もかも捨てて、私たちのあずかり知れないところに行ってしまいそうな方だから。

放送後すぐに「希望の国」も見に行ってきた。
監督の映画は「愛のむきだし」とこの2本しかまだ見たことありません。
なのにこんなに惹かれるっていうのはうそくさいでしょうか。
でも、誰しもの心の中にあるはずの「本当のこと」があちこちに書かれていて、つながってる感じを強く抱いたのです。
ユングは、人の無意識は集合無意識としてつながっているということを唱えていたけど、つまりは人の無意識の奥の奥に流れる川のようなものは、人類の奥底に流れる共通の川というような・・・。
私が著書を読んで覚えた懐かしさは、太古からの普遍的なスピリットが園川を通過し、そしてそよそよと私の川にも流れてきたもの・・・と信じたい。

監督が少年時代に「フルチンで学校に行った」というエピソード。
そんな原始的な衝動、きっと誰しも、女子にだってなんらかあるはず。
それがうっかり漏れてしまったらどうしようというドキドキを常に抱く時期が確かにあった。
覚えたてのHなワードをポロっとサブリミナル的に言葉に織り込んでしまいそうな危うい自分・・。
でも、口に出して言ってみたらどんなに気持ちいいだろう・・・。
それを全身で表現・解放できる場があったらどんなに自分に正直でいられるだろう。

そして、人間の「特殊性」、「非道」の追求。
この国の人はいつからそんな特殊性を恐れるようになったのでしょうね。
でもある意味、多数に倣うことは日本人の生きる知恵のようなものでもあるのかもしれません。
私は監督が繰り返し言うこの「特殊性」や「非道」に、ものすごく浸りたい自分を発見した。
いつからか、私にぐぐぐっと歯を食いしばらせるような強烈な感情を煽るものが、定期的に目の前に現れるのです。
それは無難に迎合しないミュージシャンであったり、身一つで世の中を変えようとしている若者であったり、女性性を存分にまとって輝きを放つ女性であったり、そして、ホームレスになっても明日が見えなくても、面白いことをやりたいという衝動を偽らない映画監督であったり・・・。

「私には無理・・・」
そう思った瞬間に、自分の中の明かりは一斉に消える。
消えてしまった…なんて左手で顔を覆いながら、己の右手でブレーカーを落としてるという始末。
特殊性や非道から遠ざかる引き換えとして得られるものといえば、「平凡という安心感」ぐらいしかない。
確かにKYを恐れるこの風潮では、それこそ「くれくれ!」と求められるものなのかもしれません。
そういえば、昨今の女性の求める理想の結婚相手は3平ですしね。
平均的な・・・・なんだっけ、3つも。
ぜっっったいやだ!!
すべてにおいて平均的な男なんて。

監督のホロスコープが気になったので見てみました。
射手座に星が集中していた。納得。
監督は何度も著書で「刹那」と述べているが、射手座はまさに「刹那」な特徴がある。
過去を振り返らない。そして塗り替えようとする。一瞬一瞬がいつも大事で、自分が感じた魅力に対してどこまでも捨て身になれる。研究心もある。柔軟性。哲学的。文学的。自由な精神。
園監督がケンタウロスに見えてくる。
いつでも最高に面白い的を求めている。
昔、ものすごく恋い焦がれた人は射手座にたくさん星が集中していた人で、そのことを思い出した。
彼は常に変容を求め、束縛や組織や予定調和を何よりも嫌い、情熱的に深刻に愛を語るくせに、甘い未来という私の窮屈な入れ物の気配を察知すると、それは魚のごとく華麗なジャンピングでどこかの川へ消えていった。
「一緒になろうな・・・5年後・・・」
今思えば、だまされていたのだろうか・・・?

「愛のむきだし」を観たときに、壊れるくらい自分を解放したいという衝動が湧き起こった。
醜いくらいに相手に「愛してるんだよ!!!」と訴え続けたユウとヨーコ。
ヨーコの母親もそうだった。渡部篤郎さんのように、私も海の中で降伏した笑みを浮かべた心地になった。
命をかけて何かにぶつかっていくことは、この世の中では特殊で非道なことになりがちだ。
「そこまではできないけどネ…」なんて心の中でつぶやく自分は、一体なんでわざわざそんなつまらないこと自分に向かって言うかというと、平凡な暮らしが特殊で非道なものになりかねない恐れを打ち消したかったから。
でも監督の本を読んでそこに浸りたいと思った自分は、リハビリ期間に入ったのだと安心した。
なんのリハビリって・・・むきだしで生きるための・・・・ではなかろうか。

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