仕事どうしようか

数ヶ月に一度、仕事のことで思い悩みます。

職場の中でどうあればいいのかという折り合いがいまだについてないのかもしれません。
一番理想的なのは、誰に対しても・どんな事態に対しても寛容で柔軟で、その分自分も許されて、一生この仲間と働いていこうと思えること。

でもその状態になぜ安住できないかというと、寛容さと仕事の精度が反比例になってんじゃねぇの?ってとこに目くじら立てちゃうからで。
みんなで「いいね・いいね」、できない人に「しょうがないよ」ってずっと言ってたりしてても、ミスはミス。クライアントには関係ない。
そのミスを減らしていくためには…とかそういう指摘やダメ出しは、今もう誰も悪者になりたくないのでどんどん目につかなくなっている。
それに、一見寛容で「私たち良き仲間」という結束は実はものすごい非寛容でもあって、「私たちのやり方」から少しでも外れようとする人へのバッシングやいじめに限りなく近い排除・嘲笑だって無数にある。
だから数年前から集団という状態にいくらか警戒してるのだけど、そういう私こそそのうち排除されかねないかも…。

カッカしてる私が手に取ったのは、またもまついなつきさんの本。
3冊目をやっと読み終えました。

この本ではロウドウ・シゴト・ジコジツゲン・ジリツ(労働・仕事・自己実現・自立)を、あえてカタカナにすることで「これらをごっちゃにせず一個一個考えていくよ!」と、生きにくさのただ中にいる人に向けて書いてくれたような本です。

自己満足でやってると思ってた家事のあれこれ(ロウドウ)も、誰かに褒められてこそやった甲斐もあるというのに(ジコジツゲン)…働いて帰ってくる(シゴト)のは自分も夫も同じなのに、自分ばかりやってるように思えて愛だけじゃ満たされない。
はたまた、独り身で部屋や食事もちゃんとして(ロウドウ・ジリツ)、派遣であっても仕事行って帰ってきて(シゴト)、お金に困るわけでもなく生活は安定しているのに、なんかわからん「ジコジツゲン」できるような何かしないと、独り身じゃ肩身が狭くって…。
こういう悩みがまついさんのもとに多く寄せられるとして。
「でもジリツできてるんだからそれだけであなたOKだよ!」と言う。

まついさんは基本、どんな生き方の人も否定はしません。
ひきこもりも生活保護者も、「私はこの方法で生きていく」と決めてるならそれはジリツ・OKと。
ただ、自分の都合で子どもを手元に置いておきたい・世間的に恥ずかしくない子にしなきゃと(自分の価値観で)子どもをコントロールする親には厳しい。
自立を妨げる最大の要因と。
誰か・何かに頼っている・それが夫でも国の機関であっても、生きるためだもん・どんどん頼ろう!そんなまついさんの視点は、生きにくさのいろんなハードルを下げてくれるんですよね。

「自分はこのままでいい」ということをなかなか思えず、「もっといい状態へ!」という意識が強すぎたかもしれないと反省もしました。
給料もらっているのなら、たぶんそれで十分で。
こんなんでも仕事の依頼があるというこのバランスを、もっと楽観的に楽しむべきなのかな…と反省もした。

「そうはいっても…!」という思いが拭えないので、仕事について方向性タロットを展開してみました。

主体:自分(上段真ん中)・カップ王逆位置
→一応ベテランだけど感情が安定してない。心がないがしろにされると状況をひっくり返しかねない衝動を宿す。

援助者:理想(上段右)・ワンド6
→私の理想は、活発に意見を言い合うことで互いのニーズが満たせるよう、調和しながら上昇すること。

敵対者(上段左)・カップ9逆位置
→状況に満足している円満風ムードは、私のような意見交わしたい・ひっくり返したい分子とは交わらないでしょうね。

送り手:そもそも(下段右)・1魔術師
→本業以外にいろいろ手を出してみてる自分。新しい何かを「副業」としてちゃんとスタートさせてもいいのかも。

受け手(下段左)・ペンタクルス6
→能力相応の対価は受け取れるでしょうけど、なんせ能力相応。

方向性(下段真ん中)・ソード3
→あれこれ整理して前へ進んでいく。
例えば可能性のないもの・希望のないものを切って、もっと身軽状態で進む。

「可能性がないものを切る」というのは、まついさんの本を読んだからこその解釈です。
私は今あれこれ試したり・試そうとしています。
継続していればそのうちどうにかなるんじゃないか…とは思うので続けていきたい気持ちはあるものの。
例えばとある講座に通っているとして、だいたい「基礎科」の次は「応用科」、その先の「実践科」までいくのに3年くらい月謝を払うことになる。
それが馬鹿馬鹿しいのです。
いっそのこと切るべきかもしれません。
「やめよう」と思えた道もあります。

この間久々に会った大学時代の友達は、私と生年月日が10日ほどしか変わらないのに人生がずいぶん違います。
彼女は25歳くらいで結婚して、子ども2人、正社員ではないけど同じ仕事を10年続けている。
昔も今も美人でおしゃれで、字も絵も金賞レベルに上手なことを知っています。
大学生の私に読書や映画というカルチャーを教えてくれたのも彼女。
音楽や洋服ブランドまですっかり影響受けちゃって、部屋に行けば自作の壁掛けはやはりセンスがいい。
5年に1回のペースでしか会わなくなってますが、会うたび私は「何か発信すればいいのに・もったいない」ということをつい言ってしまう。
でも彼女にはまったくそんなつもりもない。
ツイッターもインスタもやってない。
才能やセンスを生かす何もやっていない。
それでも自己肯定感は昔も今も安定してます。
夫に対する諦めや愚痴は増えたけど(笑)、それで彼女自身の何かが損なわれることは私から見て何もない。

私はずっとそれが不思議だったけど、彼女の状態こそがあるべき姿かもと思ったりしました。
やるべきことに埋もれる日々の中で「わたし!わたし!」「本当はこんなことできまっせ!」とならずに家のこと・子どものこと・夫との対話・実家の両親とのことを丁寧にこなしている。
そういう人も、いるんですね…。
ただ、彼女はやはり美しい。
それも彼女のジコジツゲン度の何割かを占めているはず。
どこに行ってもまず美貌やセンスを褒められる。
相対する人の目線で自分でもそのことを感じられるはず。
スポーツ選手の奥さんはみんな美人ですが、私はいつも「あんな美人なのにプロ選手をどっぷり支えるなんて偉いなぁ。(私だってこの美貌で稼げるのに!)とならないのかなぁ」と長年不思議だったのですが、ちょっとわかった気がしました。
(私の友達とはまた違うパターンですが)プロ選手を射止めたということですでに自己実現しており、その選手が成績を出せばそれもまた自己実現につながるし…。

何を言ってるのかわからなくなりましたが、自分1人の身で何かを思いつき、行動に移して何かを成すことだけが自己実現じゃないし、自分で「これで満足!」と思えるささやかな場や状況を作って、そんで自立しているならそれでいいじゃないかということ。
私はあれこれハードルを高くし過ぎて、周りの人をも苦しめる寸前だったかもしれません。
鑑定の仕方もこれから変えるかな…。
今までは「自己実現」のあたりをフォーカスしようと努めるところはあった。
いろいろあおってしまったこれまでの方には申し訳なく思います。
ま、星見ちゃったらあおるかもしれませんが…。

最後にこれまたグッときたまついさん本の写メ。(いいのかな)

 

 

 

 

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