WAKIMA・・・

「わきまえる」というワードが、なんだか日ごとにのしかかってきます。
WANIMAの話ではありません。

 

週末電車に乗ってて、隣の男が足を組み始めた。4の字組み。
男の靴裏が私のひざに当たりそうなので、私は身をすくめる。
反対側に彼女らしき女性がいたのですね。
そうだよね…と思ったものの、もし自分が彼女だとしたら、靴裏を自分に向けない男にやはり愛を感じるのだろうか?なんて思ったりした。
それとも、他人に靴裏向けるくらいなら私に向けてほしいと彼氏にそれとなく注意するだろうか。そんなのまったく気付かないかな(←この可能性も高い)。

たかが靴裏。でもなぜこの男は大きくて不衛生な靴裏を人に向けるのだろうと終点まで思ってしまった。
20代とか、美しい女だったら男はそんなことをしなかったんじゃないだろうか。
屈強な男側にも靴裏を向けてただろうか。私は靴裏を向けられる程度の女なのだろうか…。
ひがみの沼にハマりそうになった時、ふと思った。
「わきまえてほしい」

そもそも電車のシートにぎっしり座った状態でなぜ足を組む必要があるのか。
そういう女性が(ほぼ)いないのは、人からの視線を気にしてるわけではない。常識をわきまえてるからだと思う。公共の場所だもの。
自分の部屋じゃないのに、なぜ人に不快を及ぼしかねない座り方でリラックスできるのか、私にはわからない。
そりゃ体が大きければ足が長くて持て余すのかも。でも組み方だって色々あるだろうよ。ぎゅうぎゅう詰めで4の字組むなよ。コロナの今なんだよ…。
わきまえるってそういうときに浮かぶものなんだな…という話。

森会長のたぐいの「わきまえろ」は、上→下へのベクトルと思う。
喜朗村で人が皆、優秀にわきまえてたのは「選ばれたかった」もしくは「外されたくなかった」からなのかな。
だけど上下関係の「わきまえろ」は「空気読め」と同義語の気がする。
本当の「わきまえる」には上下とか関係ないんじゃないですかね。

この国はわきまえ国だから、ネットでの#わきまえないというムーブメントに眉をひそめる人も多い。
「おじいちゃんなんだから、ああいう発言が出てくるのわかる気がする」
「それを鬼の首取ったようにSNSで叩くのとかってどうかしてる」
「本当、本当」
こんな会話が案外多数派を占めそうな実感の日々。
確かに最近は炎上案件が多い。
でもそれは、「ここ、わきまえるとこじゃないじゃん!」と気づいた人が増えてきたということ。
叩く内容や言葉遣いは確かに激しいとしても、声を上げなかったら「なかったこと」になるその怖さや誰かの傷を知ってしまった ら→ もうなかったことにはしないという、ある意味優しさへのアクセルと思うんですよねぇ。
声の中には攻撃的なものもある。「だから私は声を上げない」ともし決め込んだとして。
その先に何があるのだろう。「自分のため」以外、何もないんじゃないのかな。あとは漠然とした「和」のためとか?
これからのため・誰かのためを思うなら、そこには「行動」しかないはずです。たとえ醜く炎上しても。
そもそも「わきまえる」って、上→下や、メジャー→マイナーの図式とかじゃない。
なんなら逆ベクトル(下→上、マイナー→メジャー)で切にわきまえてもらいたいことたくさんで問題山積のはずだけど、そーれが無視されがち(杉村太蔵風)。だから炎上気味の昨今、これはいい現象と思いますよ。

 

news23の小川彩佳アナについて書かれたこの記事がひどかった。
小川彩佳アナは傷口に塩に耐えられるか

アメリカ仕込みの自立心ってなんだよ。
やっぱこういう記事が出回るということは、善朗流のわきまえが推奨されてる世の中なのかな。
日本で育ったら自立心も自己主張もないはずとでも??それが善きこと?
しかもその自立心を称えてるというよりかは、どこか冷笑ムード。昭和の井戸端会議じゃないんだから。
他の記事でも、「”女子アナの夫”という世間の認識に夫はプライドを傷つけられたのか(その傷を癒すための不倫か?)」と書かれたものがあった。絶対違うね。
むしろ、そういう同情票が集まることも見越しての行動にすら思える。

ま、わかんないですけどね。夫婦のことは。
ただ風潮がね。
産休復帰のタイミングをネガティブに捉えるムードがひどい。
もしこの夫が、不倫は置いといても小川さんと二人三脚で子育てをしているのなら、妻の早い復職は世の女性の大いなる後押し・とてもよいモデルケースなんだと思う。
でもなぜか、小川さんの活躍の裏でこういうジジむさい記事がうようよ漂ってた。
活躍の足を引っ張ろうとしてるような陰険な小見出し。
今回のスキャンダルもまるで、「女性が活躍すると夫はこうなる」ということを印象づけようとしてるかのよう。「わきまえろ」はどう見積もっても女には当てはまらない。わきまえるべきなのはコロナ禍の夫の行動はもちろんのこと、胸くそ悪い数々の報道。

 

不倫・不貞問題を目にすると、いつも脳内が引き裂かれそうになります。
許せないという思いと、許せるという思いの真っ二つ。
何を軸にするかで感じ方がまったく変わってくる。
「女」を軸にしたときはやっぱり許せないと思う。
女を下に見てる行為と感じる。二股側が男だった場合、どっちの女も侮辱してると思う。日本の場合ね。
イタリア男とかだったら許せるんだと思う(なんでだ?)

だけど「個」を軸とした場合、それぞれが家庭内でやるべきことをこなしているなら、あとは自由のようにも思う。逃げたい場所はどんな形であれ存在してもいいと思う。
もしそれで婚姻関係が破綻したら離婚すればいいのだし。
ただし!離婚しても、女性が仕事も自立も叶う場合です。
今の社会だとこれがとっても大変で、私は日本の女性は心の纏足を知らずに履かされてると思う。
「じゃあ1人でやってごらん」と家庭から社会へ放り出された時、自分の足じゃ立てなくなってる女性が多いのです。わきまえなくてもいいことで、ずっとわきまえすぎてきたんですよ。だってそうじゃないと選ばれないわきまえ国。選ばれ…なんという悪循環!くそくそ!!(見えない敵にシャドーボクシング)
これは社会の問題と思う。
シングルマザー・シングルファーザーという選択を安心してできる社会に向かってるようにどうも思えない。
どんどん離婚できる世の中になれば未婚者も減り、出生数も上がるんじゃないかと思うのですけどね。

赤名リカの「心は1つしかないんだよ!?2個はないんだよ!!」とカンチに泣いて訴えたセリフが思い浮かびました。
器用に不倫しやがるエリート男の何がムカつくって、「心のスイッチングも見事にやってのけるオレ」「家庭も恋愛も完璧にこなせるオレ」という自信満々の顔ですかね。なんでそう見えちゃうんだろう。

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