獅子は真ん中か片隅か

最近の私はいよいよ頑固になってます。
獅子座月が前面に出てる感じ。

獅子座って、本当に輪の真ん中にいるか・万年野党みたいになるかどっちかじゃないかと思う。
幼い頃の私は万年スネ子だった。
複数人で遊んでて、私以外が何かで盛り上がってることに少しでも「つまんない」と感じればもうだめ。
「なになに?あははは!」ってウソ笑いでも楽しさに分け入ればいいものを、足元からガチガチと石のように固まっていくのがわかる。
心も表情も固まって少しも笑えなくなったころ、「ほらまたいじけるんだから…」って友たちの冷たい視線。
でもいつでも救いだったのが、次の日には何事もなかったように友が話しかけてきてくれたこと。
こうしてくれなければ私はいつまでも石のままでしたよ。ありがたい。

そんな私も輪の真ん中にいたような時期がありました。
高校2年と3年。
球技会に向けて男女混合で練習してたあのころ。
活躍してもドジをしても明るく反応してくれる仲間。
しかしまた輪の真ん中に戻りたいかと問われれば、戻りたくはない。
あんなに自分のことしか考えなかった時期もないです。
いつもやけに自信過剰で、自分の居場所はいつでも真ん中と思い上がっていた。

卒業後だいぶたってもこの高校が大好きだったけど、実は女子トイレにのぞきの仕掛けがあったことを知ってひどいショックを受けました。
私が輝かしいと思っていたあの時代の何もかもがマジックで塗りつぶされたように感じ、友達だと思ってた男子ものぞきに加担してたようだった。
純粋な明るさに満ちてた(と思ってた)クラスメートたちは、同窓会でマウント合戦やお持ち帰り作戦に明け暮れていた。
高3で留学した子だけがあのころの純粋さを宿してても、ふわ女子の「ホントいい子だね〜(クスクス)」っていう称賛の音感が嫌味というか嘲笑というか、もう何もかもが過去。彼女をみんなで空港へ送りに行ったときの写真に漂うイモくささを拭いたかったんだね。
おとなしかった子はギャルのようになっていて、色白だった男子は日焼けで黒光り。
男子に興味ないと言ってた女子は色気ムンムンだったし、みんなみんな高校のキャラから反転したかのような姿。
私はもう真ん中にいるようなタイプではなかった。

 

 

獅子座の月を真ん中で安定させるか、あえて片隅でカッカさせるか選べるとしたら、40代の今なら片隅を選びます。
片隅でスネたりカッカしたり、真ん中の人たちとは別角度から物事を見てみて、「この角度からの景色がよい」なんてひとり思ったりしてる。
誰も私の本当の心なんて知らない…ってなことに満足してたりもします。

小学校のときの話。
みんな「よっちゃん」の周りに群がっていた。
なぜならよっちゃんはとにかくみんなにお菓子や文具を配るし、悩みも聞いてあげたうえに「大丈夫よ」って励ましてくれるから。
私も一度はよっちゃんに相談事をしたけど、みんなが群がるほどの吸引力はちょっとわかんない。むやみに物をもらうのも嫌だった。
それが態度に出てたんでしょうね。よっちゃんグループから出てってほしいと言われた。
グループは巨大化しててクラスメートのほとんどが加入してたので、私は片隅の人間に。

大人の社会でも似たことの繰り返しです。社内の力関係は結局派閥。

自分ひとりでも自信を持てるのが獅子のいいところと思う。
人からの評価に頼らなくても、根拠なく自分を好きでいられる。
でも時に社会では、誰かの引き立てや評価を受けなければ能力も魅力もないに等しいと見なされたりしますね。
獅子座は巨大グループに入るなら真ん中じゃなくちゃ意味がないと思ったりもする。
一方で、片隅でぽつねんとしてるのも主人公に等しいと図々しく思えたりするんですよ。

 

 

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