これまでも何度も触れてきた「82年生まれ、キム・ジヨン」
映画がU-NEXTで見られるようになったので視聴しました。
キム・ジヨンを演じたチョン・ユミさんがまたとてもきれいなのに、心を寄せられる普通感・友達にいそうな感じよさがすごく魅力的でした。小池徹平さんに似てますね。
夫役のコン・ユさんは「コーヒープリンス1号店」の方。大沢たかおさんによく似てます。
映画は本と少し違ってて、オリジナルのエピソード・描かれなかった場面はあるものの、本の主題ともいえる絶望がほとんど代弁されてるんじゃないかと思えました。
夫と妻、互いにどんなに思い合っててもずっと平行線で、どこまでもどこまでも永遠に交わらないんじゃないかというくらい。
今までその隔たりは「愛」で埋められるものだと、私なんかはなんとなく思ってた。
でも愛じゃ埋まらないのかも。
映画の夫は、本よりもずっと妻思いに見えました。
時に無神経で鈍感でも、「ちょっと!」って軽く叩いて冗談っぽくにらめば、あははと笑って夫婦仲良し、そんな繰り返しならいいのだろうけど、結婚は夫とだけ向き合えばいいわけじゃない。
夫の実家、夫の母、夫の会社、夫の将来。
それらもうまく回していくには、妻の協力がなければならない。協力というか犠牲?嫁というのは正月に夫の実家でああいうふうに動き回ることが宿命。そこに誰かが疑問を投げかけなければ当たり前のように続いていく社会。そして誰かが疑問の声を上げてきたからこそ「昔より楽になったね」といえる現在。でもそうじゃない女性もたくさんまだいるのですね。
キム・ジヨンは、女として抑圧を受けてきた母親から「あなたはそうはならないで。夢を叶えて」と育てられた。だからなのか広告の仕事には誇りを持ててたし、上司の評価も受けていた。
そういう女性はブランクがあっても「いつかまた」と社会進出のチャンスを見出し、抑圧に反発する自主性だってある。
でもジヨンはある日うちのめされた。自己肯定感はもろくも崩れる。
それは夫から思いがけない事実を伝えられたから。
「君は病院に行ったほうがいい」
(映画.comより)
優しくて思いやりのある夫は、どんなに「私」を見てくれても、多数派代表みたいな目をしてる。
多数派から「君はおかしいんだ」と言われたら、どこに救いがあるのだろう。誰が私の言葉を聞いてくれるのでしょうね。
育児と家事で疲れ切ってるジヨンの携帯が鳴って、メールを開いたジヨンの顔がこの上なく幸せそうだったシーンがありました。
「愛する夫からのラブコール?」って日本のドラマ慣れしてると思っちゃいそう。
それは女性上司からの復職お誘いメール。
女が何に胸を弾ませるかって、それは案外愛とかよりも社会への道筋なのです。
子どもを預けて復職したいと願うジヨン。
夫が育児休暇を取ると言ってくれた!
順調そのものだったはずなのに、夫の母が激怒。息子の将来性をつぶす気?と。復職の道は閉ざされかかった。
ジヨンは打ちひしがれたけど、自己否定に陥ったわけじゃない。
なのに夫から、とある証拠というか事実を突きつけられたのですね。
最近のジヨンは時に「憑依」してしまう。「君はおかしいんだよ…」と夫からその動画を見せられ、そして「病院に行った方がいい。君は休んだ方がいい」と。
夫は自分の復職を心から応援してたか疑わしい。ってか家にいる=休んでるという認識!?「違うんですけど!!!」byジヨン
(映画.comより)
一つ一つのセリフにいくつもの意味が込められてるように思えるシーンばかりです。
ずっと盗撮されてた女子トイレ。その画像を拡散してた同僚。怪しい男に付きまとわれた学生時代。「スカートがそんなに短いからだ」と父親に怒られる。
ベビーカー押して散歩の途中でコーヒー店に立ち寄れば、働く男性から「夫の給料で日中にコーヒーなんていいご身分だ」と揶揄されるし。男が作った安っぽい囲いの中で女は生きてきたのかな。
映画の中ではジヨンの弟に希望がありました。
ジヨンの母は息子を「男」という理由で甘やかしたりはしない。
そこんとこよっぽど気をつけて、ジヨンの姉とサンドイッチのようにしてでも教育しないと、男性の意識は「オレ男だし」という型で固まってしまうのかも。
「俺の(僕たちの)子どもが欲しい。産んでくれ、作ろう」というセリフが映画であったけど、もちろんこの映画では幸せワードとして描かれてはいない。でも一見そう見せてる。
仕事に誇りを持つジヨンは、今出産したら昇進とか失うものが大きすぎる…と真剣に憂いて、「え、子ども…?」とひるむのに、夫は「この強引さこそが好物だろ?」と言わんばかりにジヨンに覆いかぶさり、2人はシーツの中に溶けていく。
つらい映画かもしれませんね。
私は夫が泣いたシーンがつらかった。
ジヨンの涙がそこですーっと引いたから。
「泣かれてもさ…」ってジヨンは思ったかわからない。
「あの人はこんなにやってくれてるじゃない」だからここには目をつぶろうよという風潮はなんにしてもあって、「だよね。不満を抱いた自分が悪い」、そうやって違和感を閉じ込めて「今現在」を平和にしたとしても、未来のためにならないのではないか。未来のためにならない我慢、一体なぜに誰のため?今、今、今でごまかされる未来。
ジヨンは、きっと娘に同じ連鎖を味わわせない。
そう思えたところが救いでした。
この映画は71年生まれの女性の話ではなくて、82年生まれの女性の話なんだなということ。
いろんな問題意識が日本でも噴出しやすくなったムード構築の一端になってる本・映画と思いました。
(映画.comより)