観てきました。
チケット売り場で「きゅうそ…1枚」とつぶやいたら「え?」と聞き返されましたが、「窮鼠はチーズの猫を噛む…」とか言いそうになるタイトルですね。
「きゅうそ、チーズの1枚」でチケ購入。
この映画は肉体的絡みが多いです。
退院直後には刺激が強すぎた。おへその傷あたりがギュギューンとなりましたね…。
つっこみどころがたくさんありましたが、まず最初の大倉忠義さんのお尻アップ。
あれは気になりました。成田凌さんの目線という意味なのかな。卑猥だなと思って。
あと女性陣のいい意味で色のなさとか、男性同士の睦み合い(乳首遊び?)
なんたって国広富之さんですね。
とにかく胸にいろんな感想が渦巻いた!!
上映開始直後ですがネタバレで綴っていきます。
このお二人は星的にもお見事でした!!!
大倉忠義さん(大伴恭一)…めちゃ牡牛座的に無難ハンサム、無意識エロ、グルメ、官能性に弱い、香水の会社勤務
成田凌さん(今ヶ瀬渉)…むっちゃ蠍的に長い片思い(8年)、粘着質、意識エロ、鋭い洞察力、探偵業(秘密を扱う)
あっ、成田凌さんは射手座の可能性もあるんだった。
でもこの役で蠍決定でしょうと思いました。一応境目は15時半ごろ。
このお二人は本当にすごかったです。
なんたって大倉さん演じる恭一の薄さ。セリフの9割が無難。
いや、この薄さがまたいいのです。
薄くて優しげで受け身な男前が一番モテるのかもしれません。
大倉さんに「元気なのか?」って普通に優しくされるだけでなんか泣きそう。そういう淡い魅力。
目が合ったりチラ見されたらすぐ好きになっちゃうと思う。
恭一の視線は全然濃厚じゃないのにね、女はそこに都合よく意味を乗せる。
恭一はとにかく流されやすく、来る者拒まずタイプです。
柔軟宮利いてんのかな?と思ったら、火星が双子座でした。その火星が射手天王星とオポジション。
でも柔軟宮はそれくらい。どこか魚座っぽさもある役でした。
成田さんがまた…(泣)
思い出すだけで切なくなる。
成田凌さんの目がすごかった。
マジョリティーとマイノリティーの境目を鋭く見つめてるんですよ。私にはずっとそう感じられた。
自分はマイノリティーだと痛いほどわかっていて、王道マジョリティーを生きている恭一のゆらぎをずっと見てる。ゆらぎの波が1ミリでも自分に寄せてくれば、その隙を逃さない男・今ヶ瀬。
なんって悲しい目をする方でしょうね、成田凌さん。
月は魚座、金星は蠍座で冥王星とコンジャンクション。そういう感じ!(雑)
今ヶ瀬はすごい尽くし屋さん。そんでいつも手を袖で覆ってるタイプ。
小さな椅子の上にコンパクトに丸まって座るとか、可愛いかった…
でもかっこ悪かった。むき出しだった。
そこに感情移入したのかも。そして苦しんでいた。
この映画はマジョリティー/マイノリティーの話なんじゃないかと、そういう目でずっと見てました。
もしかして、自分をマジョリティーと思ううちは誰のことも本気では愛せないんじゃないか。
マイノリティーの体感あってこそ真理が見えるんじゃないかと、今ヶ瀬を見てるとそう思えてくる。
もっとひりひりしながら生きろよと言いたげな恭一への鋭い視線は、愛と嫌悪とどうしようもなさで黒光りしてた。
恭一は不倫して離婚して、大学の後輩・今ヶ瀬と再会、自然と一緒に暮らすようになる。
「自然と」とはいってもかなり強引なきっかけが冒頭にあって、それは伏せておきますが、「やめろよ」という態度を崩さない恭一。
そして離婚した妻含め複数の女性と関わりを持つ恭一の空虚さを埋めてくれるのは今ヶ瀬しかいないんじゃないかと、その恭一の心の動きを追った物語とも言えます。
そう、空虚さが漂うんですよ、恭一からは。
今ヶ瀬はいつも寂しげな瞳だけど、「恭一を想う」という充実はあると思う。すごい苦しいだろうけどね。
恋ってやっぱ病気…と昔を振り返ったりもした。
恭一の言葉ですごい印象的だったのが、これです。
恋愛でじたばたもがくより大切なことが人生にはいくらでもあるだろう。
今ヶ瀬はかなり「本当」の自分も想いもさらけ出している。
「本物」の中でしか生きたくないという意思が強く感じられた。
ただ冷静に見るならば、確かに恋愛でじたばたしすぎ。
恭一がすべてで、これは「愛」なんだと断言するんだとしても、日々を恭一で埋めすぎてるように見える。
このセリフが出るのは二人が結ばれたあとだったので、恭一は二人の関係を前向きに考え始めてるんだなと思ったんですよね。
だけど今ヶ瀬は消える。
しょっちゅう消えるんだけど、一体何が正解なのか恭一は悩む。
でも正解をちゃんと与えてあげられない自分を責めたりもして。
大倉さんは終始優しげで、それが今ヶ瀬に向かうと途端に濃厚さをまとう。
女性がね。
出てくる女性陣への違和感がすごかった。
あえてそう撮ってるんだろうけど、恭一に愛されたい女性たちは恭一で何かを満たそうとする、そう見えた。
でも恭一こそ、埋めてもらいたい男で。
婚約指輪を贈ることはできる。幸せそうな結婚生活を演出することもやれなくはない。時に激しく欲情する。でも女性の幸せそうな笑顔じゃ心は埋まらなかったんだな。だから似たような別れを何度も繰り返して。
恭一のささやかに新しいライフスタイル、それがラストシーン。
あの穏やかさには泣けたなぁ。大倉さんめちゃかっこいい…!
こんな男性、今まで映像で見たことなかったと思うほど独特のムードでした。
今ヶ瀬は、恭一の薄そうなところが大好きなんだろうけど、「薄くないくせに…たぶん…」っていう賭ける何か確信めいたところに触れずにいられなかったのだな。
「待ってるんだ」と、恭一は恋人の存在を匂わせて女性と別れる。
そんなに愛した女性がいたんだと、彼女は涙を流す。
恭一は男とか女を待ってるんじゃない。
今ヶ瀬という「人間」を待ってるんだよなぁと。
女性陣だって恭一をちゃんと愛してたと思うけどさ、恭一にかける「期待」がなぜかつらかった。
恭一は持ってるものがあまりにも多くて、まずその容姿、社会的地位、センス、優しさ。
今ヶ瀬だって恭一に一目惚れだったから男も女もないかもしれない。
でも、私にはどうしても、女たちは恭一というマジョリティーに手を伸ばしてるように見えた。
だって女たちが感じる恭一の魅力ってなんだろうね。
恭一に愛されたい。恭一から与えられたい。恭一の特別になりたい。
それは今ヶ瀬も同じかもしれなくても、「違う」と感じてしまうのはなんでだろう。
自分だってそういう恋愛ばっかだったかも。
たくさん期待したし、与えられたかった。
あの小柄な女子みたいに「ハンバーグを作ってあげる、お皿も私が洗うから…」みたいなことが愛のお返しと私も思ってた。そのくせ子猫みたいに「おいで」と言われたがる。それを積み重ねればどこか「道」に通じるように思ってさ。
・・結婚という道だな。
今ヶ瀬と女たちが違うのはその到達点かもしれない。
女はその道をまったく頭に描かず恋愛することなんてできるのかな。
女も女でそれは苦しい。