役所さんの映画見てきました。
「PERFECT DAYS」
(MOVIE WALKER より)
上映中なのでストーリーには触れないようにします。
率直な感想としては今の日本の映画界からはこういう作品は生まれないだろうなということ。
なんて、わかったように言っちゃうけど、外国人の目線でしか見えないことがあって、その「外国人の目線」という説得力がないとこういう作品は作れないんじゃないか。
いい映画を見た、それだけでいいはずなのに、不思議な寂しさが漂う。
切ない映画でもあった。だから帰路に感傷的になっただけかも。
物語の舞台は、スカイツリー周辺の下町と渋谷区周辺。
役所さん演じる平山は下町のアパートに住んでいて、毎朝早くからトイレ清掃員として車を西へと走らせる。
いつからかスカイツリーは下町のシンボルとなり、東京タワーはリッチさの暗喩となる。
スカイツリーのふもととなればある種の生活水準がイメージされ、特にドラマだと古びたアパートや銭湯がよくセットで描かれますね。
私自身、近いエリアに住んでいるので、この地域に豊かな何かが見出されるのは嬉しい。
豊かさだらけだよ、ということを知ってると思えるというか。
リッチな人に「全然豊かじゃないし」と言われりゃ、そうかもね、なんつって話を打ち切るだろう。
話にならない。会話が成立しない。
冷笑するならほっといてくれ。
平山はそんなことすら言わないけど、時々お金や持ち物のほうから冷笑しにやってくる。
それは避けられなくて心は乱されるけど、そんな日もあるよね。
冷笑したのは自分かもしれない。
外国人っぽい視点だなということ。
ヨーロッパにはいそうな年配者でも日本にはいないんじゃないのか。
ついそうやって視線の熱感を下げようとするけど、そのうち自分を重ねて見ていた。
自分の10年後、20年後の想像ってなかなか恐怖で、今と何も変わらなかったらどうしようとか。
10年なんか経たなくても、今でも膝抱えて音楽聴いてていいのかとか、誰かの目線が下ってくるような妄想。
そりゃ社会経験や地位の上昇を重ねれば、積もる感慨や選ぶ言葉も成熟したものになるのだろう。
幼稚さの発露を恐れ、隠し、「まぁこんなもんだろ」という装いで外に出る。
「どんな自分だっていいだろ」と思える日のほうが少ない。どこかびくびくしてる。
目に見えるものを自分だって積み重ねてきたかった。
そしたらもう少しまともだったかも?
どこまでいっても社会的な評価ばかり気にして、年を重ねることを恥ずかしいと思う。
それらから自由になれるのがたった1人の時間。
結婚の話題になったときの役所さんの顔が宇宙人みたいでした。
何も読めない。
そういう顔の平山が随所に見られ、
「この件に関してどう思うのか?」ということの回答をいちいち持ち合わせない人っているよね、と思った。
私なんてのは聞かれもしないことの答えを律儀に用意しといたりする。
人を納得させられるように。
その機会は別にきやしないのだから、平山みたいに大いに戸惑ったっていいんだ。
エンディングの役所さんの表情はすごく想像力がかき立てられるものでした。
私の想像。
・ゆうべの交流の感動
・ひどく悲しい(ある人の告白)
・心からほっとした(また変わらない日常と交流)
・大好きな曲が妙に沁みるときって、あるんだよなぁ…
自分と同じじゃないか。
あと空と川と植物はずっと見てても飽きない。
飽きないんだよなぁ…と、映画見た直後くらいはそういう時間をたっぷり取りたくなりました。