広末がパニックに陥ってたであろう時間。
私も、とあることでパニック状態だった。
トランプはトチ狂った関税率で世界に絶望感を与えた。
今回の水星逆行終了日の混乱はすさまじい。
ETCも盛大に故障してましたね。
つながっている。
そう思うことで、孤独がいくらか和らいだ気も。
私自身のパニックは、まだしばらく引きずりそう。
メンタル的に立ち直ってないので、何があったかは書けそうにないけど、不幸かといえばそうとも言えない面もある。
衝撃と悲しみと謎の多幸感がかわるがわるやってきて、今は「時」にまかせようという感じ。
少し前なら「行動」で自分のモードを強制的に変えようとしていた。
それは「逃げ」だったかもしれない。
じっとしてられない衝動がいつでも自分の本質と思ってたけど、「まぁ待て」という制止、それを聞き入れる落ち着きこそが自分をニュートラルに戻す。
恥ずかしながらやっと、「現実を受け入れる方法」を得たとも言えそう。
なんのこっちゃという話ですがね。
「人生でがっかりすることが多いかもね」
そう言ったのは松村潔先生。
私のホロスコープに「7度」のサビアン惑星が3つもあることから。
それは「がっかり度数」とも言う。
理想に手を伸ばそうとする度数。
一番楽しいのは手を伸ばしている間。
到達したら一気に高揚感が消えるらしい。
確かにマインスイーパでもフリーセルでも、クリアした喜びはほんのちょっと。
攻略中が一番燃える。
ひどくがっかりしたこと、そういえば何度もありますね。
それだけ夢を見やすいということだけど、「楽しかった」とも思えている・思うようになる。
あと自分はびっくりしやすい。
「ふーん、だろうね」とか「だと思った」みたいな冷めた反応する人が時に信じられない。
冷めた人は土星座の月の人に多くて、「なんにも特に期待してない」が通常モードであることにいつも驚かされる。
獅子・火星座月の私は、「なにかあるかも(ワクワク)」と胸を躍らせるのがわりと通常なので。
(そりゃがっかりしやすい)
「何にも期待しない(したことがない)」という友人が多いんですよ。
もれなく月が土星座で。
月が風星座の人もわりとクールだけど、「自分仕様の楽しみ」をいつも携えてる印象。
月が火星座だと、「自分仕様」を超えがちなんですよね。なんかもっと楽しいことがある気がしちゃう。
だから常にテンション高めだし、期待が外れれば「なにぃー?」とテンションまた上がるし、喜怒哀楽が激しい。
月が水星座の人は周りの人の感情次第という感じがする。
みんな楽しそうなら自分もそうなるし、不穏な空気にも影響を受けやすい。「自分」というものをあまり意識してないように感じることもある。
ちなみに広末さんは太陽蟹、月が乙女と天秤の境目だけど、天秤初期度数という情報も目にしました。
ただ、この月は火星と土星の近くにあり、アクセルとブレーキという感じ。
「ちゃんとした人だよ」と言う人もいるし「確かに激しめだね」と見てた人もいるでしょう。
暴走しやすいだろうし、その分の戒めも自分に厳しくかけそうで、時代が違ってたらすぐ出家しそうに思うけど、出家撤回もしそう(そんなのできないかもだけど)。
風星座月なら、基本いつもゴキゲンなはず。
その様子が普通の人からしたら「テンション高め」と見えるかもしれない。
その上、「やっちまった!」という自分責め・ダメ出しも激しいはずなので、周りからはやっぱり極端に映るのかもしれない。
そうはいっても蟹座。すさまじく人気者になった分、バッシングも受けやすい。
波!!という感じを受けた。
金星は双子座で海王星とオポジション。
天然パリピみたいなゴキゲン感はここからもうかがえるものの、冥王星ときっちりトラインなので、伝説的なあの可愛らしさは永遠に語り継がれていくんだと思うし、また表舞台で美しく活躍する日は必ず来るはずと思う。
中居氏の件の詳細が明らかになってきたとき、武田鉄矢の「独身だったから(こういう事件を…?)」「親身な身内がいれば…(防げたかも?)」との発言を見かけた。
いまだにこういう発言かよ(やれやれ…)と思うものの、「わかる」と思ったりもする。
私自身も独身なのに、わかってしまうのです。こう言いたい気持ちが。
実際そんなことないはずなのに、この手の論に立ち向かえない。
私は複数人数での集まりが苦手。
とはしょっちゅう言ってることです。
複数人で集まると、なぜか武田鉄矢的ジャッジが幅を利かせる。
自分の身に起こったことや「本当のこと」を語っても、「この悩みってやっぱ変かな・甘えかな」と自分を疑ったり責めたりしやすい。
人が大勢集まったときの、「自分以外みんな正しい」みたいな空気はなんだろうか。
その正しさは大体心地悪い。
40後半になってからは交友関係がぐっと狭くなり、会うとなるとほぼ1対1。
その分「自分オリジナルの悩み」を明かしやすくなりましたけどね。
この間の「べらぼう」、瀬川の決意。重三郎との別れ。
どぉして!?とも思うけど、わかる気がして泣けた。
「あたしはやっぱりこの選択はできないよ」
そうして1人で行方をくらます。
重三と所帯を持つ寸前での決断。
「この選択をすれば孤独にならなかったのに」
そう言うのは簡単ですがね。
社会に受け入れられる方に行ったらどんなに楽だったかと思うけど、楽しいかどうかはわからない。
孤独や悲しみもパッケージされた激しさにどうしても巻き込まれてしまう。
それを望むのはこの自分であり、7度のがっかり度数たちなのでしょう。
その決断はそれでいいはずなのに、自分1人じゃ「よし!」と思えない時間が長い。
それが苦しい。
社会的な標準形にどうしても照らしちゃうから。
そんなとき、自分はいつも父と母を思う。
しょうもない借金を抱えただらしない父と、そんな男にあきれながらも「夫」としての期待を捨てなかった母。
世の中にはしょうもなさを貫いた人たちもいるもんで。
ばかだなぁと思いつつ、その中で育ってしまった。
親戚中から嘲笑される夫婦だった。
それぞれに愛着を抱いた。
自分にはそんな一部分がある。
「カムカムエヴリバディ」では、暗黒時代の長さがとことん描かれる。
中年になってやっと光が差し込む、その重さがリアルで泣けるんですよね。
虚無蔵や文四郎のように、光を感じられないまま、それでも人生を歩む人もいた。
それがまたドラマチックで…
自分は内にも外にもずっとドラマを求めるんだと思う。
(それだけがっかりするのはやっぱしょうがないこと)