映画「JOKER」

映画「JOKER」をやっと見ました。


JOKER HPより

映画見終わったあとは、JOKERの考察とか感想をやたら読んだり、ホアキン・フェニックスについて検索したりが止まらなかった。

私はアメリカ映画界に本当に疎くて(どの映画界も疎いけど)、ホアキン・フェニックスといっても顔は浮かばないし、「バットマン」も見てないのです。
また、人の考察を読んで初めて「あ、そうなんだ?」ということばかり。
それでよく楽しめるなと我ながら思うけど、「JOKER」のラストで涙があふれてしまった。

いや〜ホアキン・フェニックスにずっと惹きつけられた。
あの悲しい目!悲しいダンス!あのイタさ…!
どうしてこんな表現ができるんだろう?といろいろ調べてたら、そうそう、リバー・フェニックスの弟ですね。
ホアキンの悲哀感とリバーの死が繋がってるのかはわかりませんが。
なのであれこれ疎い私が見た拙い感想です。

 

まず元のホアキンをよく知らなかったけど、裸の後ろ姿を見て「ものすごい減量したんじゃないか?」というのはすぐ感じられた。

頬もげっそり。52歳ぐらいと思ったら45歳ということでびっくり!!
「JOKER」のことが語られるとき、「パラサイト」や「万引き家族」もよく引き合いに出されるというのはわかる。
貧困問題・貧富の格差・抜け出せない負のスパイラルのあたりが強調して描かれてます。

ホアキン演じる「アーサー」は、ふいに笑いがこみ上げ、しかも止まらないという障害を抱える男。
その笑いに接した人は、「なぜ笑うの?」「ここ笑うとこ?」という不快感を隠さない。
でもそのうち、あれ?泣いてんの?と気づく。
もしかしたらその笑いは咳みたいなもので、激しい咳すると涙が出てくるような、アーサーの笑いはそういうものかもしれない。
なのになまじ「爆笑」に見えるから、障害とは理解されにくい。
「僕は笑いが止まらない障害を持っています」というカードを持ち歩いてて、不快がる人にそれを見せて理解を求める(あんま理解されない)。

そのほかアーサーの暗い側面がたくさん描かれます。
ピエロのアルバイトで生計を立ててたり、母子家庭でお母さんの介護を何年も続けている。
仲間はいるけどどこかバカにされがち。
メンタルのカウンセリングルームも、市の要請で閉鎖される。
やがて仕事も失う。どん底の日々。

でも夢がある。
それはコメディアンとしていつかステージに立つこと。
笑いのセンスがどうやらないけど…

アーサーのこの「笑いのセンスがない」ところにちょっとキュン…としてしまいました。
イタすぎる…サムい…という同情心みたいなのがいつしか恋心に変わるような。
・・恋はやっぱないか。
でもアーサーが小児病棟で拳銃を落としたときのあの間の悪さはたまらなかった。たまらなくウケた。
「シー…(内緒!)」→シーじゃねー!(速攻チクられるし)
いや、あのアーサーすごい好きですよ。
間違って発砲したときの慌てふためくとことかドリフ!志村けん!
あと、アーサーが感極まったときに踊り出すところ。
あの舞がたまらなく切ないし、すごく高揚する。
かっこいいじゃん、アーサー。
なのに、あのダンスは大抵誰もいないときに繰り出される。

「かっこいいアーサー」というのはわりと幾度も目にします。
その踊ってるときと、あと同じアパートに住む黒人シングルマザーのソフィーと一緒のとき。
ソフィーが笑ってくれれば、ステージでだだスベりみたいなアーサーのギャグも、なかなかイケてたんじゃないかと感じられる。
倒れた母親を心配するアーサーの背中をなで、額にキスするソフィーは、アーサーの献身さを十分知っているんだと思う。

が!!!
アーサーには他に「妄想」という重大な障害もあった。妄想を現実と混同する。
ソフィーとのこと・・妄想
ステージに立ったこと・・妄想
発砲したこと・・妄想の線が濃厚

これは悲しすぎる…!!

特にソフィーとのことが妄想と自覚した瞬間の、テッテレーっぽい答え合わせ映像みたいのには私もショックでした。
どうりでアーサーに都合のいいことばかり起こると思ってた。
「なんでだっけ?」というおかしいところも満載です。
ただ「どこからどこまで妄想か?」というのはいろんな考察があって、どれが正解とかわかりません。
99%と言う人もいれば、あれとあれはリアルっぽいと言う人もいる。

でもほとんど妄想と思うと納得がいく。
アーサーがかっこいいとこでは笑いの発作も起きない。
またアーサーに向き合ってくれる人は黒人や障害者で(母親も含めて)、アーサーを追いつめたり迫害してくるのは白人、とりわけお金持ち。
いつかそれらに対して正当に反撃するために、アーサーが自分の中で温めながら肥大させてきた被害妄想物語とも言える。アーサーが誰かに語った瞬間、何もかも泡となって消えるようなストーリー。
「恋も華やかなステージも、事実はどこにもなかったのさ」
「確かなのは、アーサーという病んだ男がこの世にいたことだけ」
「可笑しいかい?」
ってことなのかも・・?

それにしたって悲しすぎる物語ですよ。
あの差別や迫害や、金持ちからのぞんざいな扱いは決してアーサーの妄想だけじゃないはず。
「実際あるんだよ」
と声高に訴えても誰も取り合ってくれないなら、存在しないのと同じこと。
だったら妄想の中で盛大に殺してもいいだろう…?
そういう皮肉ストーリーにも感じました。

この映画の素晴らしいところはあと音楽と、なんかおしゃれってところ。
それらがホアキン・フェニックスにぴったりハマってたのがかっこよかったです。

ハレの日にこんな衣装を合わせるなんて、アーサーめちゃおしゃれじゃん。

でもこれも妄想なのかも。実際の私服はこれ。

ロバート・デ・ニーロ演じる大物コメディアンに、「俺のことはJOKERと紹介してくれ」と強気に求めるアーサー。それも妄想だったのかもしれない。
またデ・ニーロの大物MC感が見てて気持ちいい。
音楽に合わせてゴーゴゥ〜!みたいなノリもすごい好きです。

いよいよステージへ!という前にひと踊りする余裕も全部夢…?(わかんないけど)

アーサーは、あの人もあの人もあの人も殺してしまう。
その全ての遠因に、差別の恨みよりもっと根が深い、「父親不在」ということがあるようにも思えます。
「傷つけられた」「裏切られた(捨てられた)」という被害感情が、生まれてから切り離されることのなかった男の人生。
これをどういう気持ちで観ればいいだろう?というのが難しいかもしれません。
映画が難しいわけじゃなく、自分の気持ちの置きどころが難しい作品と思いました。
それにこの映画は、「同情不要」という仕掛けがうまいこと隠されてるように感じた。
同情したくなるけどできないんですよね。
アーサーに心を寄せたいけど「なんか違うな」と思う。うっかり共感とかして煽られないでねという仕掛けがあるのかも??
ただなぜ感動したかというと、徹頭徹尾イタかったからかもしれません。
笑いのポイントが周りとずれまくるけど、人を笑わせたいと夢見てるアーサー。
汚いネタ帳をいつも手に持って。
人から見たらバカバカしいことに一生懸命になるとこは、自分同じかも…と思った。
私がこのブログを書いてるこの熱量も、知り合いからバカにされてんだろうという妄想を肥大させようと思えばできるんだと思う。
この映画にメッセージ性はさほどないように思ったけど、デ・ニーロ演じるマレーにアーサーが、「外に出たことあるのかい?」と問うとこは唯一リアルな鋭さに感じた。
世の中が今どうなってるかわかってる?僕みたいのもこの街で暮らしてるんだ…それって見えている?
(見ようとしてる?全部ジョークで笑い飛ばせる金持ちさん)
2回見てまたちょっと書き直しました。
やっぱラストのエンディング曲とドタバタ感が泣けます。

 

マイケル・ムーア監督の「JOKER」評がとても刺さる。さすがです。
「あなたがこの映画を観ないなら、それが社会の危機になるかも」

 

アカデミー賞授賞式では体型が戻っててホッ!
環境問題、動物愛護問題に向き合うべき私たちの変化がいかに難しいか、自然を奪う人類への批判をスピーチに込めるホアキン。
最後は声を震わせながらリバー・フェニックスに触れる…(泣)

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