岡村靖幸氏の連載が掲載されてる雑誌GINZA。
次なる対談相手は、宮沢章夫さんらしいですね。
宮沢章夫さんといえば、Eテレ「ニッポン戦後サブカルチャー史」でずっと講義をされてる方であり、もともとは劇作家の方。
この「サブカル史」、私の興味にドンピシャとハマるものばかりで、特に最後の第3シリーズ、特に特に最後の回は、「神回」とも言えるものだったと思います。
私が宮沢章夫さんに初めて触れたのは、大学時代に買ったエッセイ「牛への道」でした。
それから20年弱。
まさかTVで動く宮沢さんをお目にかけるとは。
そしてやっぱり面白い方だった。
第2シーズンではいろんな方が講師になられたけど、やっぱり宮沢さんの講師じゃなくっちゃ!と思った第3シーズンでした。
その第3シーズンの「神回」
「渋谷系」の回もすっごくおもしろかったけど、この最終回の濃密度はすごかった。
知らないカルチャーも人物もいっぱい出てきた。
悪趣味系も知らない。
それを生んだ村崎百郎も、あと古橋悌二も、いとうせいこうさんがラップで何を訴えていたか、岡崎京子さんの世界も。
そして「でもやるんだよ」の言葉がサブカルの世界に与えた影響も全く知らなかった。
でも、なぜだか今までの回と全く違った重さに宮沢さんはぐっとまとめて、それがずーんと体に入ってきて。
結局は虚無感を抱えてこれからも生きていく、その肯定感が爽やかに感じられた回だったのでした。
「でもやるんだよ」
この言葉に触れたのは、初めてではなかった。
私が唯一持っているスチャダラパーのアルバム「5th wheel 2 the Coach」に収められている「ノーベルやんちゃDE賞」という歌詞の中に出てくるワードなのです。
出てくるのはサビの最後のとこ。
スチャダラにちょろっとしか触れてこなかった私だけど、それでも彼らが根本敬という漫画家をすごくリスペクトしていることはちょろっと知ってました。
でも根本敬という人物、姿かたち見かけたこともない。
それで初めて見かけたのは、前シーズンでの「サブカル史」じゃなかったけかな?
何よりその風貌に度肝を抜かれたと同時に、でも語る内容の「まともさ」とか言葉のチョイスから滲むなんか優しさみたいのとか、異様にワクワク興奮する感情が生まれたのでした。
これは今回のサブカル史での映像。
でも前回と変わらず部屋の鳥かごが存在感を放っているし、何よりあの髪型。
「サブカルの人」って結局おしゃれ男か?ってとこのいまいましさを、爽快に吹き飛ばしてくれたような風貌。
そして神回では、あの「でもやるんだよ」が、まさかまさかの根本さん発信の言葉だったとは!という奇跡の「つながった!」
厳密に言えば、根本さんの言葉ではないのです。
根本さんの取材先にいた親爺の言葉。
広大な敷地で犬500匹を飼育しているという施設で、犬のエサ皿をいちいちママレモンできれいに洗ってるボランティアの親爺。
どうせすぐ汚くなるのに。
それを見ていた根本さんに男性は言う。
こんな事、無駄な事だと思うだろう?
でもやるんだよ!
この神回が終わるや否や、「でもやるんだよ」が載ってる根本敬氏の著書「因果鉄道の旅」をKindleで購入。
しょーもない人たちの取材録みたいな一冊だけど、彼らを観察する根本さんの視点の「まともさ」が救いに思えるという不思議な効果を感じる本。
「エロ話のセンスがいい人って、絶対信用出来るよ」
と言い切る、これまた不思議な確かさ。
そして何より感動&驚嘆したのが、「あとがき」。
この一文から始まる。
「本来、人の数だけ世界(思い切って宇宙と呼んでも良い)はある。」
「そして人にはそれぞれ性質がある。性質が時空に働きかけ、運命を呼び、運命が性質に次なる影響を及ぼす。その循環運動をホシと呼ぶ。」
ホシ!?
なんか、なんだか…。
「誰でも当たる棒に必ず傾向がある事と思う。だから、自分の当たった棒を10本ぐらい並べてみれば、自ずとこのホシが見えて来るのではないか。」
「このホシを知り、心掛け(根本の場合だと、下らねえレコードを買ったり、土方のエロ話をちゃんと聞いてやったり)さえよくすれば、便通同様、ホシの循環もよくなり、(中略)自分自身が次第に増幅して行く…様な感じもして面白いのである。」
もう私には、ホシ=ホロスコープに思えてならない。
しかも「己のホロスコープの良き使い方」にまで見えてくるんだから!
根本敬氏はホロスコープなんてものをきっと知らないと思う。
「それにしても…、それにしても、だから何ンなんだ、神(天・自然)は俺に何故こんな事をさせているのだ。そして一体何処へ行かせる気…なのか。」
そうして大いなるものに身を任せた末の(たぶん)
「でもやるんだよ」
という奇跡のワード。
実際に多くの人を救ったというんだから…。
この本の最後は、勝新太郎さんのことについて。
私は勝新さんに関する記憶がちょっと薄い。
でも根本敬さんから見た勝新さんを感じるだけで、なんだかとても好きになる。
そしてリスペクトも感じるんだけど、そのリスペクトの表し方がすごい。
「勝新はいちいち真理を吐く、というか真理しか吐かない男なワケですよ」
「社会ってのは、(中略)そもそも神(天・自然)の法から外れたモノなんだから、そこでの最大公約数や平均値を目安にしている以上、世間の常識・良識が真理つまり絶対的なモノであるわけがないよね。だから、勝新が折り合うワケないんだよ。」
う~ん、だいぶ私も大人になって、うっすらわかってきたようなこれらの視点。
なんかやる。
やらずにはいられないことを、やる。
虚無感だらけでも、導かれたんだって言い張ればいんだ。
そこにつながる→「でもやるんだよ!」
写真すべて「ニッポン戦後サブカルチャー史」より。