うきわが終わってしまった

ついに最終回を迎えたドラマ「うきわ」


ドラマうきわHPより)

むちゃくちゃドキドキした最終回でした。

特に、この森山さんの言葉を受けたときの麦ちゃんの目線カメラワーク。
あそこすごくなかったですか?
まつげの動きだけをゆっくりとらえた。

私がこのドラマを「おもしろい」と思った理由は2つ。
ちょっとエロを感じてたことが1つ。
さすがにここで抱き合うだろ…(でもだめ!触れ合わないで!)というムラムラというかドキドキが毎回あったんですよ。
そんでシーンが終わると、どぉーっと息をつく。
それが麦ちゃんと直太朗さんのシーンだけじゃなく、麦ちゃんとクリーニング店男子との間でも思うんだから、自分はおっさんかと思った。

2つ目はなんたって森山直太朗さんですね。
なんでしょう、あの方は。癒やし!
なのに一言一言にドキドキする!!
そりゃ惹かれますよ、今の時代特に。
上から目線なし、オスとしてのギラギラなし、優しさと真摯のかたまり。
だけじゃなく、妻より生活力ありそうで、妻より家にいる時間が長い。
これまで浮気される側というのはドラマじゃ妻と相場が決まってて、つまり麦ちゃん演じた麻衣子のような専業主婦。夫を待つ時間が長い。
それを男側が演じたドラマというのは、あっただろうけど直太朗さんほど生活になじむ男性はいなかったと思う。
特にここ数年の私はむやみに男性に敵対心を抱いてて、まさに大東さん演じたたっくんみたいなのが男の標準形と勝手にメラメラしてました。
俺が守ってやる系(実際は浮気してる)、仕事で疲れてる系(女の話全部めんどくさがる)、そのくせかまってほしい系(性欲旺盛)。

 

岸田さんが次期総理になる運びということで、菅さんよりは話のわかる新時代の父親っぽい人だなと思いつつ、当選した日に奥さんにお好み焼き作ってもらったという話に、またか…とがっかりした。
作らせんなよ、寿司でもとったらいいじゃんか(とったかもだけど)
これまでの支えをねぎらって、むしろ妻を働かせないってんじゃだめなの?だめなんだねと。
寿司とったって奥さんはビール瓶が空になれば冷蔵庫に走ったり漬物足したりさ、労働禁止しても働くんだろうよ…
愛妻家アピールすれば格が上がると思ってる男性のマインドがまるで昭和というか平成というか。
そんでマスコミもほっこりエピソードとして取り上げてんじゃないよ!と、怒りながら一層”二葉さん”が恋しくなったりして。

岸田さんは獅子座だから、木星土星が水瓶座にある時代にふさわしい選出とは思う。
年齢域惑星の土星も水瓶だし、奥様も獅子座でした。
やっと獅子座に光が当たる時代の到来なんですよね。
運命的には妥当だろうけど、「支える奥様」という報道の古くささにとにかく失望。
この水瓶時代にさ。
選択的夫婦別姓制度にも消極的な岸田さん。
まるで、「多様性」がアピールされまくったオリンピック開会式みたい。
アピールなら誰でもできる。しかし現実と乖離したあれこれ。
令和になってもなぜこんなに昭和っぽさが抜けきれないんだろう、むしろ時代後退してない?と思いを馳せてみるならば、やっぱり不景気だからでしょうか。
男が女を守る(だから女は男を支える)
誰もが「自立」できるほどの精神力も金銭力も、今は限界に近いから。特に若者の。

「うきわ」の麻衣子は自立した女ではなかった。
転勤前は仕事をしてたようだけど、東京で正社員になろうとするほどの意欲というか自信というのか、そこまでのものはなかったみたい。
だけど夫の浮気に気づいてから、「このままじゃいけない」となんかアンテナ働いて、バイトを始める。
それは、「家にいたら浮気のこと悶々と思い巡らしちゃいそうで嫌だから」かもしれないし、「浮気されてるのに”おいしいご飯作って待ってる妻”とかやってらんねぇ」と思ったかもだし、もしくは専業主婦という立場が非常に弱いという直感があったのかもしれません。「私も働く人」として少しでも夫と対等でありたいと。

 

最近どうもメラメラしてるのは、こんな本を読んだからでもあります。


家族収容所(愛がなくても妻を続けるために)・河出文庫

初版は2003年。文庫化は2012年ですが、このころから世の男女関係がアップデートされてるようにはどうも思えない。
不景気のこんな時代。
依存・パラサイトが「結婚」で肯定されれば女にとっては都合が良い。
それはいまだに「選ばれ」のムードが根強いから。妻として選ばれるためならあらゆる「個」をそぎ落とし、相手に染まろうとする。「そぎ落としてくれた君に責任を持つよ」という結婚への流れ。
なんて、さすがにそんな時代じゃない?婚活市場から遠ざかってる私の古い思い過ごしかもしれない。
ひとつひとつの選択が1組の夫婦の個人的な物語のようでいて、実は国家観とか国の思惑で、そう選ばされてるところが大きいと思うのです。
女が自立しないことが今この国にとってはとても都合が良い。女を男の対等に絶対置かないという強い意思。
その強い意思があってこそのあれこれ。まさかね…とは思うけど、女が1人で立てないようにすることなど、広告のあれこれを使えば簡単なのであって(シングルはみじめとか老後の不安煽りとか女同士の分断をけしかけるとか)。だって選択的夫婦別姓制度を通すことになぜそんなに頑ななの。離婚に踏み切れない一つに名字問題というのもあるだろうしね。

信田先生は最後の最後に、「離婚(シングル)」という厳しいマイノリティーにあえて踏み出した女を「あの人は強いから」などという突き放す言葉で切り捨てちゃならないと強く語られた。
麻衣子は最後シングルを選ぶんですよね。
とてもすがすがしかった。
たっくんみたいな男とこれからも生きるという諦めに埋没しなかった麻衣子。
お金もないはずなのに一人暮らしを決めて、これからどうやって生きるかわからないけど、マイノリティーへの歩みなんて、心の虚しさに比べればなんてことないように見えた。実際は不安でいっぱいだろうけど。
二葉さんとの出会いでそのあたり変わったのかもしれません。
二葉さんの幸せを願うことが本当の愛なら、自分だって幸せにならなきゃね、と。あのラストを見て、門脇麦さんが麻衣子に本当にぴったりだったんだなとつくづく感じました。

 

だけど信田先生は、シングルを選ばない女、愛のない結婚を継続する人を責めることもしません。
それは女が1人で今すぐ自立して生活することの難しさがあるからと思う。
「とにかく生きること(なるべく健全に)」を推奨される。
そのためにはどんな結婚生活でも「制度」と割り切って折り合たっていい。シングルになるよりも健康に生きられるなら。
ただしDVとか心身ともに傷つけられる事態からは逃げなければなりません。
それでも逃げられない人のための「方法」まで書かれた一冊でしたよ。

「ふつう」から外れることをどうしても選択できない人は多いです。パートナーからどんな痛いことを受けても、世間的にふつうであるならその中に収まろうとする。その「ふつう」ムードもCMからドラマから夕方のニュースから殊更にあおられてますよね。
これでも、昭和よりかは時代が進化してるのかも。
実態は亀の歩みでも人の意識はこのコロナ禍でずいぶんアップデートされた気がします。
選手村はパラリンピック仕様になっていたそうで、障害者にとってはもちろんのこと、健常者にとっても優しい造りだったと。
弱者に寄り添うほどに、誰にとっても優しい世の中になるはずで、何の話かと言うと、これから新しくマイノリティーを選ぶ人・すでにマイノリティーの人を肯定的に捉えるだけで、全体的な恐れや不幸感はずっと薄まっていく気がするなということ。
東京パラリンピックを見てて、私がたとえこの先障害を負ったとしても希望は無数にあるんだなと思えたことと麻衣子の行く末が、ちょっと重なった気がしたんですよね。
私の知らないところで、優しくてすでに困っていた人たちが経験を敷いてくれていると、日々。

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