スイッチを入れる人・入れない人

「境界を引く」というのは去年からの私の大テーマです。

家族や人間関係でいろいろあったのをきっかけに、本を読んだり夢分析とか、自分を見つめることにずいぶん取り組みました。

今までは人間関係って「本音で話し合う(たとえぶつかっても)」ことで築かれると思ってた。
でも書店でもネットでも、令和になってからは昭和・平成と違う「人間関係のススメ」をよく目にするようになりました。ぶつかるよりむしろ距離をとる。

最近参考になったサイト → 「境界と親密さ

前からあった鉄則かもしれませんが、私が特に学んだのは「越えてはいけない境界」が誰にもあるんだということ。体にも心にも絶対守らなきゃいけない領域がある。
最近、幼児や小学生にも「他人にむやみに触れてはいけません」と教育されるそうですね。
昔よくあったスカートめくりとか、ふざけてのキスとかも「親しみの裏返し」として容認しちゃいけないということを幼いうちから教えてると。
幼いうちから性被害の違和感に気づきやすくなるのは大事でしょうね。周りにも訴えやすくなりそう。

いまだにドラマで、関係の浅いイケメンがいきなりバックハグしてきて「きゅん…」みたいな展開があるけど、そろそろあれもNGでしょうよ。だっててめぇがイケメンだから?
女をみくびってる雑さを感じるようになったのは私だけじゃないはず。
武井壮は壁ドンの成功率を「いや全然っす。20%くらい」と言って周りを「2割も成功!」と驚かせてたけど、そんなに壁ドン繰り出してる男が現存することに驚いた。
やっぱある種うっとりさせられる行為と思ってんだろうし、逃げた8割は「ありえない」ってことをよくわかってるんでしょうよ。
「境界」を侵害しかねない行為かつ暴力性をはらむ壁ドン。これが令和の壁ドン定義ですよね?(ババアの目くじら)

その境界。

私自信、「踏み込まれると弱い」とこがあるというのも2022年自覚しました。
恋愛だといわゆるグイグイくるスピーディーなやつ。
同性同士でも、「あなたがいてくれればいいの…」と濡れた目で言う人がいる。
あと「他の誰にも話してない」とか、親友宣言とかですね。そういうの小学生からの夢・憧れでしたよ。
でもそれが叶うと私は壊れやすくなる、ということがわかった。時に孤独を埋め合うような。

「いつでも電話してこい」とか言う男。でもって結構あっさり離れていきますよ。
私のスイッチを押す人々。一度開いたらそうは閉じない心の扉。
それは私にとって禁断スイッチですね。
どこまでも受け入れてくれそうなオンリーワンの存在、と錯覚する。
扉の奥にどわーっと何かが流れ込んで、それを愛と思い込む。

だけどそれは彼ら/彼女らへの過度な期待と依存の始まり。
話し合いをすれば共感を求め、「わかってほしい」気持ちが強まる。
愚痴も夢も聞いてもらいたい。
そりゃ濃厚な時期もあります。
恋も友情も「あなただけ」の相思相愛が叶う時期がある。
その夢中なさなかに突然放置されるんだこれが。
その放置に大きく揺さぶられ。健全じゃない状態。

スイッチを押すとか押されたとか、互いに「プレイ」なら何の問題もない。
押す側(と私が勝手に思う側)は、相手の依存心を刺激してるとよもや思わないはず。
でも、私にとってそのプレイは毒。そんな人は少なくないと思う。
押す側にとっては「ただの(いつもの)友好のしるし」、私にとっては「思わせぶり」
ただの友好で「あなただけ」と耳打ちしたり、みんなの前で頭なでたりとか誰も呼ばないあだ名で呼ぶとか「特別感」を示さないでほしい。

そういう彼ら/彼女らも境界の問題を抱えてるのかもしれない。何とかして人を惹きつけたい欲求があるのかも。
恋愛だけは違う領域と思ってたけど、友情とそう変わらない。尊重も境界も大事です。
しかし家族だけは違うとまだ思ってた。境界線薄いのが家族だと。
でも家族こそ境界線は必須。「家族だから」という理由で踏み込んだりズケズケ言って傷つけちゃいけない…反省することいっぱいあるなぁ…

40年以上生きてきて過去振り返って思うのは、「満たしてくれる」という甘い感情は罠ということ。
満たしてもらってもすぐ不安になるし、その不安もまた相手に埋めてほしくなる
そうやって「誰かに埋めてもらった」関係は長続きしない。私の場合。
穏やかであること。自分も相手も傷つかないこと(そう心がけること)

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