「私は仕事をちゃんとやりたいだけ」
「エルピス」最終回での浅川恵那(長澤まさみ)のセリフ。
最終回泣けましたね〜。
気概に泣けた。
帰結に泣けた。
(エルピスHPより)
「仕事をちゃんとやりたい」恵那が思いを遂げようとする。
そのたびに壁が立ちはだかり、阻害され、妥協する。
緊張感張り詰めた苦しいドラマだったけど、本当お見事でした。
もう1つ、感動したドラマがNHK「忠臣蔵狂詩曲No.5 中村仲蔵 出世階段」
(NHKより)
中村勘九郎演じる中村中蔵が「中村仲蔵」という名題役者に上り詰めるまでの物語。
これまた気概に泣けたんですよね。
感動するようなポイントが他のドラマとは異なる。
中蔵もまた「仕事(芝居)をちゃんとやりたいだけ」
なのに他の役者たちからつぶされまくる。
「つぶされる」って体験、人の人生でどれだけあることでしょうね。
私はすごくたくさんあった。
被害者意識が強いのか?
いや、ゼネコン時代の20代前半も、達成感で仕上げた仕事を男性上司に横取りされた。
その人は「いい人」で通ってたのですごくショックで。
「あれshikinemoさんの仕事じゃ?」と気づいてくれた人はいた。
そのとき横取り上司はチラッとこっち見ただけで無視。本性見たり。
のちにそいつは会社の経費でいつもグリーン車に乗ってることが問題となる。やっぱそういうやつなんだよな。
セコい男だってこと。
まっすぐであろうとするほど、「折られる」出来事にあうんだな。
何回か折られてようやく、だからみんなヘラヘラ・ふにゃふにゃしてんだと気づく。
いやいや〜またまた〜って会話を身につけたつもりだったのに、何分ももたないよ。どうなってんだよみんな・・
なんでそこで妥協するのかわからない。
こういうとこで私はわりとムキになる。
理由があればいいけど、理由のつかないゆるさは「手抜き」と受け取られかねない。
仕事の相手先に説明のつかないことはできないと思う私がおかしいのかな。
「だって面倒じゃん」
これが本音としても、それをコーティングする理由があればまだまし。
でも「面倒じゃん」が3人そろうとなぜか正論になり、思考停止になる。
怒られて初めて「はーい」と間延びの返事。
怒られるという「上から」のアクションがあるまで本当なんも考えないよね。
まっすぐより間延びしてた方が人気者っぽいけどさ。
しかし恐ろしいことに、間延びは足を引っ張ったりもする。
間延びと間延びが手をつないで多数派となるんだ。
ま、私もそんなに全部まっすぐだったわけじゃないんだけど。
多数派の間延び側にいたこともあった。
でもでも、私は試験の前には普通に勉強したよ。
それがいいか悪いかは置いといて、「全然してなーい」とは言わなかった。
そう言って実はしてたクラスメートもいたけれど、本当にみんなしてこなかったよね。
「えー、してきたんだ?試験勉強」
するっしょ!試験前なんだから!
なのに、なぜ3人とかに軽蔑の顔されるんだっての。
自分の意思は隠したまま、多数派か?少数派か?という見極めだけやたら瞬時にできる人がこの世にはめちゃ多くて、多数派の波に乗るなら意思をかなぐりすてる。つないだ横の手は決して離さない。
メモの切れ端も残さぬよう用意周到に処理をして、全部有利に事を進めるんだね。
「少数派を選んだら多数派に何されるかわからないじゃん」
そんで君はその多数派に属すると。
「エルピス」でも「中村仲蔵」でも、意地悪な輩は大体多数派だった。
とかいって、また年の瀬に被害者意識みたいなの展開しちゃいました。
来年は被害者みたいなパターンを塗り替えたい。
私のある種のパターンなんですよ。
長澤まさみのあのスカッとした牛丼笑顔のように私も2023年を生きたいです。
ドラマではもっとすんごい笑顔だったまさみ(あれめちゃ泣けた)
(エルピスインスタより)