月の底力時代

前回、月のストレスについて書きました。
主に自分の話ですが、私は自分の獅子月を甘やかしすぎたかな、という反省でした。

「月の自分では生きられない」というようなことは、占星術家の本やメルマガでよく見かけます。
私もそう思っていた。
月はまるで赤ちゃんのようだから。
不快感などは強く訴えるけど、月主体で生きることはできないと。

でも、本当にそうかな?と思ったんですよね。
月って「生き伸びる」ことにいつも必死で、どんなに抑制されてもどこかで絶対、月の主張を強くしてくるじゃないかと。
人によっては大暴れするほどに。

しかも昨今は、「月=心を大事にしましょう」というようなムーブメントが起きてる気がする。
平成までが「忍耐してこそ」の時代としたら、令和は「心第一」の時代になってるような。
仕事も家事も人間関係も「抑圧」に無理に飛び込まなくてよい。
「心が喜ぶことをしよう」みたいな。
それは結婚しない人が増えてることや、すぐ会社を辞める若者に寛容な社会。
多様性尊重の声が高まる現代は、もしかしたら「月の底力」が引き出される時代なんじゃないかと。

少し前の大人が「太陽主体で生きるのが当たり前」だった時代として。
今は若者も中年も「月の自分も大事にするタイプ」が増えている気がする。
とはいえ誰だって太陽主体で生きようとしているし、それなりに月の自分も大事にしたいはず。
ただ、「月の自分を表に出す」ということが、すごく尊重され始めている気がする。

そりゃ太陽主体で生きつつ、月っぽい自分も適度に出して社会をうまく生きていけたなら、とても良いと思う。
私の独自分析だと、そういうタイプは太陽ー月とも男性星座と感じます。
良く出ると「前に出る」「積極的に生きる」という能動性が公私ともに明るく発揮されやすい。
ただ悪く出ると、「能動的すぎる」ことによるトラブル発生も。
性やお金の逸脱、オーバーワークによる過労、危険な冒険行為など。

太陽ー月とも女性星座タイプも、公私の自分に折り合いをつけやすいんじゃないかと思います。
良く出れば「社会の中で居場所を見つけやすい(友人や家族がいる)」「危険行為はしない」「女性的な感性を使って社会で活躍しやすい」
ただ悪く出ると「大きな選択・決断をしにくい」「個性に不寛容(悪口炸裂)」、「責任を避けたがる」など。

太陽男性・月女性星座だと、良く出れば「社会の中でいい人に収まる」タイプかなと。みんなに合わせられる。
悪く出るとすれば、本当は「大きく出たいタイプ」のはずなのに、「月の臆病さに足を引っ張られてる感」がストレスになりやすいところでしょうか。
夢は大きく描くんだけど、具体的に積み上げていくことを放棄しがちというか恐れるというか。
ただ、主役になりたくないのになってしまう人生傾向はあると思います。

太陽女性・月男性星座だと、良く出れば、「臆せず自分の意見を言える」タイプでもあります。
煮詰まった空気を変える気概がある。
悪く出るとしたら、「自分の能動性を過信するがゆえの横柄さ」かなと。
「自分はもっとできるはず」と、月が常に太陽の無難選択や現実の地味さにイラつくので、ストレスがたまりやすそう。
大きな夢を叶えたい月の願望を、太陽がどれだけ実現させられるかで満足度も変わりそうです。
また、このタイプはこれからの時代、とても生きやすくなるんじゃないか。
女性的な意思をこの世に大きな声で割り込ませる潜在的な影響力を秘めてるように思ったりします。

太陽男性・月女性タイプの男性で、「結婚する」という責任を取りたがらない人を数人知っています。
太陽男性星座って一見頼もしく見えますが、おそらく幼少の頃からその「見える」部分で勝手に周りに負わされてきて、その抑圧の反発なのかずっと青春の中にいるように見える。

また同じタイプの女性だと、太陽を男性に投影することもあるだろうと思います。
夫が大企業勤務、妻は専業主婦という夫婦が標準だった時代や、なんだかんだ夫がハイスペックという人に多いかもしれない。
ただこのタイプは自分が必ず太陽的な役割を担う日が来るはずで、おとなしく夫を支えるだけの人生にはならないと思うのです。
何かのリーダーに抜擢されたり、図らずも大黒柱になったりするんじゃないですかね。

リーダーになりたいのになれないジレンマを抱えやすいのが太陽女性・月男性星座の女性。
自分がこのタイプですが、男性だったら大人気主人公になったりするんですよ。
大谷翔平選手とか(太陽蟹・月双子)、武豊騎手とか(太陽魚・月水瓶)
なぜいきなり武さんかというと、最近競馬を見てるから。
まだバリバリ現役でかっこいいんですよね。
マッチョではなく、しなやかな感性で人気者になれる男性がうらやましいです。

「月」って必ず「抑圧されている・されてきた」という記憶を宿してると思う。
だから誰しもに「嫌だった抑圧の思い出」がある。
それが大人になってからどんなふうに表れてくるかは、各々の人生壮絶度で違うのでしょうけど、傲慢な振る舞いは許されないはず。
でも月は時々やりすぎてしまうのです。
どんなに「太陽」でいい人を装っていてもね。
いい人に見える人こそ、その抑圧はどこかで発散されてるはずと思う。
それが表現とか1人の時間ならいいんだろうけど、人に向けたりSNSで発散する人も今は多いんじゃないのかな。
「月」を「自分」とみなすのがあまりにもつらすぎる人は、外側の弱い対象に自分の月を投影することもあり、ハードアスペクトがある場合は自分を傷つけるか、誰かを傷つけるか、という極端さが時に表れたりする。
痴漢やDVにあう人は、誰かの弱い月を投影されている、そのターゲットになってるかもしれないです。
「他人の弱い内側を投影されてたまるか!」という意思を強く持ってほしい。
相手の暴力性は、裏を返せば自分の力強さとして変換できるはずなのです。
自分だったらそのパワーを暴力なんかに使わない!という意思。

そもそも月にとっては社会的なあれこれが抑圧的。
自分の中に「社会」と「自由」は常に両輪としてあると思うこと、心(月)の声に耳を傾けてこそ、もっと発展していく自分の光、みたいのがこれから一人一人の内側で強まるんじゃないかと、希望を込めて締めます。


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