個性と家族のお正月

ここ何年も年末年始には「泣く」「怒る」がつきまとってます。


1年のうちで最も感情のアップダウンが激しいシーズン。
早く正月気分よ消えろ…と2日3日にウジウジ思い、4日にはつきものが落ちたようにスッキリ。
ゲッターズ飯田さんの占いによると私は銀のイルカで、銀のイルカにとって正月は運気がよくないらしい。
同じ銀のイルカの同僚は去年末、便器に掃除用具を詰まらせて、正月早々呼んだ業者から高額な請求があったそう。泣いてました(なんだかな)

なぜ私が年末年始に感情的になるかというと、あのシーズンの特別感を無理やり着させられてる気分になるからかも。
大掃除とか正月の諸々準備を誰がやるかといったらもう自分しかいなくて(母はそのあたりから思考的にも引退)、まぁそれは数年前から自分の仕事として割り切っている。
でもきょうだいが集まっておせちを囲むという和やかな場に、不穏な気分を投入してしまうのも私。
準備に頑張って、さらににこやかに過ごすことも頑張れと求められる気配に1日夕方には疲れてイラつく。
1年に一度のこの行事をうまくやり過ごせないのは、ひとえに私の至らなさにあるのだと。
その反省もまた苦しい。

河合隼雄さんの本を最近読み返しました。

家族関係を考える

この中に興味深い家族の話がありました。
ある家族の父親はマイカーを買ってから、家族(妻、娘と息子)と週末に外食に出かけることを何よりの楽しみにしていた。
あるとき、中学生の娘が万引きをした。
なぜ万引きに走ったかの言語化は難しいようだけど、週末の外食から逃げるためというのはあったらしい。
たまには友達と週末を過ごしたかったし、家族と「話が合わない」と感じ始めていた。
そんな不満を抱えながら、父親が描く「一家団欒=家族の幸せ」像に沿おうとすることに限界が来たらしい。

家族が揃って楽しい生活を送る。
このことを単純に、表層的におしすすめてゆこうとすると、家族内の成員の誰かの個性を壊してしまうことが多い。いつも楽しくしていなくてはならないので、家庭内でもヨソユキの顔を強いられることになってしまう。(中略)
人間は真に自分の個性を生かそうとするかぎり、家族を持たない方がよい、ということになってくる。

河合隼雄「家族関係を考える」より

といって個性を守るかのように独身を貫いてきても、あるときどうしようもなく標準的な幸せを求めたくなったりもする。
一方、家族や子どもを持つことによって不幸が倍加されることもある。
家族というものがこちらに感じさせるパラドックスをもっとはっきり認識することが必要…と河合氏はこの章をまとめる。
このあたりを読んで、私が正月に感情的になるのは、まさに「楽しさを強いられる」ことへの抵抗なのだなと思ったんですよね。

家族だけじゃなく、「個性の押し込め」を強いられてるようでつらくなること、日常のあちこちにあると思う。
芸能界でも「まさかあの人が」と思われるタイプのスキャンダルが発覚したりする。
そういう人は本来の「らしさ」を押し込めて仕事しすぎてストレスが強烈に溜まったんでしょうか。
「自由」という本来の持ち分を、個性として人生のどこかで発散させなきゃならない。
そうでなきゃ死がちらつくような危機感。
押し込めが常態化してる人にとって大袈裟な感慨でもないと思う。


「家族」と聞いてイメージさせる団欒・幸福・あたたかみのパワーってすごいですよね。
私は今年の正月、兄が「みんなで仲良く」と言ったところで悲しくなってしまった。
私と姉はここ数年顔を合わせてない状態で、そのことを懸念してのことだと思う。
「仲良く」って、何を持って成立するかわかんないです。
過去のあれこれを水に流すから、うまくやりましょうやとお年賀持って訪問すれば解決というものじゃない。
私は正直、時間の経過に任せるしかないと思ってますがね。
兄としては母にいつまでもきょうだいの不和を感じさせるのは親不孝と、胸の痛む思いなのでしょう。
でも振り返れば、姉や姉の家族も集まっての正月。
一見にぎやかで楽しげだったけど、その中で私はいつも逃げ出したいような気持ちだった。
それを押し込めて「楽しそうに」過ごすことが実はつらくて、押し込めきれないこともあったんですよね。
「楽しそうに」という表情をいくらか曇らせて淡々と過ごせそうなものですが、「なんかつまんなさそう」って姉に指摘されるのを恐れていた。

存分にはしゃげたのも姪や甥が小さいうちだけ。
甥も高校生になるとほとんどしゃべらなくなり、きっと姉もそんな息子の感情を動かす思惑もあってお正月に連れてくるんだと思う。
私と姉でなんとか甥を笑わせようとする。
今思うと、「絵に描いたような家族団欒の正月」を押し付けられることに私はずっと怒ってた。
「楽しそう」以外の態度を許されないから。
何か吐露しようものなら、「正月なのに」と非難される。
年末年始が持つ特別パワーそのものを、いつしか恨めしく思うようになりましたよね・・

私は昔っから家族で出かけて全身ではしゃぐ、みたいなことが苦手で、「楽しくないの?」と顔色うかがわれるのも嫌だった。
自分なりに楽しいと表現することもあったけど、気の乗らないことに乗せられることにいちいち激怒してた記憶。
「ほら、楽しかったでしょ。行ってよかったでしょ」と言われるのも特に嫌で、その嫌さ加減が年取ってもマイルドになってないことに改めて驚きましたね。
「自分の思い・気持ち」にすごくこだわりがあって、それを押し込められることに激しく抵抗する。
自分はそういう人間なんだなと。
「1人だけ楽しそうじゃない」と見られることを長らく反省してきましたが、楽しさや平和感を押し付ける方もいいかげん、己を振り返ってほしい。
自分の何かを満足させるために、人にすがっているんじゃないのかとか。

ちなみに兄の月は蟹(太陽は獅子)、私の月は獅子(太陽は蟹)。
やっぱ月が蟹だと家族団欒を求めるのかな。
いさかいに胸を痛める月蟹を思うと申し訳ない気もするけど、私は家族よりも「自分の楽しさ」がやっぱ大事になってしまう。
私は太陽蟹なので「家族のために」という体裁はちゃんと整えようとするんだけど、「ここまで頑張ったからあとは自室で過ごさせてほしい」という気持ちになっちゃいますね。
母は月蠍、姉は月山羊。
男性星座月の私だけ異質な存在になるのも致し方ないのかも。
姪は月天秤、甥は月射手。
この2人が無邪気なうちは楽しかったというのは本当そうだった。




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