「アニー・ホール」

「アニー・ホール」はとても思い入れのある映画。
21歳ごろ初めて観ました。
1977年の映画。「アニー・ホール」といえばこのシーンですよね。

テニス合コンみたいなとこで出会った2人。
ぎこちないながらも意気投合して、ダイアン・キートン演じるアニーの家でワインでも飲もう。
そこから始まった恋。

ちょいちょい難しい映画なんですよね。
インテリ臭が漂うというか。
でも何よりウディ・アレン演じるアルビー・シンガーこそ、人のインテリ臭に露骨な嫌悪感を表す。
アメリカの政治や思想、地理的な特徴とか、いろんなことを知ってこそ楽しめる映画でしょうけどね。
20年たって見てもアメリカのことはよくわからないまま。
ただシンプルに湧き上がった感想といえば、「恋とは(男女とは)マウンティングなのか?」ということ。
「究極の恋愛映画」ではあるんだけど。

当時42歳のウディ・アレン。
このアルビー・シンガーという男は、皮肉がすごい。知性はにじむ。
それらユーモアで中和するところが魅力とも言える。

 

好みのタイプは知的な会話ができる女。
2度の結婚歴があり、女たちのイケすかなさばかり目につき始めたらもううまくいかなかった。
このアニー・ホールがまた変わった女で、知性とかって感じじゃない。
ユーモアのセンスもなんかヘン?笑い方もなんかヘンだけどよく笑う。そこがよかった。
すごく惹かれ合った二人。

 

アルビーはとても変わり者だし理屈っぽいのに、「こんな男は嫌だ」とは思わないんですよ。
一緒にいたらすごく楽しそうだと思う。甘い思い出をたくさん積み重ねられそう。
なんかダメなとこだって、自分と共通してるように感じられる不思議。

やっぱり恋愛ってすごい普遍的なものなんだな。
「相手のために」とかって自分のため。
帰ってほしくないのに住み着かれると嫌になる。
結婚願望ないくせに縛ってくるのは大いなる嫉妬ゆえ。
会話のほとんどが誰かに対してのマウンティングだし、ちょっと華やかな会合も嫌悪するから一向に広がらない世界。
変わらないでほしい、楽しいところに遊びに行かないでほしい、自分だけを見ててほしい。

恋愛の一番つらいところって、「違い」がやけに悲劇的な亀裂となって横たわるあの時期ですかね。
いったん別れた二人。
アルビーはライブ一緒に行った女と寝るけど、ベッドでいまいち盛り上がらない。
白けた真夜中のコールは、パニックになったアニーから。
「浴室にクモが出たから来て」

アニーに呆れながらも駆けつけて、しゃかりきにクモ退治する。
アルビーのこの優しさとユーモアが、モテるゆえん・アニーが愛するゆえんですかね。
そんでより戻すんだけど、奇跡みたいな幸福再来のあと、なぜ決まってもっとひどい展開になるんでしょうね。相手がホント嫌になる。

 

アニーは歌手として誰かに認められるなんて思いもしなかったけど、LAのなんかすごい人(ポール・サイモン)に気に入られてしまい、運命が華やかに変化しつつある。
そんでついにアルビー、「結婚しよう」と言い出す。
いつだってなぜ男は、ライバルが現われたときにしか「俺だけの存在ていてくれ」と表明しないんだろう。
今さら感に突っぱねるアニーだった…。

苦手な飛行機で何千マイルも飛んできたって、イコール愛ではないことをアニーはもう知っている。
いわゆる好みの女とは違うアニー。
でもどの女といる時よりも「楽しかった」
それでよかったはずなのに、アニーを自分好みに寄せるために大学へ通わせる。
知性つけてこいってか??
賢い女が好みのはずなのに、なぜかいつもうまくいかなくなる。
でも「なぜ」じゃないのかも。
男のすること全部優しく笑顔で受け入れて、かつ賢いツッコミや丁々発止もできる女を、ウディ・アレンだけじゃなく男はみんな望むことなのかな。映画見ててこの普遍性に苦しくなるのかな。

この映画は、アルビーとアニーの交際がすんごい楽しく切なく描かれてるんですよね。
とりわけエビのシーン。
素で笑ってるふうのあのシーンを思い出すと、涙滲んできます。
恋愛って本当に波があって、ものすごい幸福期もあるし、だからこそ嫌悪期がつらすぎるというか。その繰り返し。
あとやっぱり二人のファッションが素敵ですね。

このアニーのバッグ。
出会った頃から、アルビーと別れてもLAに移住してもずっと同じなんですよ。
これ意味あるのかな?別にない?
「変わっていくように見えるアニーの変わらないところ」とかの暗喩なのでしょうか…。
アルビーはアニーの変化・自分たちの変化をやたら嘆くけど、「変わらないところ」には気づけなかった。
そこに価値を置けなかった…?

最後の最後のセリフで、20年前の私は少し泣いてしまった気がする。

それでも付き合うのは、卵が欲しいからだろう?

 

今見てもぐっとくるセリフだけど、「卵?」と、しばし考えちゃいました。
でも20年前は考えなかったんですよ。考えるな感じろでばーっと感動しちゃって。
今じゃ「どういう意味?」とネットで検索する。これだよ。
昔は「わからないことすぐ検索」とかしない分の豊かさがあったはずで。

だけどこの部分、いくら検索してもズバっとした答えが見つかりませんでした。
だから意味とかそういうことじゃないんだ。

 

アルビーは偏屈者として描かれてるけど、可愛らしく見つめればマイノリティーおじさん。
体制を嫌い、ポジティブを疑い、「死」とか悲しみを見つめたがる。
コメディアンであるアルビーの収録に笑い屋の音声が加えられた途端、急に具合が悪くなり座り込んでしまう、そういう人。
アルビーの信じる世界の狭さ、でもそれが普通とも思う。
なのにどうして周りの人は、いともたやすく世界の幅を広げられるのか。
彼女の世界が広がることは嬉しいはずなのに、取り残される寂しさはごまかせない。
マウンティングされまいと防御のポーズになったら愛しい人も敵になる…か。

 

一番たくさん見た映画監督はウディ・アレンなのです。
キネカ大森でウディ・アレン特集をやってたあのころでもありました。
でも「ギター弾きの恋」のあとはあんまり見てません。
「マッチポイント」もなんかピンとこなかったような。
「マンハッタン」といえばガーシュインのあの曲ですね。
「魅惑のアフロディーテ」がよかった!
「世界中がアイ・ラヴ・ユー」はサントラを買いました。
U-NEXTでも探してみようと思います。

歌うアニーの幸福感にうっとり。
女の幸せとは、「わたし」という確立された場を持つことなのかもしれません。

 

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