9話も泣いた…
前回以上でしたよ。泣けましたよね?
そんで最後、薬指に虫!!
とわ子がやけに優雅に出社してくると思ったらこのオチ。ちょうどいいサイズの虫でしたね。
9話は泣いて笑って…
ドラマのスケールのすごさに改めて感動です。
特に松さんと高橋メアリージュンさんのキッチンでのシーン。泣けた…
社長職をあなたに譲ろうかと思ってる。
これがドラマでどれだけ描かれたとしても、女→女へのシーンは見たことなかったです。
でもああやって描かれるだけで社長職・上層部という世界が自分の身にそう遠くないように思える。
いや、非正規の私じゃ実際遠いんだけど、私にもありえたかもしれない世界観がぶわっと広がった。
社会的な重みを女性が進んで引き受けようとする。ドラマで見せられると、なんかやれそうに感じられるのですね。
またシンシンが…(泣)
「あなたの仕事と恋はつながってる。あなたから仕事を奪おうとする人はだめだよ」
40代独身女の迷いがこんな等身大で描かれちゃうドラマですよ。
何が幸せ?
・そりゃ男に守ってもらうこと。責任から解放してくれる彼。
・自分で自分の欲しいものを手に入れる人生。
オダジョー小鳥遊さんが悪いキャラってことじゃない。
ただ、互いの幸福観の少しの違い、そのモヤモヤがどうしようもなく浮き上がってきて、とわ子ほんとどうすんだろ?ってヒヤヒヤしながら見てた第9話。
また唄ちゃんが若いのに保守返りしてんですよね。
そういえば最初っからハイスペック者の嫁になりたいと言っていた。
「お母さんは1人で生きていけるほど強くないんだよ」
これを唄ちゃんに言わせるのがすごい。
そりゃ愛するお母さんに幸せになってほしいという健気さは感じる。
でも「勉強に励んでる西園寺くんがコーラ買ってきてって言うから行ってくる」ってセリフで強烈なモヤモヤを浮かび上がらせるって、う〜ん!!あのシーンうなっちゃいますね。
唄ちゃんの言葉で「守られる女」の心地よさに埋もれそうになってたとわ子が、その唄の言葉で「私の幸福はそこにない」と目を覚ました…んじゃないのかな。
そんでまさかの八作との両想い。
八作ととわ子も何かあるなとは思ってたけど、すべてかごめ絡みかと思ってた。もしくは八作の一方通行。
2人の感情を見抜くシンシンよ…だてにとわ子を見つめてはいません。
頭から小麦粉かぶったダサい真っ白シンシンを「おじいさん…」って拭き取るとわ子には私まで射止められた。ああいうとこですよね、みんながとわ子を忘れられないのは。優しいとわ子。優しさの中の色気。
坂元裕二さんの脚本のすごいとこは、感じる違和感はやっぱり違和だったとあとでわかるとこ。
オダジョーさんはあの世界観にハマってるようでやっぱり異質だったと思う。
あと八作ととわ子の夫婦描写の違和感。
「両思いだね」ということを確かめ合えたのに、「私は1人で生きる」と決めたとわ子。見事に「家族」「夫婦」という単語が放つ甘えをばっさり切ってくれたもんだと感動した矢先、「2人は円満に暮らしましたとさ」を見せられるザワザワや寂しさをMAXに募らせといて、やっぱ2人の妄想でした!とわかるあそこにはなんとも揺さぶられました。ほっとしたけど。だってああいういかにも理想的な夫婦に落ち着かせるわけがないから。また松さんのおごられる表情がうまいんですよねぇぇ。
守ってあげますよという男が現れ、理想の暮らしをプレゼンされて、「よかったね、もうあなたは強がる必要ない。甘えちゃえ」と周りからも応援される。ふわふわと一歩足を入れたところでいつも人生がわからなくなるのは自分が悪いわけじゃないと思う。
幸せの門にはアンテナ狂わせる強力な磁場があって、せっかく育てた自分の翼もしまっちゃおうかと自ら折る。自分に翼がなくたって、彼の背中に乗って空を飛び回ればいいじゃない…あなたは夫の翼でどこに行った…?とわ子だって一度は悠々と背中に乗る夢を描いた。素晴らしい建築様式が自分の住みかになるかもしれない。なんの労力かけなくても…
でも、とわ子は自分の翼を一生休ませないという決断をしたんだなと思いました。翼を自分でケアする。時々元夫にほころびを指摘されるかもだけど。
それは単純に「1人で生きることを決めた女」の描写じゃないのです。
むしろ「こうじゃなくちゃいけなくない?」とあえて強めに偏らせた。結婚する?しない?の2択ではなく、どんな人とパートナーになる?どんな人とだったら翼を折らずにともに羽ばたける?そこが第一優先でもなんらおかしくない時代のはずです。
今、上野千鶴子さんの本を読んでますが(女の子はどう生きるか)、読めば読むほどこの国の半分の勢力が女の翼を折ろうとしてる強い意図を感じざるを得ない。
今じゃ「進んで折りますよ♪」という女が大量に育ってしまって、このままいけばどこかの思うツボだけど、そうはいかない!とばかりに立ち上がる女性の存在はいつだって消えない。
このドラマはこの国の「当たり前」の逆の逆、それを鮮やかに描いてくれてるんですよね。
「愛なんてしょせんそういうもの」という諦めや妥協はドラマで描かれることは少なく、かといって「愛ってこんなにすばらしい。ほらこんなキスシーン」とかって白々しさにリアルがないことにも気づいてしまった。女性の鬱屈はそこかしこにある。誰にも拾ってもらえない大きな可能性と空洞。このドラマはその空洞に光が当てられてるんなぁと思うのです。生き方って政治とか税制の仕組みと無関係じゃないです。自分さえ可能性を狭めれば丸く収まってきたのはもうここまで。じゃないですかね。
翼を折ってはならない。進んで折る人がいたってそりゃいいけど、折られるなら私は1人で生きる、そう決めたっていい自由な時代に生きてることにもっと感動したいものです。
そんで両思い状態だったら最高じゃないですかね。とわ子と八作のあり方はなんとも新しい素敵な理想。
姓を変えることもないし、なんで私ばっかりこの家事を?と思わなくても良い距離感。
そして時々愛し合う。理想すぎるけど、その理想が映像として見せられると希望や可能性が一気に広がる感じ。
吉田結妃さんの夢分析を受けて4ヶ月目となりました。
今の私は「解体&アップデート」がテーマの気がします。現実でとある大きなものがぶっ壊れて、私はひどく傷ついた。
なぜ傷ついたかというと実は特に意味もなく、古さにただしがみついてた頑固さ・幼稚さがあらわになったんですよね。
新しくならなければならない。アップデートのタイミングのようです。
このドラマの展開があれこれリンクするように感じるんですよ、これがまた。