J-WAVEの「GROOVE LINE」といえばピストン西沢さんのラジオ番組。
ピストンさんの代打をふかわりょうさんが2回務めるということで聴いてみました。
2時間J-WAVE聴くのってすごい久しぶり。
昔は日曜といえばクリス・ペプラーと君嶋のTOKIO HOT100をずっと聴いてたものです。
J-WAVEから流れる曲ってなぜか全部おしゃれに聞こえる。
耳触りがよいというか、家にずっといる自分を肯定できるというか。
だけど昔みたいに「この曲なに!??」という興奮はなかった。
ふかわさんのトークが可笑しすぎて曲の印象が薄れたのかもしれない。
25年ほど前、GROOVE LINEから衝撃の曲が流れてきて、なんとかして調べたらそれはBLANKEY JET CITYの「赤いタンバリン」だった。
スマホもツイッターもない時代、どうやって調べたんだろう?
歌詞を検索したのかな。「赤いタンバリン♫」って連呼してるし。
J-WAVEから流れてきて衝撃だったのが、他はくるりの「ワンダーフォーゲル」とフジファブリックの「若者のすべて」
どうにかアクセスしてこの曲の正体を知りたい!それだけ衝撃受けたから…!
今、日常にささやかに忍び込む衝撃的な曲がめっきり減ったように思う。
私の感受性がすり減ってるとも言えるけど。
素敵な曲ですね…とは思えても、さらなるアクセスの気持ちは湧かない。
イケメンですね…と思っても家着いたら忘れてる、みたいな。
ましてやメッセージ性を感じるともうだめ。
かつての私が衝撃を受けた曲にメッセージ性なんかなかった。たぶん。
歌詞はそらで歌えても、いまだに意味あるのかないのかすらわからない。
ただ音感を楽しんでた。音楽ってそれでよかった。
ラジカセを初めて買ってもらったのは小6。
あのころ音楽を大量に取り込んだ元年ともいえます。
ベストテンでBaBeの「Give Me Up」を録音したかった。ガチャンとボタン押して。
ラジオのチューナーをきょうだいがどこかに合わせてくれて、初めて流れてきた衝撃の第一曲。
KUWATA BANDの「ONE DAY」(1986年)
「っあめ〜」という歌い出しに、はや色気を感じた記憶です。この感情は私にとって事件簿的。
あのころサザンは活動休止中、でもKUWATA BANDがまた衝撃的なシングルを立て続けに出すんですよね。「BAN BAN BAN」(1986年)とか。
イントロがドラマチックでなんとも切なくて。
「ONE DAY」が陰だったらこっちは圧倒的陽。「スキップビート」(1986年)はエロ。
86年の桑田さんはどうかしてたと思う。こんな名曲を立て続けに出すなんて。
小学生には難しすぎるような英語歌詞も、難しいくらいのほうが自ずから成長を望むんだと思う。
桑田さんにはマセた心を瞬時に植えつけられました。
徳永英明「輝きながら…」(1987年)
フジカラーのCMに衝撃を受けた人は多いはずです。南野陽子さんの可愛らしさとダブルで衝撃でした。
そして歌ってるのが徳永英明という男と知って、また胸がじゅんと湧く。そんな乙女も多かったんじゃないでしょうか…。
この人を好きになっちゃいけない…と思ったときにはもう好きになってるみたいな感情でしたよ、あのころの徳永さん。八重歯から危険なかおりがするのかなぁ。
のちにミスチルの桜井さんを知ったときにも似たような感情が湧きました。
この朴訥そうな男性に自然と惹かれていきそうだけど、どこかの曲がり角でめちゃくちゃに泣かされそうな危なげな男。徳永さんも桜井さんも魚座だからかな。桑田さんも魚座。
魚座の音楽って人生をダイレクトに揺さぶってきますね…
しかし、こんな名曲なのに歌詞がどうとか、いまだにその意味をちゃんとたどったことはない。
それがいいか悪いかわからないけど、いずれもメッセージを届けたくて生まれた曲じゃない気がする。たぶん。
ちなみに「輝きながら…」と「想い出がいっぱい」(1983年)の衝撃はちょっと似てます。
「想い出」の歌詞について中学の友人と語り合ったものです。
「大人の階段昇る〜君はまだシンデレラ……ってなに?」とかクールに笑い合いながらも、「少女だったといつの日か 想うときがくるのさ…」と部屋でひとりうっとり口ずさんでましたね。
松任谷由実「リフレインが叫んでる」(1988年)
このイントロのひや〜っとしたとこ&独特の鍵盤音は何べん聴いてもゾクゾクする。
失恋で1人死んだみたいなこの曲の重さが何年経っても塗り替えられない。
確かに私は13歳で大失恋をして、「どうしてどうして…」ばかり頭の中を巡らせてはさめざめしてました。
夏にはあんなに長電話したのにどうして…お前だけは話しやすいと言ってたのにどうして…
だけど「あんなに愛してたのに…」という感情は完全に曲にのっかった自分酔い。
「こわれるほど抱きしめた」ってどんなんだろ…ってボーっと鼻かんだあとは、夕飯でコロッケほおばるような中1の日常でしたね。
松任谷由実「恋人がサンタクロース」(1980年)
「私をスキーに連れてって」(1987年)の映画で脚光を浴びたような曲だったと思います。
ユーミンのせいで、クリスマスの夜になればサンタクロースという名の彼氏が迎えに来るもんだと思ってしまった。迎えに来ない自分はなんてだめな女なんだと。
「ちがうよ それは絵本だけのおはなし」と突っ張ってウン十年。
「大人になればあなたも わかるそのうちに」
字余りみたいな俳句を胸に秘めてウン十年ですよ。
ユーミンって「あのころ」の気持ちを瞬間冷凍して、解凍時にも鮮やかな曲をたくさん作ってくれてます。
またこの映画の三上博史と原田知世ちゃんがバブルにノれてない若人でほんと感じいいんですよ…
レベッカ「ラブ イズ Cash」(1985年)
姉の影響ですっかりNOKKOに魅了されてた小学時代でした。
あのころマドンナ旋風が日本でも起きてましたね。
私にはマドンナよくわからなかったしセクシーすぎるから、NOKKOの色気がちょうどよかった。
「愛はお金?」
タイトルの意味を真剣に問うのも野暮ってな時代。
しかし「(心の)不安定なレートをみきわめてよ」
ここがこの曲の言いたいとこだったんだって今頃わかった。
「来週の約束なんて興味ないわよ」って歌い出しがかっこいい。こういう曲って今あんま見かけない。
Adoだとちょっと行き過ぎだし。
UNICORN「大迷惑」(1989年)
奥田民生という爆発的な存在とキュートさ、圧倒的な歌唱力にとにかく衝撃を受けました。
中2から私の「民生命」が始まった。
サラリーマンの左遷と悲哀と浮気心を歌うって、なんて現実的!さすが牡牛座。
魚座の世界観とは大きく異なります。
そして最後は「お金なんかはちょっとでいいのだー」って、牡牛ー蠍ラインはやっぱ金とエロがつきまといますね。(NOKKOは蠍座)
今でもチコちゃんの楽しいソングを生み出す民生の活躍には、つい目を細めちゃう。
あと個人的な事件簿ミュージックを連ねてみます。
渡辺美里「My Revolution」(1986年)…「セーラー服通り」の主題歌でしたよね。ミサトはその後、時代を席巻しました。
TM NETWORK「Get Wild」(1987年)…切なげなイントロからの挑戦的なリズムが衝撃。コムロってすごいと改めて認識。
DREAMS COME TRUE「うれしい!たのしい!大好き!」(1989年)…なんて多幸感の湧く曲だろうと、思春期のひねくれた私ですら即ハッピーな気持ちになれた。あのころシングル曲じゃないのにすごい評判になった記憶。「うれしはずかし朝帰り」とどっち派?という会話をしょっちゅうしてましたね。
ZARD「揺れる想い」(1993年)…すでに人気があったZARDが決定的な曲を出してきた!という衝撃。高校時代の大カラオケブームにあざとく歌いまくってました。
Dragon Ash(Kj)「Grateful Days」「Garden」(1999年)…あのころのKjこと降谷建志は才能発揮しまくってた。この2つならどっち?という2択は延々と迷える。また「Life goes on」もいいんですよね。イントロが衝撃的に切なすぎる。
宇多田ヒカル「光」(2002年)…ヒッキーといえば「Automatic」や「First Love」を挙げる人が多いでしょうけど、私はこの曲です。この歳に19歳で結婚したヒッキー。この曲にすべての幸せと、そこに到るまでの孤独が込められてるようで、また独特の「間」が個人的に衝撃です。
ひとまずこんな感じ。
世代的な影響力も意識してみました。
今でもそのときの記憶が鮮やかに呼び起こされるような曲。名曲ですね。
最後、究極に歴史的な衝撃曲です。
Mr.Children「innocent world」(1994年)
びっくりした。衝撃でしたよ。「CROSS ROAD」であの朴訥だった彼らが?という急激なミスチル変化を目の当たりにできたあの時代。
ベージュのシャツに茶色のジャケット・スラックス、ひも革靴が似合ってたような彼ら。L⇔Rと区別がつかなかったような好青年感が、2曲目以降大きく変わっていきました。
とはいってもこのPVのころはまだ朴訥感あり。
このあとなんですよ。「Tomorrow never knows」で金かかった崖上からのPV以降、桜井さんは「男」としてのエロ変化を遂げていった。
音楽雑誌に「桜井和寿」と見つければ立ち読みしまくってたのは私だけじゃなかったはず。
「一生童貞と思ってた」という衝撃の見出しの横には、裸に網目シャツ&上目遣いの桜井さん。
あのころ椎名林檎も無茶苦茶なコスプレさせられてて、ミュージシャンにどぎつい個性と人気者の潜在性をどうにかして見出そうとする時代でした。
私は歌詞を読むのがとても好き。でもメッセージ性はさほど好きじゃない。
いや、それも結局気分次第で、受け取りたい/受け取りたくないなんて気持ちはコロコロ変わるもんですね。
でも音楽が胸に素直に飛び込んでこなくなったのは、曲という純粋さの前に何か意思みたいのをキャッチしちゃうからかも。最近はプロデューサーが「この曲をこうやって作った」とかベラベラしゃべる番組がすごいやだ。うるせぇって感じ。
意味なんかなくていいから印象的なメロディーと、それに乗る言葉をいつでもずっと求めたい。
そんで、そういう曲の話をいつまでも熱くしてたいです。
30過ぎてから衝撃を受けた曲
岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」(1990年)
“歴史的衝撃ミュージック” への2件のフィードバック
私は「熱湯甲子園」という番組で流れていたブランキージェットシティーの「青い花」に衝撃受けて、クレジットで確認したものの、地元のレコード屋さんにCDシングルが売ってなくて探しまくった記憶があります。
あの頃はジャケ買いもしたりして失敗することもありましたが、好みの音楽を見つける楽しみがありました。
ユウコさん
コメントありがとうございます。
「青い花」聴いてみました。知らなかったです!
このポップな感じに惹きつけられますね。
浅井さんの独特の不安定感って「何これー…」って衝撃があるんですよね。
そんで地元のレコード屋ってそういうの置いてない…
沢田研二と山口百恵と演歌、あとたまに大江千里しかなかったですよね。