発信したいことはたくさんあるのに、何をコンセプトに・軸にして語ればいいかわからない。
という状態がずっと続いてる。
自分の「発信したいこと」って大体が怒りベースだからかな。
怒りってあんまよくないかな…と思って引っ込めちゃうし、自分の怒りって一貫性もない気がする。
わーってぶちまけたいのに言葉がまとまらず、怒りの温度が高いほど脳内ぐちゃぐちゃになるからさ。
もう何年も怒りベースですね。
目の前の人にムカついてると思いきや、悪癖を許す周りの人。
許すムードが生まれる背景、ひいては個々人が受けてきた教育。世代の価値観。
やっぱこんなにも洗脳されていて、従順になるべく何かが引っこ抜かれてきて、政治のせいにしたくもなるけど…
このあたりで言語化を抑制しがちですね。やばい人になりたくないじゃないですか。
「やばい人になりたくない」とか収まろうとすることこそ兎の従順さで。
私はうさぎ年で、中学時代「不良が出なかった学年」として校長からたたえられたことがあって、「わが校始まって以来の真面目で優秀な学年」とか。
それは「わが校始まって以来扱いやすい・洗脳しやすい・操作しやすい」ということ。
社会に出ればうさぎ年どころの話じゃない。
社会人になって20数年が経ちましたが、40代になって自分自身丸くなっていく一方だな…と感じつつも、いまだに怒りを抱いたりする。
世の中にこんな仕上がりのものを放つなんてどうかしてる!という憤慨。
誰がこんなものを望む?というものを平気で世に放って、それはなぜ?と問うたなら「上がそう言うから」と判を押したような答え。
誰のためにもならない惰性をただ生産して、おかしくない?と思考を巡らせるより「怒られたくない」がまさってしまう。
しかもあなた、わが校始まって以来荒れに荒れた寅年世代じゃないですか!
上に刃向かってやろうぜ!という決闘モードでいつでもまとまってたあの学年じゃないですか…
というのは勝手な期待と偏見で、うさぎも寅もいのししだって誰も怒られたくないのです。
惰性で妥協を延々続ける感覚を「良」として「それでも世に放て」という上司だったら本当にイカれてる。
でも、だったら怖くもないじゃないですか。
「さすがにアップデートしましょうよ」と働きかければわかってくれる度量のある世代がいつだって我らの先輩だった。
しかし働きかけにいこうと誘っても誰も同行してくれない。
間違ってるとかやばい・おかしいとか、どんなにそうとしても「少数派」なんかに絶対なりたくないから。
そんな怒れる日々の中にだって救いはある!
「エルピス」ってドラマすごいですね。びっくりした。
死刑囚の冤罪を証明しようとする元人気女子アナとADの話。
しかもフジですよ!!
NHKじゃなく、「あの」フジでこんなドラマが放送されてるって、なんか時代変化の良い前触れっぽい。
しかも長澤まさみ主演。しかも「更年期か!」と揶揄されるまさみ。万年吐き気を抱えてて「うっぷ」とやりまくるまさみですよ!!
ただ、1話はいかにもフジっぽかった。
派手で下劣で、脱落しかけた。まさみちゃんの吐き気演技がうますぎてちょっと集中できなかったですね。
もし今でも本当にTV局があんなんだったらと思うと絶望は深い。
でも!そこにこれから鋭く切り込んでどんどん周りを変えていくんですよね!??
脚本は渡辺あやさんで、朝ドラ「カーネーション」とか最近ではこれまた時代にすごく切り込んだ話題作、NHKの「今ここにある危機とぼくの好感度について」も手がけた方。
渡辺さんさすがです…これからは渡辺さんについていくよ…とまで思った。
渡辺さんはいつでもマイノリティーや弱者に目を転じさせる物語を書かれるけど、たぶん「弱者が声を上げる」んではもうダメだと思われたんじゃないかと思う。
わりと成功者とか、「表面的には多数派」の主人公に社会派な本音を語らせて、同僚の多数派主義をも揺さぶって社会を変える、そんなストーリーが特徴的に思います。
「声をあげたってプチプチつぶされやすい人」
第2話にこんなようなセリフがあったけど、どんなに真っ当な訴えがあっても「弱者・少数派」というだけで誰からも見向きもされない、ということはあちこちにあって、その渦巻く怒りが拾い上げられないまま膨らんだ挙句、取り返しのつかない事件・事故となって初めて一人一人に届く…ということが年々、激しさを増して表面的になってる気がする。
「上に怒られるのが嫌だから」という地点でストップしたまま、疑問を抑えて自分さえ平和に生きていければと思うことは今ではとても当たり前のことで、それは実際多数派な生き方とされてる。
なのに多数派のほとんどはバランスもちゃんと感じられるほど賢くて、いつだって「風(空気)」を読んで歩む先を決めているじゃないですか。
「本当は賢い」
それをこんな形で使う。
それもいいと思うけどさ。
だってさんざん理不尽に従わされてきて、もう賢さを押し隠して生きるしか道がなかった。
賢さを使って仕事をすると嫌われる、それを何人も見てきたから、賢くないふりをするという賢さで生き抜く。
エルピスで長澤さん演じる浅川恵那はかつてそうやって生きてきた。売れっ子女子アナとして。
長澤さんのあのカルピス笑顔がこうも虚しく感じる女子アナ演技がすごいんですよ。
蛍光ブルーのパフスリーブとか、やっぱおかしいよね?ということの可視化、あのテンションの異常さとか。
当たり前に見てるTVのあっちとこっちはこんな断絶してるのに、なんで受け入れてこれたんだろうと思っちゃったり。
渡辺さんは本当にそういうとこを浮き彫りにするのですね。
また眞栄田郷敦!目ヂカラ!
あのストーリー内での癒やし。2話の郷敦が癒やしだったですよ…!
鈴木亮平さんはどこまで進化していくんだろう。
三浦透子さんがまたやばいですね。
また岡部たかしさんが許せないくらいうまい。
40・50・60代の害悪のえげつなさ。
年上上司に褒められたくて評価されたくてこんなにも頑張ってきたじゃないですか。
かつてはパワハラとも名がついてなかった罵倒の中でこそ成長できると本気で信じてたのに、今こんな優しげな時代の中であれが一体何の役に立ってたのかと思う。
今でも無視されることがある。50代の人に。
責めやしないしどこかに訴えることもないけど、もうヘラヘラ立てたりしませんから、という誓いは立てた。
今でも怖くて怖くて、その張本人たち。
必ず集団で攻撃してくるずるさ。笑いたっぷりのかわいがりに見せかける悪質性。
なぜそれでも「怒られたくない」と従おうとするんだろう。
でも確かに、「命の危機」に直結させる鋭さを、まだあの人たちは持っているから、そりゃ逃げるほうがいい。取り合ったりしないほうがいい。
「怒られたくない」、消費者<自分という選択にだって、私が正義感とかで怒るよりずっと賢さが詰まってる。わかってるんだけど。
でもこのどうしようもなかった閉塞感が、少しずつ打ち破られようとしてる空気も感じてる。
それが嬉しいんですよね。光だなと思った。
エルピス見てそう思うって大げさだろうけど。
誰の内側にも本当はあるはずの社会派な心意気をもっと信じたいとまんまと思ったんですよね。
ただただ「負けたくない」。山羊座冥王星ってそういう時代だったかも。
意思も意図もはっきりさせずに負けない手段としたら多数派の流れに乗ることしかないかもしれない。
だから投票率も低いのかな。社会派むきだしにしても負けが見えてるから。
こっちにつくなら、今なら「勝ち」にしてあげます。そうやって上から決められることをまだどこかで喜んでいる。
来年3月に冥王星がいったん水瓶座に入り、それまでブワーッと、山羊時代に当たり前だった息苦しさが総決算として、あらゆるとこでぶちまけられるんでしょうね。
私はそれを少し楽しみにしてるんですよ。
それまでに自分のコンセプトを見つけたいです。