秘密の箱・3とは、「一般的な出産のこと」
個人の妊娠・出産についてむやみに聞かないようにする、という配慮が常識になったのはすごく良いことと思うけど、本当に誰とも話せなくなってしまった。
大事な友の葛藤も悩みも知らないまま。
良かったね、そうだったんだ、という結果だけを受け止める、それでいいのだと頭ではわかってる。
友達がすごく痩せちゃったとき、「大丈夫?」という声かけをすれば「大丈夫」と返ってくる。
のちに彼女が妊娠してることを知ったんだけど、そのまたのちに離婚した。
明らかにやつれてる…と感じても、「踏み込むべきじゃないんだろうな」という一般常識のラインを越えられない。
相手だって私に越えてきてほしけりゃそういうパスを出すはず…と思いつつも、なんかもっとできたんじゃないかと思う。
すべては結果論で、彼女の体重が戻りなんとか健康そうに見えるなら、何もわざわざ結婚や妊娠にまつわることに触れることはないのだろう。お互い大人だしね。そうやって自分を言い聞かせることがすごく多いです。
そして、自分自身の悩みや本音も誰に話せばいいんだろう。
酸化・糖化・炭化?しそうな秘密の箱は確かに私の中にある。
「傷つかない・つけないように」という優しい配慮。
そのムードに安心する一方、自分のことは押し隠して明るく振る舞う、相手が言い出すまで待つ。
それ以外の方法に踏み込めないまま年を重ねるのかな、ということを最近よく考えます。
「早く子どもが欲しい」という希望・焦燥は、今も昔もありますね。
今、昔よりずっと加速がある気がする。
私の親は私を39で産んだし、20年前は妊娠よりも「結婚」への焦燥が強かった時代。
ま、寿退社時代だったので、仕事復帰がさほど前提にないことも焦りが表面化してないゆえんかもです。
まぁあの頃は「家庭に収まる奥さん」が憧れのように描かれてたから、良くも悪くも男性中心社会と専業主婦人気が合致してたとも言える。
不満だってとても表面化しにくい時代。ただそれだけだったのかもしれない。
今、「あのころの傷」としてブワーッと語られるものは増えてますね。
それらを読むと幸せって一体なんだろうかと、呆然となる。
「こっちがハッピー路線!」と追い立てられて箱の中に入れられ、「そうじゃなかったんだ」という告白が今噴出されている。
そういえば、私が読んでる本もカウンセラーの著書なので、どこかを病んでしまうまで誰にも言えなかった、そういう人が昔から多かったということですよね。
今はSNSの普及で限定的な情報がすごくよく目について、それが真実みたいになってるなぁと。
30までにとか、35までには絶対とか、40越したから諦めるとか、相手とのタイミングの乖離…等々の悩み。
でもでも、私の周りには36〜40〜43で出産した人がめちゃ多いんですよ。
それはあくまで私の周りの話だけど、ネットやTVでは令和になっても「早めの出産が望ましい」と言う。
そりゃ医学的根拠があるんだろうけど、そのくせ最近よく見るのは「40代の中絶がとても多い」という記事。
現実とエビデンスと女・男・両親・常識、今はそれぞれの溝・乖離がとにかく深い。
「自分を信じる」という針路しかないように思えることもあり、それは心細いと思う。
もう時代として妊娠・出産、はたまた避妊や性生活にしても、センシティブなことはなかなか人に話せなくなってきてる。SNSも炎上が怖いし。
私はそのへんにスポットが当たったドラマがどんどんできてほしいなと思った。
ドラマって本当に救い・癒やしになるから。
欲しい人・欲しかった人・欲しくない人・誰にもわかってもらえないけど、どうやら同じことで悩んでる人が多いこと。
LGBTQのドラマは増えてきてるけど、妊娠・不妊と年齢・焦りにまつわるドラマはあんまり見たことないような。
「夫のちんぽが入らない」では、「子どもを持たない」と決めた夫婦が周りからすごい反対を受ける。
私はそのシーンに愕然としてしまった。今でもまだ!?と。
反対するのは大体両親で、なぜかというその言い分ってあまりにも勝手と感じた。
それは社会に問題があることが浮き彫りにされる。
そうやってドラマでやると、それに類する書籍や特集番組も一気に増えたりするから、ぜひメディアに期待したいです。
私は秘密の箱って私だけの箱じゃなく、潜在的につながる領域のものと思ってるから、個人個人の押し隠してたものがちょっとずつオープンになっていった先の癒やしの世界を信じたいんですよね。