私は定期的に吉田結妃さんの夢解きを受けていますが、最近、高橋一生さんの夢を立て続けに見たことが気になってました。
高橋一生さんはここ数年でさらに好きになった俳優さん。
柳楽優弥さんとのCMは細かい表情までチェックしちゃうし、今ドラマもやってますね。
花火師父子の物語。
コロナで花火が打ち上げられないシーズンが続く中、父の橋爪さんが「個人向け花火」を手掛けようと息子・星太郎(高橋一生)に持ちかけるも、難色を示してるうちに父が死んでしまう。
これまでも引きこもり気味だったのに、父が死んだことで家もゴミ屋敷状態、なかなか立ち直れない。
そんな荒れた日々をぶち破ったのが、ある日突然訪ねてきた女・水森ひかり(本田翼)
「自分のための花火を作ってほしい」と星太郎に依頼をし、「ここで働かせてください」と頭を下げ、さらに図々しく同居宣言まで。
掃除・料理・家事全般こなしてくれるわりに塩対応でズケズケものを言うひかりに、星太郎は振り回されつつ変化を促される。
しかも父親は幽霊として目の前に現れるようになり、2.5人みたいな生活を送る不思議な日々。
物語はいつだって女や男が突然やってくるものかもしれません。
そんで人生に大変化が起きたりしますね。
やってくる人が大体異性なのは、その人のアニマ/アニムスということだろうか。
アニマ=男性の中の無意識の女性像
アニムス=女性の中の無意識の男性像
人は時に自分のアニマ/アニムス性を閉ざし続けたりする。
自分ひとりで男性並みのことも女性並みのことも背負ったつもりになったり、どっちかを押し込めたり。
そんで突然やってくるんですよ。押し込めてたものとの出会い。そこで初めて自分の切迫感を自覚したりして。
夢解きセッションで、高橋一生さんは私にとって好きな俳優以上の意味があるように感じたんですよね。
高橋一生=自分、と重ねてドラマを見てたのかも。
思えば本田翼さんの役がうっとうしくてしょうがなかった。
自分は本田さんが嫌いなんだと思ってたけど、夢解き後はそんな嫌じゃなくなった不思議。
ともすると、すぐ引きこもろうとする星太郎。
その引きこもりの種みたいのをえぐり出そうとするひかり。
私は自分と一生さんを重ねて、その「えぐり出し」に抵抗してたのかもしれない。
父親と2人で暮らしているうちは、出ていった母親や彼女のことをお互い触れないよう・閉じ込めながら生活できていた。
でも「そうはいかない」ってのをドラマでは象徴的に「死」とか「出会い」で見せていくんですよね。
「星降る夜に」でも産婦人科医の鈴は、過去の医療事故などをひっそり心にしまいつつ仕事に邁進する日々。
ソロキャンプを楽しむ夜に一星と出会ったのがまたドラマチックな引き金でまた。
次に再会したのは鈴の母が亡くなった直後。
遺品整理士として母親の遺品を手渡しつつ、鈴の罪悪感や喪失感に寄り添う一星。
「親の死」と「異性との出会い」が2つのドラマの共通点ですね。
でもそんな珍しくない展開かも。普遍的なテーマということかな。
死までいかなくても例えば家族の不調とか劇的な変化が、人の成長を一気に促したりする。
「ヒヤマケンタロウの妊娠」では、「妊娠」「家族関係」で主人公が大きく変わりましたね。
健太郎(斎藤工)と亜季(上野樹里)はセフレみたいな間柄で、お互い自立して生きてると思ってた。
健太郎が妊娠しても亜季はパートナー関係を結ぼうとしなかったけど、「全部自分1人で完結」してたつもりだった亜季も田舎に帰れば欠陥のように言われ、怒り・主張を初めてちゃんと家族にぶつける。
同じ頃、健太郎を産んだという父親(リリー・フランキー)が現れて生活引っかき回されたことで、健太郎と亜季は「子どもの父母」として協力していこうと誓う。
そこから事態がどんどん好転していったんですよね。
自分のこの2、3年も「アニムス」が強く意識された大変容期間でした。
ドラマじゃないけど、家族史上最大とも言えるトラブルが起きたことで「自分ひとり」じゃ太刀打ちできなくなり、そういうとき異性と出会うものかもしれません。
今まではね、「親・お母さん」に頼ってれば対処できたこと。
ところが親の高齢化というのは、強制的に子どもを大人にする。
それでまだ子どもを決め込んだとて、心をこじ開けるような異性と出会ってしまう。
人によってそれは恋愛対象とは限らない。
医者やカウンセラー、はたまた不動産業者、ヘルパーとかだったりするのかな。
思いがけず「こじ開けられる」ような出会いを経て、「変わらなきゃ」という心理的危機が到来する。
アニマ/アニムスって、難しいんだけど自分の体感で言うなら、「摂取」というのがキーになるんじゃないかなと。
生身の相手とのエネルギー交換というかですね。
それは肉体関係にならずとも、例えば定期的に向かい合えるような関係性。
恋愛じゃなくても、職場の異性と日々助け合ったりとか。
TV・ステージとこちら側、という関係性も摂取かもしれない。
そのあたりは人それぞれかもですが、「舞いあがれ!」の舞ちゃんは、お父さんの死後大変なこと続きだったけど、貴司が放浪から帰ってきてからあれこれ前向きに乗り越えてきてるんですよね。貴司も短歌の賞とったし。
定期的に会って「摂取」してたからじゃないかなと。
舞ちゃんが「貴司くん」と店を訪れる。「あ、舞ちゃん」と迎える貴司。
あれエネルギー交換だよなぁと思うんですよ。勝手に思ってろって話ですが。
そんで「秋月さん」という貴司の大ファンが突然、貴司の店にやってきて、初めて舞ちゃんと貴司がアニマ/アニムスに気づいたんでねーの?
お互いを男女として意識せざるを得なくなった。
舞ちゃんが告白の直前に「怖い…」と言ったのが印象的でした。
大変化の前は死にそうなほど苦しくなる。友達から恋人へ。
「僕も怖かった…」と貴司も言う。
鏡か!!って話ですが、鏡だったんだろうな。
舞ちゃんと貴司はオポジションだしさ(乙女ー魚)
最近、同じドラマの話ばっかですみませんね。
眼に映る全てが自分の内部の投影に思えちゃって。
花火師の星太郎が見ていた父親の幽霊は、実は幽霊じゃなかったことが発覚。
じゃあなんだって話ですが、星太郎のまぼろし…
なんて悲しい男だよ。
父親の死を受け入れられないなりに、世界は優しい景色を見せてくる、というのも案外普遍的なことかもしれない。
本当の成長までたっぷり猶予が与えられるものの、やっぱり期限付きですよね。
いつかは必ず促される。成長と脱皮。