ラジカセコンビニ世代

TBSラジオ「荻上チキSession」で、興味深い特集が放送されてました

団塊ジュニア世代の半世紀~何が生まれ、何が失われたのか

 

ゲストはライターの速水健朗さん。1973年生まれ。

’75年生まれの私は、親が団塊よりずっと上だからか自分を団塊ジュニアと思ったことはないけど、目の前の移りゆく景色やカルチャーの話には共感しかなく、ラジオトークは懐かしくて楽しかった。

 

ラジオでは次のような話題を軸にしつつ、メッセージを募集していました。

①スマートフォンがまだ無かった時代の通信手段といえば何を思い浮かべますか?
②サブスクが無かった時代に映画の旧作を見る手段、音楽を聴く手段といえば?
③あなたがコンビニに行く主な理由は?その理由は今と昔で変化はありますか?

①といえばそりゃ「電話」になるわけでね。
しかも、多くの家が黒電話→プッシュホンという経過をたどっていたはずで。
速水さんは、この黒電話が「家のどこにあったか」が、時代によって異なると言う。

「玄関近くにあった家庭」というのはいわばサザエさん世代らしく、もう少し時代が進むと「リビング・リビング近く」が主流になるという。
まさに、うちは居間の横にありましたね。
でも70・80年代の山田太一・向田邦子ドラマとかだと、八千草薫さんが玄関近くの廊下で受話器片手にわなわな唇震わせてた記憶があります。
ショッキングな電話だったんだろうけど、なんか寒そうだった。
電話取る前に何か羽織ったりするシーンもありましたね。

プッシュホンになると、やたら長いコードに付け替えて奥の自分の部屋のさらに奥まで届くようにして、夜中にこっそり友達や好きな人の電話を待ってたりした。
時にきょうだいで電話の奪い合いがあったりして、このあたりは本当に世代の共通項という感じで盛り上がりますね。
そんでキャッチホンがいかに画期的だったか。
これできょうだいとうまく深夜の電話を分かち合ったりして。
「キャッチ来たからもう切るね」と。
昔はよく電話の音で「誰から」という直感が働いたけど、キャッチも「お姉ちゃんの彼氏だ」とかわかる感じありましたよね。

また電話となると避けられないのが相手の親との会話。
友達なら軽い挨拶ができるのに、好きな人のお母さんがなぜみんな氷のように冷たいトーンだったかとつくづく思い返されます。
22時ごろの電話に、それまでウトウトしてた父親がいきなり受話器取ったりして、あのころから「空気読めない父親」に、露骨に舌打ちしてましたね。
その父親が酔っ払って電話にぶつかって床に落とすんだ、これが。
適当に戻すものの受話器が上がったままで、大事な電話を取れなかった!と子どもの誰かが激怒&大げんか。
何やってんだって話だけど、あのころ時代についてこれない親の鈍さや「よかれ」が大げんかのタネとしてあちこちに転がってました。
よかれと思ってコンセント抜いちゃって録画できてなかったりとか。

父親といえば、「もらった」とかいって部屋にワードプロセッサが置かれてて、「俺は自伝を書く」と息巻いたままほこり積もらせてました。
あのころ自伝を書き上げたおやじはどれだけいただろう…

外で人と会うときなんて、スマホがない時代どうしてたんだっけ。
私より少しお姉さん世代だと、それこそドラマの中で喫茶店に10円、20円入れて相手の家に電話するシーンが出てきたり、なぜか喫茶店に電話がかかってきてマスターが取り次いでくれたりした。
私の世代だと、「駅の掲示板を使う人」がちらほら出てくる。
チョークのとこもあれば、ホワイトボードのとこも。
これも私、使ったことないなぁ。恥ずかしいし。
でも誰かは確実に使ってて、切実な「待ってます」が書き込まれていた。

ポケベルは持ってなかったですね。
少し下世代の持ち物というイメージ。
41歳の荻上さんはど真ん中っぽかった。コメ2コメ2とか音が懐かしい。

 

②では、ラジオのリスナーから「もっぱら金曜ロードショー」という便りが多かったようです。
本当にそうですよね。
「蒲田行進曲」や「アマデウス」に衝撃を受け、大好きな映画として今も刻まれている。
10歳ごろに「風の谷のナウシカ」が放送されてて、「わからない」という印象のままずっと来てるので、今見ても10歳ごろのように理解力がフリーズする。
あと滝田洋二郎監督・内田裕也主演の「コミック雑誌なんかいらない!」も衝撃的だった。
ビートたけしが、当時社会問題にもなった悪徳商法の会長をメディアの前で刺し殺す役。
「探偵物語」や伊丹十三作「タンポポ」などの裸体エロシーンが定期的に放送されてたのも懐かしいもんです。

音楽といえばやっぱラジカセでしょうよ。
小5ごろに買ってもらったピンクのラジカセは宝物でした。
なんかダックスフントのイラスト入ったやつ。
姉の部屋にあるテープは46分が主流で、兄の部屋にある洋楽テープは54分。
私がレンタルCD屋で借りてきたシングルでベストコレクション作ってたのは60分とか90分。
速水さんがラジオで、「50分は珍しいからちょっと買っとこう、みたいな」と言ってたのにも激しく共感しました。
50分はメタルテープが多かった記憶。
メタルを使う場合はステレオのどっかを切り替えるんだけど、正直、音の違いはよくわかってなかった。
そう、高校生のときビクターのステレオ買ってもらったんですよね。ウーハー重低音が最大の特長というやつ。

よく借りてたレンタル屋の話題にもなって、私は高校時代はウェアハウスだったかな。
中学までは富士ブックスというとこだったかも。
大学生になって近所では飽き足らなくなると、自転車で駅2つ先のGEOとか言ってましたね。
TSUTAYAができてからはそこにも行ったけど、あのころオシャレ要素など一個もなかった。
「代官山の蔦屋行こう」と友達に誘われたのは就職してから。
町外れの閑散としてたユニクロに急に価値が出てきた戸惑いと同じものを感じました。

私はウォークマンは持ってなかったけど、安いポータブルCDは持ってた。
それが電車の振動ですぐ針飛びするので(針とかじゃないだろうけど)、落ち着いて聞けやしなかった。

そして③ですよ。
いつからか近所にローソンができて、コンビニといえばそこにしかないからか、感じ悪い夫婦の高飛車な経営だった記憶。
感じ悪すぎて誰も行かなくなり、やがてつぶれてしまう。
これには腹がたちましたね。
街角にコンビニがあるというだけで夜も安心して帰ってこれたのに、感じ悪い夫婦のせいで真っ暗になってしまった(せいじゃないかもだけど)
でもたぶん、90年代ころはまだ「コンビニで買うなんて高い」という価値観も主流で、もう少し先のスーパーで住民はメインの買い物をしていた。
子どもがコンビニで買い物してくると、やたら激怒する親とかいましたよね。

そんでコンビニバイト。
私の初バイト先もam/pmでしたね!
あのころダウンタウンがCMしてなかったっけ。
コンビニの弁当はまずいという価値観を覆すような、なんか画期的な弁当を売ってましたよね。
それでもまだ「コンビニ経営者は感じ悪い」というイメージどおりの店で、おばさんに見下されながら働いてたっけ。
「金額が合わないんだけど」って私の目を見て言ってくる=「お前が間違えたんだろ」というなすりつけに心が縮み上がる思いで、早々に辞めました。

90年代といえばモスバーガーとの出会いですね。
どんだけ休日のお昼を買いに行ってただろう。
照り焼きチキンやチーズバーガーとかいろいろ試してみるけど、やっぱりモスバーガー!と、あのトマトソースをポテトですくい取って舐め尽くしてましたよね。
電話であらかじめ注文しておけば、10円玉を返してくれる。
レモンティーを頼めば、レモンスライスが丁寧にくるまれて蓋の上に乗っている。
なんちゅう心遣いでしょう…
あれがおもてなしの始まりだったんじゃないのかな。

今じゃコンビニもずいぶん変わった。
弁当やパスタを選ぶのが楽しいほどだし、ローソンのまちかどキッチンはお米がおいしい。
昔はコンビニ弁当って健康悪化の第一要因みたいなイメージだったのにね。
ポイントもつくから130円でお茶買ってもさほど罪悪感がない。

 

私の世代は就職氷河期世代=ロスジェネともよく言われるけど、さほど悲壮感に彩られてた実感もない。
思い返せば数々のアイテムを手に取っては失い、オーディオの進化を当たり前のように享受し、PCやネット時代にも難なく対応ができる、その移ろいや柔軟性を楽しんでたなぁと。
かといって、同世代とこれらのことを話してもすごく盛り上がるわけでもない。当たり前すぎるから。
少し下の、この世代に関心を寄せる若手と話すと得意げにもなるけど、急にポカンとされたりして全部分かり合えるわけじゃない。
渡辺美里は「わかる」のに、レベッカを「わかんない」と言われた時のどうしようもないやるせなさ。
友達に歌詞カードとカセットを貸したら、歌手のアドリブ歌唱部分が歌詞カードに書き込まれて返ってきたりしたのとか、今思うとありがたい限りなのにあのころは「勝手に書き込むな!」とか怒ってた。

ラジオでは、スマホ・携帯が生まれる前のツールとして「手紙・メモ」の話も出てました。
とりわけ女子は便箋をシャツの形に折って友人に渡していた。
速水さんはその経由地にいた人なのか「あれ、シャツだったんだ!?」と驚く。
私、シャツは折れなかったなぁ。
確かに少し年上の女性先輩からはシャツメモをよくもらってたけど、開いちゃうとたためなかった。
私はなんか、菱形とも違う斜めの四角に折ってましたよね。
男子もそういうのやってた人いたような。
告白するにしても封筒はなぜか使わず、あの不思議な四角折りでやりとり。
それは何かのプリントで、方程式が昔の英字新聞みたいなオシャレさだったような?

懐かしい・・・

 

 

速水健朗さんの新刊を注文した。
届くのが楽しみ。


(1973年に生まれて:団塊ジュニア世代の半世紀)

 

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