願望の因数分解

願望は紙に書くと叶いやすいとか、
ストレートかつ純粋な願望であるほど引き寄せられる、とかよくいわれるけども。

自分の本当の願望って案外わかりにくい。
どんな願望もオブラートにくるまれてる気がして、どこか自分を偽ってる感覚がある。

高校生の私は、友達が「あー彼氏欲しい」と言うたびやたら憤慨していた。
好きな人がいて、その人と付き合いたいというならまだしも、「彼氏が欲しい」とはなんて不埒だと。

彼氏・恋人が欲しい → デートしたい・性交渉したい・優越感を得たい・暇な時間を埋めたい・寂しさを埋めたい・ときめきたい

これらが友人からダダ漏れてる野性味が不快だったとも言える。
自分が普段押し隠すことだから。

しかし願望を叶えるためには「〇〇したい」の「なぜ?」まで因数分解すると叶うスピードが早まるのではないか。
その恋人が欲しいという願望を因数分解すると…

デートしたい → 満たされそうな気がする・優越感を得たい
性交渉したい → 満たされそうな気がする・優越感を得たい
優越感を得たい → 「未」の状態から脱したい
暇な時間を埋めたい → 優越感を得たい・虚しさから脱したい
寂しさを埋めたい → 満たされそうな気がする
ときめきたい → 満たされそうな気がする

特定の好きな人がいる場合は「相手をもっと知りたい」とか、特定の人にフォーカスした願望が浮かぶだろうし、人によりけりだろうけど大体「満たされそう」という漠然とした願望に隠れた「優越感を得たい(下位に位置づけられたくない)」に集約されるんじゃないかと思ったりする。
大学生になった私こそ「彼氏欲しい」と毎日ため息交じりで言うようになり、「なんでよ?」と問われても野性味や優越願望も押し隠し、「いろんな経験したいじゃん」「世界広げたいし」とか、就活前夜みたいなことを言ったりする。

優越願望の中には、「マジョリティーでありたい願望(マイノリティーでありたくない願望)」もありそうだし優越願望も因数分解できそう。
見せたい・孤独じゃない・手に入れた感etc.
優越願望が悪いかといえばそんなことはないはず。
押し隠して自分の中に「ないもの」とするより、「全然ある」と感じまくった方がストレートかつ純粋なのでは。
だけど罪悪感が、自分内のえげつなさを打ち消そうとするし、何ゆえの優越願望かをさらにたどってみるならば、案外幼少時代の小さな目詰まりに起因してたりする。
そんなことにこだわる必要ももうないと感じられれば願望は消え失せたり、「求めるのはそんなことじゃない」と気付いたりする。

 

惹かれる人が目の前にいるとき、いっそ「やりたい」という願望に真正直になった方がその願望はあっさり叶うように思ったりもします。
自分のやりたいと相手のやりたいが共鳴したら話は超早い。
ただ、やりたい!しか見つめないと、すぐゲームオーバーを迎えそう。

ゲーム終わらせたくない!と思うからこそ理性で「やりたい」を押し込めるわけで、少しクールダウンした頭で、この相手とどうなることを自分は望むのか…と湯船で考えてみたりする。
「やりたい」以外に出てくる願望を丁寧に扱おうとする。
もちろん性衝動はずっと後という人だっているだろうし、自分はあっさりゲーム終了で良かったのに相手が継続を望んでもつれたり、ということもありそう。

火花のような願望もあれば、細く長く守りたい願望もある。
本当の願望を押し込めて、作り物みたいなニセ願望に急に虚しくなることもある。

大体、「結婚したい」という願望もよく考えるとおかしい。
「結婚」というワードの中にいろんな願望が詰まってパッケージされている。
それは永続的な愛・性・経済・優越・支配・子ども・親を喜ばすこと、などなど。
何がパッケージ化されてるかは人それぞれと思うけど、種々の願望を「結婚したい」にふわっとまとめて、社会の中心に躍り出ようとする。
その一つ一つが本当はどんな欲求と紐づいているか自己分析もしないまま。
自分がそうだったという話です。
いまや結婚が優越感とつながらないかもだし、若い世代でそういう人が増えたら結婚自体がさほどマジョリティーとも言えなくなるんでしょうかね。

 

だからマッチングアプリやお見合いなどで「結婚したいです」「私もなんです」という2人がマッチングすればあっという間に成婚手続きに入るんだろうけど、「そういうことじゃない」と思う人は願望の因数分解を繰り返してこそ、真の望みを手に入れたい人かもしれない。
でも分析するほどに真の望みが結婚と違う方向に行くのを感じる怖さ。
「こっちかもしれない」
逸れてしまっちゃダメなので、因数分解をやめてしまう。
「”まず”こっちかもしれない」と思えるならいいほうで。
ただ年齢考えると「まず」とか言ってる場合じゃないとも思いやすく。

 

なんの話だってことですが、私は「好きな人と出かけたい(あそことか・あそこにも)」という願望はいくつか叶ってきたのですが、「出かける」という目標はそこに余計な肉付けをしなければとてもシンプルに叶うことの一つかもしれない。
余計な肉付けというのは、「相思相愛状態で出かけたい」とか、「出かけた先で手を繋ぎたい」とか。
余計ってこともないけど、願望の中に相手の感情に関することが入ると途端に叶わなくなるというか。
相手の感情まではどうにもできないんですよね。
だけど「出かけたい」というこっち側の願望は、相手に「どうですか?」と問うて「いいですね」と合致すれば、よほどの事態や不誠実さがノイズとならない限りトントンと進む。
そりゃ相手が私に嫌悪感抱いてたら話は進まないと思うけど、相思相愛になりたいなら別の目標設定をしなくちゃならない。

しかし「相思相愛状態になりたい」という願望達成は非常に難しい。
わかんないですからね。自分の納得できる愛のバランスがとれてるかどうかなんて。
そこで一番大事とかよくいわれるのが「自分はどうしたいか」

この問いがまたなぜ自分にとってこんな難しいのかと。

「だって相手が…」「相手の気持ちが…」ってことばっかウジウジしがちですが、相手の真の気持ちは一生わからないに等しい。
「なんとなく感じられる」程度のことを「信じる」とかしか希望はなく、自分はどうしたいか→足蹴にされても信じ抜きたい、、とか思えればいいんですけどね(そうはなかなかいかない)

 

私のかねてからの願望は「この部屋に親しい人を招きたい」ということですが、これが案外叶いません。
コロナ禍だったということもあるし、親しい人らがわりと遠距離居住ということもある。
さらに、部屋に招き入れたいと思いつつ清潔感や整頓のあたりでドン引きされたら…もてなしもできる気がしない…という恐怖や気負いがノイズになってるからかも。
しかし、なぜ招きたいのかと自分に問うてみれば、「部屋からの景色を見せて、”いいっしょ”という優越に浸りたいから」となる。オブラートを剥がしてみるならば。
このへん曖昧なまま「部屋に招きたい」だけだとなかなか成就しない。
「見てくれ!」が本音。

どういう願望だと思うけど、この手のことはよくあると思う。
数年前、とある企業の新社屋に行った時、そこの社員さんが「うちの〇〇階行ってみませんか?」と誘ってくれた。
上層階だったので「行きたいです!」と私は即答。
人によっては警戒したり面倒に思うかもしれない。
その社員さんは、「自分の会社からこんな絶景が見える優越感」に浸りたかったんだと思う。
確かにその人は得意げだったけど、「いいっしょ?」という笑顔はなんともピュアで嫌な感じはしなかった。
優越というとえげつないけど、「感動を共有・シェアしたい」というパッションも伝わってきた気がしたから。
そう、それ!
私も自分の部屋から見える自然風景を「いいっしょ?」とシェアしたい。親しい人らと共有したい。今年は叶うのかどうか・・・

願望のノイズをできるだけ取り払っていきたいものです。
まず因数分解。結構めんどくさいけど。

 

“願望の因数分解” への 5 件のフィードバック

  1. こんにちは。
    すごくわかりやすかったですし、言語化されている……すごい!となりました笑
    そこまでの事を私は基本的に感覚でやってしまうので(インプットは感覚・言語どっちも、アウトプットは感覚笑)、ここまで噛み砕いて言語化されてるのを見ると、わ、わかる〜〜!となると同時に、羨まし〜〜!となります。
    まあ、shikiさんの言語化能力は積み重ねの上に成り立ってるはずですし、私は私で言語化の方ではない方にスキルを割り振ったので、当たり前の現実なんですけどね笑笑

    願望の因数分解、過去や現在の苦しみにも使えますよね。
    それが上手く使えるようになると、心の中が非常にシンプルに軽やかになるなぁと思います。

    ちなみに私のかねてよりの願望は「クリスマスに恋人と過ごしたい」です笑
    残念ながら未だに叶っておらず……
    これを因数分解すると、クリスマスはなんかキラキラしてクリスマスソング好きだし楽しい、つまり……自分にとって楽しい時間に、恋人が一緒なら最高じゃん!?ということなのです笑
    ただし、誰でもいいわけじゃなくて……昔、好きではなく恋人未満の人とクリスマスデート的な事をしたんですけど、すっごい……普通で……つまらなくはなかったけど、心は動かず……さらにその昔、片思いの人とイルミネーションを見る機会があって、その時の視界いっぱいのイルミネーションは酷く美しく感じられて、それが好きでもない人が隣にいた時にはただの綺麗な明かりに感じられたことに愕然としまして……
    以来、好きな人、合法的に寄り添える人(つまり恋人や伴侶)とクリスマスを過ごしたいなぁ……と願い続けて、なかなか叶ってません笑
    多分、妥協出来ない願いだからこそ、時間をかけてるのかもしれません。
    と、こう思う事でポジティブに見えますよね笑
    お互い、いい感じに願いが叶うといいですね!

    1. meeさん

      コメントありがとうございます。
      言語化できてました?
      誰かに、わかる!と思ってもらえるのは嬉しいかぎりです。
      meeさんの願望にもグッときました。
      クリスマスに好きな人と過ごしたいと。

      > つまり……自分にとって楽しい時間に、恋人が一緒なら最高じゃん!?

      これに尽きますよね。
      好きな人ととにかく時間を共有したい、それが自分にとってワクワクすることなら最高ですね。
      なんで?って問われても、そばにいたい、しか理由が出てこない、それでいいはず。願望叶えたいものです…

      恋人未満の人とイルミネーション見ても心動かなかったんですね。
      いっそ煽られて盛り上がりたいと思っても、本心がそれを許さなかったんですかね。
      妥協しないって大事なんですね。

      私なんかは心の中でもいい子でいようとする言い訳ばかり浮かぶことが多くて、これじゃ真の願望は叶わないかも…と危機感すら覚えて言語化してみた次第です。
      自分はつまりどうしたいか?って問いに答えられないことたくさんありますね!

      1. ご返信ありがとうございます!

        結局楽しいに好きが重なったら最高〜!って結論しかないんですよね笑

        恋人未満の人と見たイルミネーションはですね……本当に、視界の中のキラキラが違ったんです。
        好きな人が隣にいた時は信じられないほど綺麗だったんですが……
        やはり、隣にいる人が好きな人なのか、そうではない人なのかで見える世界が全然違うんだなと学びました。
        以降、妥協しても良いことない事がわかったので、周りの目を気にしたステイタスは持たないことにしてます。

        自分はつまりどうしたいか?を日常の小さな事でも積み重ねていくと、真に自分が求めているものがわかりやすくなるなと思います。例えば今日のご飯とかでも笑
        最近はも小さなことでも「どうしたいか?」の因数分解を自然にやるようになりました。
        無駄な買い物も減るので、良いことづくめです笑笑

        1. meeさん

          イルミネーションの思い出話してくださりありがとうございます。
          やっぱそうですよね!という共感しきりです。
          私も昔、大して好きじゃない人と長い時間一緒にいたときに、孤独感は紛れた一方で「時間がもったいない」と、体が引き裂かれそうになりました(笑)

          私も、今日のご飯を胃袋に「どうしたいか?」と聞くことよくあります。
          視覚だけに頼ると買いすぎちゃうのでね。
          meeさん、無駄な買い物も減っていいことづくめなの何よりです。

          1. 身体が引き裂かれそうにまで……!!!
            私の場合、金星天秤座のせいなのか基本的にそんなに苦痛じゃなかったりして、(むしろ好きな人相手の方がツンとしてしまいます笑)、別に〜まあ付き合ってもいいかな〜って感じになりそうだったんですが、思い止まりました笑
            というか、そもそも負の感情に鈍感なので、嫌……ではないし……まあ……ってなりがちなんですよね……
            ただ、その人とは、片思いしていた人と見たものと全く同じイルミネーションを見に行ったんですが、こんなにも味気なかったかな……?と、びっくりしましたね。良い経験になりましたし、より豊かな感性を得た気がします。
            とにかくやっぱり、どんなに愚かでも自分の心に従った方がより満ち足りますよね。

            ちなみに、さらにその数年後、これまた全く同じイルミネーション(その場所が好きなのは好きなんです笑)を、当時好きだったキャラクターとデートするという妄想を引っ提げて友達と出かけた時は、大層綺麗に見えました!爆笑
            ここまででオチです笑笑

            視覚のみって結構危ういんだなって思いますよね。
            視覚だけで欲しい!って買うと、その時は満たされても、その後なんか違ったな、お金無駄にしたなって後悔します笑

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