本屋で自己啓発系のコーナーに行ってみたら、「やりたいこと」に関する本がたくさんあった。
やりたいこと…
いまさら感を感じていたものの、1冊の本を手に取ると「書き出してみましょう」みたいなワークが巻末についていて、買った。
この週末はその膨大な質問と書き出しに取り組んでいました。
その本によれば、自分のやりたいことにたどりつくにはコツが必要とのことで、いきなりダイレクトに「やりたいこと」を想定するのは無理があると。
まず「自分に何ができそうか」という現実面を直視しないとならない。
そして何より「夢中になれること」
これなら自分は夢中になれるということを日々の中から見つけていく。
私はPCにずっと向かって入力し続けていること・言葉を生み出していくことが「自分にできること」であり「夢中になれること」
質問の中には「自分が好きな本(作者)は?」というものもあり、自分が書き連ねたものにはある共通点があった。
つげ義春・西村賢太・車谷長吉・大槻ケンヂ。
この人たちの作品には「ある種の不気味さ」があり、「底辺」が目に見えるような描写にゾクゾクするんですよね。
なんたってつげ義春ですよ。
この「ねじ式」の世界がたまらない。
(画像は「改訂版ねじ式」より)
不気味・・
不気味なんだけどたまらない。
このセンスにゾクゾクする。
なぜこんなに惹かれるのかわかりません。
そして自分が「好きなこと」リストアップの折に思い描いたからとて、どうしたいかもわからない。
ただ「底辺」を感じる。
それが自分にとってはどこか懐かしいというか、小1の時に家族で夜逃げをした〇〇くんと△くんを思い起こすというか。
「△くんは家族で夜逃げをしました」
先生がまさかそんなことをバラすわけないと思いつつ、1年のときの暴力女教師ならやりかねない。
△くんの服が数日同じことも、給食費を払ってないようなことも、女教師が暴言を吐かなきゃわからなかったこと。
〇〇くんは1年なのにどこか紳士で、スカートめくりが流行る中で、笑いながらも自分は絶対めくらない柳楽優弥のようだった。
しかも柳楽くんはうちの隣に住んでいるという何やらドラマ的な状況。
やたら兄弟が多いわりに母親の気配がしない柳楽くんは亀田史郎みたいな父親にいつも怒鳴られていて、ある日一家ごと消えた。
私は幼い頃の彼らを時々思い返す。
腕を負傷しながら町をさまようねじ式の男とどこか重ね合わせて、結果どうなったのか?ということを気にかけてしまう。
クラスメートの夜逃げという事態は強烈に不気味な出来事だった。
最近読んだまんきつさんの「アル中ワンダーランド」もまた最高。
本当、センスが最高でした。
私は依存症ものが大好きで、アル中といえば吾妻ひでおさんの「失踪日記2 アル中病棟」」ですよね。
最近の作品だと、かどなしまるさんの「人生が一度めちゃめちゃになったアルコール依存症OLの話」に夢中になりました。
書籍だと永田豊隆さんの「妻はサバイバー」は、2023年に読んだ全書籍の中でベスト3に入るほど興奮した。
私自身は嘔吐恐怖症ということもあるし、父親が泥酔して帰ってくるのがすごく嫌だったので、お酒に関して「度を超す」ということはまずない。
今振り返ればこそ、20代のとき深夜まで5杯とかよく飲めてたなぁと思うけど(それでもせいぜい5杯)、今は3%のほろ酔いでも二日酔いっぽくなるのでお酒はもう飲まないことにしてる。
コロナ以降、駅での泥酔者や汚物はめっきり減ったとはいえ、千鳥足の人を追い越すときは今でも心臓バクバク。
なのに、表現世界での泥酔者や数々の不気味エピソードにどうしても惹きつけられるんですよね。
特に「記憶がない」こと。
そこまで飲んで、どうやって帰ってきたかもわからない。
ちゃんと布団敷いて寝てる不思議さもあれば、植え込みで寝てるとこを救助されたりもする。
怖すぎじゃないですか!
西村賢太と車谷長吉がまた「人に迷惑をかける」度合いがすさまじく、知り合いにいたら絶対近寄りたくないはずなのに、その本が超絶面白い。なぜか癒やされたりもする。
またお二人が蟹座というのは私の父との共通点でもあり、父親のダメさに接していたい無意識みたいのが働いてるのかなぁ。
芸人でも椿鬼奴や岡野陽一とかに惹かれるものがあるんですよね。
私自身の日常にもある種の不気味さはあると思うのに、自分でそれを面白くピックアップできない。
それはどこかでネガティブ&恥ずかしいものとして捉えてるからかも。
でも「好きなこと」として掲げた以上、人の表現で満足するんじゃ収まらない何かは発動しそう・すればいいなと思ってる。
ブログの長さはある種不気味なんじゃないでしょうかね。