またまた「来世ではちゃんとします」の話ですが、今はシーズン2を視聴中。
この物語では「好きだけど、これは恋じゃない」という台詞がしょっちゅう出てきます。
くっつきそうでくっつかない同期の桃江と松田は、お互いに「好き」と確認し合ったものの「そういう好きじゃないんだけど」「私も」と。
それでも「幸せにしてあげたい」「この人と幸せになれたら」と互いに思う。
それって最上の好きじゃないの!??って感じだけど、桃江のナンバー1セフレ・Aくんが桃江の心を占有していることに松田は気づく。
確かに桃江はAくんのこと「大好き」ってしょっちゅう言う。
ほかのセフレや松田のことはそこまで言わないんですよね。
Aくんからたびたびひどい扱いを受けるのに、なんでも「顔が好き」だからと。
Aくん役の塩野瑛久さん。確かにすごいイケメンです。
(画像は「来世ではちゃんとします2」HPより)
Aくんがうっとり眺めるのは緊縛桃ちゃん。
松田役・小関さんだって相当のイケメンですよ。
でも不思議なことに、松田が彼氏みたいな顔すると半減する何か。
それは色気?ドキドキ?桃江はAくんというドキドキに揺さぶられる…
桃江は、エリートで本命彼女もいるAくんが一番好き。
Aくんが自分を一番にしてくれないかなぁとひそやかに願うけど、叶わないとわかってるから胸締め付けられるような恋心にもなるんだとは思う。
なんたって一番かっこいいからとも言う。
セフレというルートじゃなきゃエリートAくんに抱いてもらえないことを桃江は知っているけど、それでいいんだと割り切ろうとする(割り切れない心を埋めるためにセフレいっぱいいる)
わかるようなわからねぇような・・
ただ、桃江だって幸せになりたい。
ほかのセフレや松田と「幸せ〜」と思える時間をめいっぱい味わうんだけど、Aくんに揺さぶられる刺激は特別。
幸せ < Aくん
になっちゃうというね。
私がわかる気がするのは、「顔が好き」というのと「この人が好き」というのは、どうやら違うということ。
「わかる気」どころか私は顔が好みの人をすぐ「好き」と思いやすい。それは男女関係ない。
ただ、その好きは性愛とわりと距離があって、その気持ちを因数分解してみるならば、
・ずっと見てたい
・だから近くにいたい
・自分と会話したときどんな表情になるか知りたい
・一緒に帰りたい
・お互いのこと知り合いたい
・話さなくても姿を見るだけで楽しい(服装とか外見をただ見たい)
あらゆる恋の始まりとほぼ一緒ですがね。
例えば私が今、「顔が好き=だから好き」と思っているのは杉野遥亮さん。
杉野さんと上記の距離感だったら毎日がさぞ楽しいだろうと思うものの、想像力が少女漫画レベルで終わっちゃうんですよね。
「きゃー楽しい」で終わり。
杉野さんに私の愚痴を聞いてほしいとか、私との将来をもっと具体的に考えてほしいとかは思わない。
たりめーだろって話ですが、あと高橋一生さんならもっと距離感があってもいい。
例えば高橋さん出演お芝居のワークショップに私が参加することになったとか、そんな感じでいい。
「いい」とか言ってそんなチャンスだってゼロですが、時々は役で会話を交わす、みたいなことを想像するだけで楽しい。
「おつかれでーす」って素の顔で帰っていく高橋さんを見送る、そんな日があと2週間続くとか、それでいい。
例えば柳楽優弥さんなら顔から入る恋じゃない気がするんですよね。
「あ、この人…」という柳楽さんの何かを知っていって本当の「好き」になる人の気がする。
柳楽さんは部屋に招きたい。
ベッドに腰掛けて「そんでさー…」ってボソボソ日常の話をしてほしい。
私はそれをPC打ちながらの背中で愛情深く聞く。
杉野さんの話を背中で聞くことはしないと思う。
杉野さんのあの目の動きと口元がどういうときに微笑みっぽくなるのか、真顔になるのかをずーっと見てたいから。
柳楽くんの犬歯だって私にとって幸せの源ですが、顔から入る人というのは嗜好の領域で自分の何かを喜ばせたい感じがするんですよね。
ここまでなんの妄想だって話ですが、「好き」っていろいろあるんですね、というのを感じたかった。
女性でも「顔が好き=恋みたいに好き」という人はいる。
今、TVの向こうなら松本穂香さん。
あの方の顔はずーっと見ていたいと思う不思議で圧倒的な魅力があります。
今、NHK「ミワさんなりすます」に出られてますが、毎日うっとりしまよね。
あの髪型、地味な歩き方、リアクションのすべて。
(ミワさんなりすますHPより)
松本さんとは友達になれそうなマニアックさも感じますが、顔から入った場合、男女どっちも会話が噛み合わなくなりがち。
友達になりたいのに、緊張しちゃうのか素が出せなくなってつまんない話しちゃうんですよ。
全部受け入れたいと思うから、「いいね」とか「そうなんだ」しか言えない。
いま、自分すげーつまんない女だってとこから脱せない。顔が好きな人を前にすると。
ただ桃江と違うのは性愛に即結びつく感じはない。
顔から入った人と仲良くなって付き合うという流れはあったけど、「ヤってみたかったんだよね」ということではない。
叶うならば、サッカー部内で1番のエースであり私好みのイケメン彼氏がボールを追いかける姿を校舎からずっと眺めてて、「帰ろうぜ」ってなってその疲れ切った筋肉や汗の感じを隣でただ感じていたい。
ちなみに私は「サッカー部体型が好き」という嗜好あり。
肩幅は広いけどお尻はちっちゃいひょろひょろ逆三角形、大迫勇也選手みたいな。
サッカー部エースとの恋には優越感や独占欲とかもありそうだけど、正式に付き合うにあたって対等さを求める感じとはまた全然違う。
そういう2種類の好きは確かにありますね。
だから思ったのは、嗜好の領域で好きになった人に「幸せにしてもらいたい」と望むのは難しそうだなということ。
自分の心だってそんなこと望んでない気がする。
手に入れたいけど入れたくない。
手に入れたらつまらない日々が始まることをどこかで知っている。
つまらなくても幸せならいいじゃないかとどんなに自分をなだめても、嗜好の「好き」からもたらされる興奮や刺激を諦めたくないんですよね。
それを無理やり自分内で一本化しようとするから苦しいのであって、でも正直になれば浮気者になるしで。
多くの人は刺激を諦めるというか卒業の決心をするんだと思う。
いまやどっちが「多くの人」かも疑わしいですけどね。
卒業しなくてもいいじゃないかというムーブメントが起こっても不思議じゃないように思う。