好きな漫画もやはり

「アル中ワンダーランド」にすっかり魅了され、まんきつさんの「湯遊ワンダーランド」も読み始めました。

(画像は「湯遊ワンダーランド」Amazonページより)

もう本当に癒やしの漫画で、この年になってもこんなに惹かれる漫画と出会えることが嬉しい。
→ 私にとって「癒やし」とはある種の不気味さを感じられること。

「アル中」でもおなじみの”フェイクプレーン”がまた出てくるところがたまらない。
あと弟の「やっちゃん」も安定の不気味さです。

今流行りのサウナがテーマですが、「ととのう」とかがメインストーリーじゃなくて本当によかった。
いや、これからととのっていくのかもだけど、1巻の半分を読んでもまだ水風呂に入れない主人公。
銭湯のヌシと会いたくないから時間をずらしたり、犬の散歩で会う人とも顔を合わせたくない。
小心さに加えて、思い込みも激しすぎる。
不気味さってなぜこんなに癒やしなんだろう。
どこか自分を見ているような、自分が漫画内で躍動してるように思えるからなんだろか。

思えば私が好んで読んでいる作家さんの漫画は、大体不気味要素ありです。
・つげ義春「ねじ式」「紅い花」「李さん一家」「ゲンセンカン主人」など
・上村一夫「同棲時代」「サチコの幸」
・沖田×華「透明なゆりかご」「お別れホスピタル」「不浄を拭うひと」
・大橋裕之「シティライツ」

共通するのは主人公のダメさがにおい立つようなところで、純粋すぎるのか社会から浮きまくる。
「浮きまくる」ってとこが不気味なんだと思うけど、自分と似てる気がするから癒やされる。
生きるにあたって自分はヤバさをだいぶ押し込めてるんだなと気づきますよね。
心惹かれる主人公たちは押し込められずに露出しちゃうから苦しみまくる。
それを見るのが楽しいというかバカだな…っていうか、自分はもっとうまくやってるぞ…と思えるものの、自分こそいつ社会でつまずくかしれないドキドキが漫画で刺激されるのも楽しい。


沖田さんの漫画にはどこかしら病んでいる人が大勢出てきて、自分とは切り離せない地続きの姿が描かれてるように感じるんですよね。

(画像は「不浄を拭うひと(1)」Amazonページより)

そして泣ける話が多い。
透明なゆりかご」はドラマ化されてない話もたくさんありますが、どれも胸を打つ。
子どもにまつわる選択は本当、人それぞれだし、赤ちゃん・子どもには何の罪もない。
それなのに…という事態の連続で、「命」のインパクトがすごい漫画ですよね。
個々人の選択は時に強烈で不気味だったりする。
来年は「お別れホスピタル」がNHKでドラマ化決定したようで楽しみ!
「ゆりかご」と同じチームというのも期待大です。

大橋裕之さんの漫画にもヤバいやつがたくさん出てくる。
しかも突き抜けてないヤバさだから町で嫌われたりしてて、孤独度がすさまじい。
よくいる犯罪者のように、物語内でも逆上して目につくものをめちゃくちゃにしようとするんだけど、そこで奇跡が起きたりする。
その急なスケールアップに感動しますよね。

「シティライツ完全版下巻」Amazonページより)

このスケールは、つげ義春「海辺の叙景」のラストシーンを思い起こす。
あの海一面のページにはなぜか泣けるんですよね。

上村一夫「同棲時代」は「性」の不気味さが際立ってます。
一緒に暮らしてても大して幸せそうじゃない。

(画像は「同棲時代」Amazonページより)

だけど激しく求め合うし、どこでも「しましょう」と誘う。
性行為はごまかしであり一区切りであり、心を埋めるもの。
今日子と次郎を見ていると、男女は昔っから愛と性と「幸せになること」の乖離を埋められずにもがいてきたんだと感じる。

何事かと思うような不気味さ満載の物語ですが、圧倒的な画力と詩的なモノローグに引き込まれるのです。

どの漫画にも真実など表現されてない。
表現したいものを各々が自由に表現している。
こうして並べて思ったのは、私自身これからはもっと適当に生きたいなと。
自分の中の真実味を誰かに信じて欲しかったのがこれまでだとして。
誰かに届けようなんてことはもう手放して、楽しく遊ぶことにもっと重点を置ければ。
私には画力がないから言葉で遊べたらいいんだけど。

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