縁の法則その2

オポジションが「長続きの縁」とするなら、コンジャンクションは「濃厚な縁」と思う。
あとドラゴンヘッドも縁として強そうな感じありますよね。
ヘッドーテイルって確かに「惹き合い」は感じる。恋愛でも友情でも。
でも「濃厚さ」ってやっぱ長くは続かないんじゃないでしょうか。
せいぜい5年とか10年。
そんくらい続くならいい方かもしれない。

家族との縁も調べてみると、私の場合はコンジャンクションが多かったです。
家族って、これまた不思議にASCとかICとか、アングルに星が触れ合ったりする。
このアングルコンジャンクションも縁を生む気がします。
「家族の縁」って永遠に濃厚な気がしちゃうけど、振り返ればべったりするのって5年とか10年サイクルって感じ。
子育て期のあとは小学生で手が離れるし、受験とかで濃厚に接したとしてもやがて反抗期になりますよね。
ずっとべったりに見えても、それなりのサイクルでくっついたり離れたりしてるはず。
それが自然なんだろうなって。
だからカップルでも「べったりじゃないこと」が不安視されがちですが、そんな悲観するこたなさそうですよね。
暮らし始めはべったりだとしても、やがて互いに世界を見つけて距離ができることも自然。
それを「くっついてこそ愛!」と自分にも相手にも課すと、喧嘩が起きたり嫌悪が育っちゃうのかなぁ。

コンジャンクションカップルは、なまじ惹き合いが強いから、やがてどっちかうっすら背を向けたとき、傷ついた気持ちになりやすいかもですね。
でも「濃厚さはいっとき」というのが自然の摂理としたら、離れてもまたくっついて…というサイクルの中でゆらゆら一緒にいるような縁とは思う。
ただコンジャンクションカップルはそれなりに宿命的とは思います。
一蓮托生感を感じる出来事に遭遇しやすいイメージ。
心の距離が開きまくっても、手を取り合って乗り越えなきゃならない何かにぶち当たるというか。

オポジションカップルは喧嘩しないほうがいいです。
泥仕合になりかねない。自分が死ぬかお前が死ぬか?みたいなセリフが出かねない。
「わりと距離がある」という状態がベターなのかなと。
穏やかさを心がけていれば、距離があってもお互いを長らく意識できる大人の関係を築けそうな気がします。
大人の関係といえば150度もそう。
「全然違う!」ということに面食らいそうな相性だけど、違いをおもしろがれることが鍵なんでしょうね。

スクエアカップル…この「カップル」というのは、一番目立つアスペクトで分類するとして…
パーソナル天体同士のスクエアカップルもやっぱり喧嘩は避けたほうがいいでしょうね。
主導権争いになりやすい。
ただどっちかが外惑星だと、圧倒的に主導権は外惑星側。
パーソナルの方は折れるしかないです。
折れるというのは、衝突した時に「相手を変えたい」という思いからいち早く降りること。
アスペクト関係なく喧嘩回避の鉄則ともいえますが、外惑星側をパーソナル側が変えることはできないはず。
ほかのアスペクトもあるだろうから、変えられそうな余地もあるかもしれないけど。
この外惑星が天・海・冥だった場合、そもそも問題に気づいてないということもありえます。
パーソナル側が1人で泣いたり傷ついたりする。
それを「わかってほしい」と背中で期待するのは時間がもったいない。
ならば、「なぜ自分はこういうパターンで泣いたり傷つくのだ?」ということに意識を向けるほうが、光が差し込むのは早いんじゃないかなと。

物理的にべったりが続きそうなのは意外に30度カップルかもしれませんね。
幼いきょうだいみたいな距離感というイメージがある。
物理的に近いけど心は別に近くない、みたいな。
でも社交辞令で好き好き言える適当なライトさもあるような。
自営業カップルって感じもするんですよね。

トライン・セクスタイルカップルは、「この人がラッキーをもたらしてくれる」みたいなありがたさ。
イメージとしたら同業者カップルという感じ。
2人とも医療関係とか教師同士とか、うまく利用し合えるというか協力し合えるというか。
ちなみにユーミンと正隆さんは、今ざっと見ただけでセクスタイルが4つありました。
オポジションもコンジャンクションもありカップル。
ソフトアスペクトカップルは「オープンカップル」という感じもします。
関係性がオープンで平和的、っぽく見える。

夫婦・カップルといえば、最近の某夫婦による事件のことをつい思ってしまう。
傷つきまくった自分がどうしようもなく引き出される相手っているのかもしれない。
癒やされるわけがない・自分で癒やせるわけもないと思っていた心の深いところに触れてくる相手と出会ったとして。
「救ってくれる人…」と、自分の全てをゆだねたくなったとき、赤ちゃんの自分からやり直していくのか、どんどん赤ちゃんに退行していくのか。
依存の問題かもしれないと思った。
何かにひどく依存している場合、「底つき体験」というのがあるらしい。
それが人の命に関わるなんてのはひどい話だけど、自分の力で這い上がらなきゃならないと気づくまでに悲惨なことは繰り返される。

赤ちゃんみたいな自分を社会にあやしてもらおうとする大人がいる。
誰かに因縁つけまくって、なんでも人のせいにする大人。
その人の100%が横暴な赤ん坊じゃないだろうけど、パートナーとか家族ってその横暴さのほとんどをぶつけられたり請け負ったりする役目を負いがちですね。
請け負ってくれる人がどこかにいる。それは幻想と思う。
カップル・パートナー、そして家族関係を特別視することにある種の危機感があります。
なんでも満たしてくれる人はいない。自分で癒やしていくしかない領域がある。
自分に健康がまだ備わってるうちに、カウンセラーなどプロの手を借りてほしいです。
大事な人まで道連れにしてしまう前にです。


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