映画を見に行ってきました。
もう目が腫れて痛いです。
最初から最後の最後まで泣き通し。
自分でも、なんでここでも泣いちゃうんだろうって、そんなとこで。
家帰ってもパンフレット見てまた泣いて。
主役「すずさん」の声を務めたのは能年玲奈さん。
今は「のん」さんですね。
最初に出てくるすずちゃんはまだほんの子どもなんだけど、声を聞いて、
「わー!能年ちゃんだ!」
ってもう胸がいっぱいに。
だけど「そんなとこで泣いちゃってどうすんだ!」って心のツッコミも無視できず涙はこらえたんだけど、ヘンにこらえちゃったからか涙の蛇口が壊れてしまったようです。
なんかもう能年ちゃんから「私は元気ですっ!」って直接報告もらったみたいな嬉しさが広がったんですよね~。
元気いっぱい・躍動感いっぱいの声に、アンテナびびっと反応しすぎて、私の感受性がむき出しになっちゃったみたいです。
その幼いすずちゃんの無邪気なセリフのあとに、すがすがしい青空が広がって、それがオープニング。
でも私の近くの男性も、ここでもう涙ぬぐってたように見えた。
おじさん2人。
目がかゆかっただけ?
きっとコトリンゴさんが歌う「悲しくてやりきれない」のオープニングテーマにも、みんな心掴まれたんじゃないかと思います。
悲しくて悲しくて
とてもやりきれない…
今はまだ無邪気なすずちゃんだけど、お嫁に行った先で、戦時下で、きっとこう呟かざるを得ない、それを一緒に私も体験していくんだなという重さ。
でもとっても美しいアニメーションと、優しい大人からのたっぷりの愛情と、すずちゃんのボーッとしてるキャラクターに、ほんわかクッションみたいに委ねせさせてもらって、そうして戦争の物語が始まりました。
すずちゃんは絵を描くことが好きで、おはなしを想像するのも得意で、「あれれ?」っていろんなファンタジーもちりばめられてた。
そこがまず泣けてしょうがなかったです。
バケモノになったお兄ちゃんとワニのお嫁さんのストーリーが特に好きでした。
誰にとっても「こども」の部分があって、いったいどこで決別するんだろう。
こどものままじゃこの社会をうまく生きていかれない。
すずちゃんとのんさんに焦がれるほど共感して。
あのころは、顔も知らない人からいきなり「すずちゃんをお嫁に欲しいっておうちがあるよ」って親同士で話が進んでいって、そしてあっけなく決まる結婚は、そう珍しくもなかったのかな。
結婚っていったって「幸福」の色合いはあんまりなく、結局は働き手の一人みたいに、新婚初夜を迎えたって翌朝の5時前には起きて家事・炊事。
古い着物を自分でモンペに縫い直すくらいお裁縫がうまくないと、旦那の姉にイビられたりする。
娘時代はおばあちゃんに、「そんなにお裁縫が下手だとお嫁に行けないよ」とおどされる。
「でも行けました」
って、のんちゃんのボーッとしたつぶやきが、ところどころでこの物語の「オチ」となって、本当に数々のオチに救われました。
「あちゃー」って言うギャグっぽい顔が可愛かったです。
「私はええです」
って主張しないのが当たり前の嫁という立場だけど、頭にハゲができとるよ…って、久々の帰省で妹に告げられる。
心はもうクタクタ。
だけど実は、お嫁に行った先のお母さんもいじわるな義姉さんも旦那もみんな、「あんたの了解もなしに嫁に連れてきてごめんね」って申し訳なく思ってることとか、「ええです」って言ってきたことがやっぱりそれでよかったんだって思えたような温かさとか、すずちゃんという主役の心だけじゃなくて、一人一人の気持ちも本当に丁寧に丁寧に描かれた作品でした。
映画を見ながらただただ願っていたのは、すずちゃんののんびりした少女性、いつまでも何があっても消えないで…っていうこと。
だけど「その日」8月6日へのカウントダウンは、物語の冒頭でもう始まっている。
必ずその日は来るのです。
でも呉への空襲のあまりのひどさに、すずちゃんは「その日」まで命落とさずにいられるだろうか?というところもハラハラ。
それに、やっぱりひどすぎる空襲は、誰の身に降りかかってもおかしくない状況でした。
悲しすぎることはすずちゃんの身にも、家族にも。
すずちゃんがお嫁に行った先で唯一無邪気な心をさらけ出せたのは、お姉さんの子ども・晴美ちゃん。
ケタケタ笑いあったり、港に浮かぶ軍艦の名前は晴美ちゃんのほうがずっと詳しい。
そんな晴美ちゃんとのラストシーンは、黒地に白いペン先で、線香花火みたいにパチパチと、思い出も愛情もなにもかも詰まったあの描写に、嗚咽寸前だった。
この映画は、1年後とかに地上波で放送されるだろうか。
あんなに悲惨な戦争のこと、はっきり「よくわかってます」って言い切れないのは私だけじゃない。
学校ではほんのちょっとしか教えてくれなかった。
でもそれはどこか大きな戦略のような気もする。
思惑とか事情でコントロールされていって、従うしかない庶民はいつでも地道に工夫してなんとか生きているという状態は、戦時下も今も通じるところがあるように思える。
野草をどうにかお砂糖と醤油で工夫して煮詰めたり炒めたり、ごはんをどうにかボリュームが出るように炊いたり、そういうのとかもNHKの帯で貧困を乗り切る特集としてやればいいのにな…。
ボーッとしてるすずちゃんだけど、何回か思いを爆発させた。
のんさんの声の迫力に、もみあげあたりがぞぞっとしました。
爆発の1つが男女関係のことだけど、色っぽくリアルに描かれています。
それもまた、大人になるために通過する痛み。
18でお嫁に行って、どんな日常もボーッとしつつもこなしていって、周りに傷つけられたり愛されたり、怖い思いをたくさんしたって、とにかく生きなきゃならない。
生きるためにこまごまと、お掃除したり洗濯したり出汁をとったり、自分が伏せってたらお母さんや義姉さんが包帯とか洗ってくれる。
お友達になった人は、遊郭で生きている。
男性陣は飛行機の部品作ったり、その性能が空飛ぶ軍用機で感じられたり、旦那は軍法会議っていう、何してんだかわからないけど国のこれからにかかわる重大そうな仕事をしている。
けどもやっぱり女性たちは、何があったって普通に地道に暮らしを営む。
その力強さが女性の誇りに思えました。
子どもがいなくても、慕ってくる幼子に母性は湧いて、その子からシラミが落ちてきたって、ともかく畳きれいにしなきゃいけないんだから。
その子をお風呂に入れてあげたり。
ともかく目の前の暮らしをやんなきゃならない。
明日も明後日も、来週も10年後も。
世界の片隅でひっそり地味に暮らすことが、現代のいろんな華やかさで「いない」みたいに見なされる危機感とか、もう気にしてられないですね。
大勢にとって「いなく」ても、私はここにある。
生きているというだけで、私はすごいんだと思えた映画でした。
できるだけもっと丁寧に生きたい。
何を食べて私の肉体・精神ができるのか。
どんな暮らしの中でひそかにいろいろ上達していってるか。
「適当」に生きることはいくらでもできるけど、片隅でも「生きてます!」って堂々生存宣言できるくらい、地道な確かさを身につけたいです。
この映画は最後の最後の最後までいろんなサイドストーリーが楽しめるので、館内が明るくなるまで座ってることをお勧めします!