「家族ゲーム」「野獣死すべし」 投稿者: shikinemoli2020年8月18日2025年10月30日映画・本・ライブ・演劇 こちらはアドレス変更しました。 → https://yumeboshi.blog.shinobi.jp/Entry/533/
内田かずひろさん 「野獣死すべし」リアルタイムで鑑賞されてた方のお話嬉しいです。 野獣死すべしファッション! ギンガムチェックのシャツや、眼鏡についたチェーン。 なんたってカジノでの最初の発砲シーン、くるぶしの見えるパンツにスニーカー姿がかっこよかったです。新しい殺人者像だなって。 街で服装かぶるほどの大ブームだったのですね。 爆笑太田さんやくりぃむ上田さんも、台詞をそらで言えると競い合ってたのを見ました。あの難解な詩とかまで覚えたとはすごいですね。 貴重なコメントありがとうございます! ロダンのココロにもいつも癒されております。 コメント欄にての感想で失礼します。 返信
上京して来たばかりの頃は、野獣死すべしファッションで名曲喫茶に通っていました。黒板に書くリクエスト曲は映画の中で使われていた『ショパンのピアノ協奏曲 第一番』のみでした。 当然一人で行って、テーブルの上で手を組んで、その雰囲気に浸っていました。 返信
『野獣死すべし』は高校生の頃から、始めから最後までセリフを全部言える位何度も観て、似ている服も買い揃えたりしたのですが、上京して来て自分と全く同じ様な赤の他人に何人か出会いました。 あれは松田優作さんだからカッコイイんですね…その赤の他人の振る舞いを見る度に自分の中で「僕もこんななのか…」とスーッと引いていくものがありました。 返信
『家族ゲーム』では松田優作さん演じる吉本が、唯一の大人という設定でした。 伊丹十三さんは精神分析に興味を持って『モノンクル』という雑誌の編集長も務められたこともあり、映画の中でも大人になりきれてない象徴として、フロイトが唱えた「口唇期」を目玉焼きの黄身をチューチューしたり、お風呂(母体)の中で牛乳(母乳)パックをチューチューする行為で象徴しています。それらはおそらく伊丹十三さんの発案なよるものだと思います。 返信
内田かずひろさん コメントありがとうございます!! 伊丹十三さん演じた父の大人になりきれてなさ=口唇期という目線で見ると、納得できるところがぐっと増えますね。 伊丹さんの発案による演技かもしれないと! そういう逸話もあのころの映画の楽しさですね。 「野獣死すべし」についての内田さんの恥ずかしい思い出とはなんでしょうね? 語りきれないくらいとは! 返信
“「家族ゲーム」「野獣死すべし」” への7件のフィードバック
もちろんその時は、肩を落とし死人の様にひっそりと歩きます。
コメント、細切れですみません。
内田かずひろさん
「野獣死すべし」リアルタイムで鑑賞されてた方のお話嬉しいです。
野獣死すべしファッション!
ギンガムチェックのシャツや、眼鏡についたチェーン。
なんたってカジノでの最初の発砲シーン、くるぶしの見えるパンツにスニーカー姿がかっこよかったです。新しい殺人者像だなって。
街で服装かぶるほどの大ブームだったのですね。
爆笑太田さんやくりぃむ上田さんも、台詞をそらで言えると競い合ってたのを見ました。あの難解な詩とかまで覚えたとはすごいですね。
貴重なコメントありがとうございます!
ロダンのココロにもいつも癒されております。
コメント欄にての感想で失礼します。
上京して来たばかりの頃は、野獣死すべしファッションで名曲喫茶に通っていました。黒板に書くリクエスト曲は映画の中で使われていた『ショパンのピアノ協奏曲 第一番』のみでした。
当然一人で行って、テーブルの上で手を組んで、その雰囲気に浸っていました。
『野獣死すべし』は高校生の頃から、始めから最後までセリフを全部言える位何度も観て、似ている服も買い揃えたりしたのですが、上京して来て自分と全く同じ様な赤の他人に何人か出会いました。
あれは松田優作さんだからカッコイイんですね…その赤の他人の振る舞いを見る度に自分の中で「僕もこんななのか…」とスーッと引いていくものがありました。
『家族ゲーム』では松田優作さん演じる吉本が、唯一の大人という設定でした。
伊丹十三さんは精神分析に興味を持って『モノンクル』という雑誌の編集長も務められたこともあり、映画の中でも大人になりきれてない象徴として、フロイトが唱えた「口唇期」を目玉焼きの黄身をチューチューしたり、お風呂(母体)の中で牛乳(母乳)パックをチューチューする行為で象徴しています。それらはおそらく伊丹十三さんの発案なよるものだと思います。
『野獣死すべし』については語り切れない位、高校生位からの
今となっては恥ずかしい思い出が沢山あります。
内田かずひろさん
コメントありがとうございます!!
伊丹十三さん演じた父の大人になりきれてなさ=口唇期という目線で見ると、納得できるところがぐっと増えますね。
伊丹さんの発案による演技かもしれないと!
そういう逸話もあのころの映画の楽しさですね。
「野獣死すべし」についての内田さんの恥ずかしい思い出とはなんでしょうね?
語りきれないくらいとは!