「家族ゲーム」「野獣死すべし」

昨日は松田優作さんの映画を2本見ました。

夜には優作さんの最初の奥様・松田美智子さんによる優作さん記をKindleで購入。
作品を見れば見るほど知りたくなるし、読めば読むほどやはり惹かれていく方です。

「家族ゲーム」は何度も見たのですが、最後に見てから20年は経ってるかもしれません。
宮藤官九郎さんがラジオ「ACTION」でよく家族ゲームの話題を出されるのでたまらなく見たくなり、このたびやっと視聴。
「梨泰院クラス」のグンウォン役の方が似てたというのも、優作さん熱が高まったゆえんと言えます。

「家族ゲーム」の監督は森田芳光さん。
1980年代のあのころ、日本映画って独特のわけのわからなさがあって。
自分が幼いからわからないんだと思う一方、それなりに吸収するのが「映画を楽しむ」こととも思ってた。
金曜ロードショーなどでも女性の裸映像はするっと流されるし、「なんかわかんないけど観た経験」、それを積み重ねることで自分の成長としたかった。
理解したいという背伸びの気持ちを沸き起こさせるのが80年代の映画だった気がします。
特に森田監督の映画は、「音楽がない」「セリフがない」「一見わけがわからない」という引き算みたいな仕掛けがかっこいいというか楽しい。映画を楽しんでる!と感じさせてくれる。

「家族ゲーム」は一応、受験・核家族・都市型生活がテーマなのかな。
そうはいっても、この映画にそれらを真面目に捉える気がないことはわかる。
大体、優作さん演じる家庭教師の吉本が三流大学7年生。
息子を一流高校に行かせたがる父・伊丹十三さんが、なんで・どういう経緯で吉本を引っ張ってきたのかがまず謎。
「この人選間違えたね」と思っちゃうとこがもうワクワクします。

「野獣死すべし」もそうなのですが、松田優作さんの役における性的曖昧さが時代を先取りしてるように感じたのです。
「家族ゲーム」では女が好きそうなのはわかる。
茂之(宮川一朗太さん)のエロ本を持って帰っちゃうし、阿木燿子さんとのキスも「食事より断然好き」と思わせる激しさ。美人を見かければ適当に話しかけるし。
でも、茂之の隣に初めて家庭教師として座ったときのあまりにも密着。
「かわいいね」と囁いたり、頰にキスも。
伊丹十三さんと2人きりになれば、漂うものはなぜか危なげな色気。

「野獣死すべし」では、女性への関心をダイレクトに示すことはありませんでした。
クラシックコンサートで隣の席になった小林麻美さんとの偶然が重なるうちに想いを寄せられ、優作さん演じる伊達が手を握られるシーンがありましたが、伊達が女性を意識した顔をしたのはあそこ1回だけの気がする。
最近見た「JOKER」や「タクシードライバー」では、主人公が女性にフられたことで犯罪への決意を固めますが、「野獣死すべし」では逆に好意を持たれることで伊達の過激さに拍車がかかるという、そこにすごく珍しさを感じました。
松田優作さんはいわゆる「男!」としてのお姿が魅力的な方とずっと思ってましたが、性別がどうとかとっくに突き抜けてたんだな。
この曖昧さこそが本来の人間らしさかもしれない。

「家族ゲーム」の見どころの一つが由紀さおりさん演じる母親役ですが(ものすごい色っぽくて素敵)、松田優作さんは由紀さんにもこんな距離感。


(U-NEXTオープニングページより)

優作さんは全般「危険」なんですよね。
身長は180以上だし大柄。こんな男前からのこんな距離感。
その先にあるのが性なのか暴力なのか、見てる側からもわかりません。
距離を取りたくなるのは、油断したら吸い込まれそうな気もするから。
この男に吸い込まれたら人生どうなるかわからない。けどその先を見てみたい気もする。危険!!

宮川一朗太さんがまた、ただの中学生じゃないです。相当生意気。
吉本を「危険」と感じるセンサーが未発達なのか、それとも吉本を何者とも思わないとこが茂之の潜在的な優秀さなのかやっぱ愚かさなのか。
ただ相性はよかったらしい。
松田優作さんが勉学指導してるように一個も見えなかったけど、茂之のやる気スイッチは探り当てたようで。(喧嘩の指導は熱心だった)

兄・慎一は、優秀な西武高に進学して親を喜ばせることができたものの、進学後は気が抜けてしまったようで学校も休みがち。
部屋でいつも何やってるかというと、なんとタロットを展開してるんですよ!!
机の端には「タロット大全」みたいな本が数冊積まれてるし、部屋の壁にはホロスコープチャートがでかでか貼られてる!占い師目指してるのか!?

誰もここに言及しませんが、ただ吉本もバカにすることはない。
しかし伊丹十三さんはさらなる将来を見据えるよう発破をかける。
とは言え、ろくに家族と向き合ってない、自分のことしか考えてないというあの時代典型的な父親です。
外見的な優良さばかりをいつも息子や妻に求めといて、「目玉焼きをチューチューしてる俺」を何年も一緒にいてどうしてわからない!?チューチューできる固さに仕上げろ!と激怒。
由紀さんは大抵「気がつきませんでした…気をつけます…」ってお上品に耐えるけど、さすがに「チューチューって…」とドン引きの目をしてた。
けど由紀さん演じる母親も、「息子が落ちこぼれになったらどうしよう」とか、息子の成績落ちたら「私が怒られるのよ」って息子に嘆く。やっぱ体面が大事。夫を立てているようで、夫の表面しか見てないのです。
そういう家族の風景を吉本は見てるのか見てないのか一見わからない。
でも確実に感じ取ってるでしょうね。

茂之は幼なじみからのいじめも乗り越え、持て余してたような精神の自由さも「勉強」という軌道に乗せることができ、なんだかんだ優秀志望校に合格。
吉本も熱心に沼田家に通い続けましたが、お母さんが運んできてくれるお茶とケーキだけが唯一の楽しみっぽかったな。いつも一気に飲み干すけど、あの下品さもまた色気でした。
でも伊丹さんから破格の金額提示があったので、お金が絡めばちゃんとやる男だったのかもしれない。
結局ちゃんと教えてたのか教えてなかったかはわかりません。想像に委ねられてる感じ。

そんで有名なシーンが、茂之合格祝いの沼田家+吉本の横並び食事風景。
あれはTVではカットされたということですが、あのわけのわからなさにはゾクゾクします。
昭和の名シーン10選とかに入るんじゃないでしょうか。
合格祝いなのに、吉本は最後にすべてをぶち壊して帰っていく。
あんなに何事も無関心な男、さらっと沼田家を去っていくのが吉本っぽいんじゃないの?と思うのに、「ぶち壊す」という能動性は何ゆえか。
この「なんで!?」って今でも尾を引くところがこの映画の永遠のおもしろさなんだろうな。

ラストのヘリコプター音も謎すぎていろんな解釈があります。
ゲームオーバーを告げているとか、いろいろ。
私が思ったのはマンションの防音性の高さ、つまり「窓を閉めれば自分たちとは別世界」という遮断性が、あの時代の人間の変化として浮き彫りにされてるのかなということ。

戸川純さんが沼田家を訪ねてきて、自分の病気の父がもし死んだら棺桶はどうやって下ろせばいいでしょう?エレベーターに入りません…狭いマンションじゃ盛大に見送ってやれない…と泣く。
由紀さんが「子どもが帰ってきましたので…」と言うと、「自分の家のことだけじゃなく、他人の家のことも心配してください!」と号泣。
巨大マンションに誰もが住みたいのだとしても、人間らしい部分はばっさり切り落とされるのだから、それでいいと思ってる奴だけが住む場所なのだ…というメッセージ?なんてね。
大体、吉本は満員電車に揺られることもなく、船で沼田家にやってくる男。
最初から最後まで時代性とかけ離れた存在。時代になんて沿わないほうがいつでもかっこいいってメッセージがもしあるのだとして、松田優作さんはぴったりなのです。

予告編では優作さんを「ジョーカー」と言ってますね。なるほど!優作さんがジョーカーとして沼田家にもたらしたもの…それはなんかとても大きい。

 

ここからさらに「野獣死すべし」について話すと超長くなりますがね。
この映画、というか優作さん演じる伊達はもう「狂ってる」
主人公の狂気ががっつり描かれた映画はどうしてこんなにおもしろいんだろう。
「おもしろい」と言うことすらはばかられる描写は無数にあるけども。ただ、伊達の狂気は戦地での経験と結びついてるので、「ああ、それで…」とわかってからは伊達の狂気への恐れが少し薄らぐ。
それくらいの悲しさが後半びっしり描かれます。

もう全部変わってますよね。
人に銃を向けまくる伊達は、東大出身の超エリートで金持ち。リッチな一人暮らしの29歳。
おしゃれだし、クラシック聴いてる時は品がある。だから小林麻美さんが一目惚れするんだけど。
小林麻美さんがまた美しいです!!
伊達という男は、まさか人を殺すとは誰も想像しないような華奢さ・知性・一見弱々しさ。
でも内側に秘められた狂気はヤバイのです。
最初っから優作さんは狂ってましたが、その狂気に歯止めがかからずどんどん狂っていくという。
そしてその原因はやはり戦地でしたか…というやるせなさ。どこに怒りを向けたらいいんでしょう。

ただ、相当無口だった伊達は、鹿賀丈史さん演じる相棒を見つけてから割と饒舌になり、語る言葉が多いとちょっと正常に見えてくるから不思議です。言ってることはまじヤバイ。
後半はたっぷり劇団舞台のようでした。優作さん主人公の戦記舞台。狂気のピーク。でも悲しさのピークでもある。

松田優作さんの表現に、どんなでもいいから触れたいという欲が刺激され・満たされる一本と言えます。
かっこいい。スタイルだけじゃなく、顔も。あの目に、お鼻。
目は一重だったけど二重整形手術をしたと、松田美智子さんは著書で明かされてました。
この本がまた美しい恋愛小説のようなのです。
優作さんはやっぱりそういう男性でしたか!!という感動でなかなか本を閉じられません。
本を読み終えたらまた優作さんのことを語りたくなりそうです。

“「家族ゲーム」「野獣死すべし」” への 7 件のフィードバック

    1. 内田かずひろさん

      「野獣死すべし」リアルタイムで鑑賞されてた方のお話嬉しいです。

      野獣死すべしファッション!
      ギンガムチェックのシャツや、眼鏡についたチェーン。
      なんたってカジノでの最初の発砲シーン、くるぶしの見えるパンツにスニーカー姿がかっこよかったです。新しい殺人者像だなって。
      街で服装かぶるほどの大ブームだったのですね。
      爆笑太田さんやくりぃむ上田さんも、台詞をそらで言えると競い合ってたのを見ました。あの難解な詩とかまで覚えたとはすごいですね。

      貴重なコメントありがとうございます!
      ロダンのココロにもいつも癒されております。
      コメント欄にての感想で失礼します。

  1. 上京して来たばかりの頃は、野獣死すべしファッションで名曲喫茶に通っていました。黒板に書くリクエスト曲は映画の中で使われていた『ショパンのピアノ協奏曲 第一番』のみでした。
    当然一人で行って、テーブルの上で手を組んで、その雰囲気に浸っていました。

  2. 『野獣死すべし』は高校生の頃から、始めから最後までセリフを全部言える位何度も観て、似ている服も買い揃えたりしたのですが、上京して来て自分と全く同じ様な赤の他人に何人か出会いました。
    あれは松田優作さんだからカッコイイんですね…その赤の他人の振る舞いを見る度に自分の中で「僕もこんななのか…」とスーッと引いていくものがありました。

  3. 『家族ゲーム』では松田優作さん演じる吉本が、唯一の大人という設定でした。
    伊丹十三さんは精神分析に興味を持って『モノンクル』という雑誌の編集長も務められたこともあり、映画の中でも大人になりきれてない象徴として、フロイトが唱えた「口唇期」を目玉焼きの黄身をチューチューしたり、お風呂(母体)の中で牛乳(母乳)パックをチューチューする行為で象徴しています。それらはおそらく伊丹十三さんの発案なよるものだと思います。

    1. 『野獣死すべし』については語り切れない位、高校生位からの
      今となっては恥ずかしい思い出が沢山あります。

      1. 内田かずひろさん

        コメントありがとうございます!!
        伊丹十三さん演じた父の大人になりきれてなさ=口唇期という目線で見ると、納得できるところがぐっと増えますね。
        伊丹さんの発案による演技かもしれないと!
        そういう逸話もあのころの映画の楽しさですね。
        「野獣死すべし」についての内田さんの恥ずかしい思い出とはなんでしょうね?
        語りきれないくらいとは!

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