ホロスコープってどう役立てればいいんだろうということは、この数年ずっと考えてることではあります。
私はここのところ、日々の月の運行も気にかけなくなってしまった。
そういえば新月・満月か、くらいなもので、予定が入れば少しはボイドを気にする程度。
スマホに入ってるカレンダーが天体の移動も表示されるので、サインの移動はチェックします。
ただ、チェックするときって大抵、生活や心身になんらか起きてるときで、そのゆえんをたどるべく星を見ている感じ。
プログレス月は1ヶ月に1度進行するので、それはサビアンメッセージまで毎回気にかけてますね。
芸能人の星をチェックすることが激減しました。
太陽サインで「っぽいな〜」と思うくらい。
前は演技でグッと来た俳優がいると、そのゆえんをホロスコープから見出そうとしてましたが、もう全部年齢のせいと思うけど好奇心が薄れてるんですよね。
前は、「自分の熱意は誰かに届くはず」みたいな熱さがブログを書くモチベーションだった。
自分で「書き切った」と手応え感じる記事を書くと、鑑定依頼が舞い込んだりして、私の表現って本当に誰かに見てもらってるんだな…と感動しますよね・・
私にとって「星」「占星術」が生活に密着するほど重要なものではなくなってます。
星を見たからって何かが解決するわけじゃなく、誰かの気持ちを攻略できるわけでもなく、先々の不穏な運勢を回避できるわけじゃない。
15年、占星術に関わってつくづく感じたことです。
そりゃ人によっては、鑑定によっていろんな悩みを解決したり成就に導いたりする技術をお持ちかも知れません。
私は人の何かを解決するなんてことはできないと、あるときはっきり思いました。
鑑定内容で多いのは、やっぱり仕事でしたね。
過去の自分はできたのに、今の自分は頑張り方がわからなくなった。
もっと結果を出さないととわかってるのに、出せなくて苦しい。
やりがいを感じられる職場へ転職したい。
あと恋愛・結婚。
周りみんな結婚してるのに自分には出会いがない。
どうしたら色気が出るのか。
〇〇歳までに結婚・出産したい。
人が悩みを抱えるのは、「社会的に自分はこうあるべき」という太陽系の自分と、「社会がどうあれ自分は自分」という月系の自分に葛藤があるからじゃないかと、ホロスコープを多く見てきて思ったことです。
そこに葛藤がない人・折り合えてる人というのもいるとは思います。
堺雅人さんは前にラジオで、「自分の中に葛藤とかない(人生で一度もないから葛藤がわからない)」と言っていた。
そんで思わず堺さんのホロスコープを見てみたわけですが、まぁ役者さんってありえない役を演じるので、「普通じゃなさ」を存分に表現することで満たされるのでしょうね。
特に男性はことさら「いい人でいなくちゃ」「美しくなくちゃ」とかそんなに思わないだろうし。
今は男性も生きにくい社会とはいえ、女性はさらに閉塞感を増してるように感じる。
しかも冥王星がずっと山羊座にあったので、この15年は「普通」「まとも」「コンプラ」とかのプレッシャーにさらされまくった人は多いでしょう。
ただ、ホロスコープが面白いのはその「葛藤」と思うのです。
鑑定ではその人の「葛藤部分」を探って、「だから苦しいのか」というのを言語化するようにしています。
これまで何度も見ている自分のホロですが、「みんなと足並みそろえて役立つ社会人でありたい」蟹太陽土星+乙女金星系と、「おもしろくドラマチックに生きたい」獅子月+双子水星系が常にせめぎ合ってるんだなと、ストレス感じたときに思い返すようにしています。
ドラマチックさが「無難さ」に押し込まれるというのは、もう本当つまんないですよ。
ただ、ここで牡牛火星からヒントがもたらされる。
「創作してみてはどうだろう?」と。
部屋でPCたたくのは双子水星の得意技だし、部屋で地味に過ごすのは蟹のお家芸。
「表現」をすることで、それを人の目に触れさせる。
これは獅子系の承認欲求が満たされます。
私の月は火星とスクエアなので、「磨きをかける」ことに邁進しようとする。
それはストレスにもなるんだけど、ストレスってドラマチックなんですよね。
長らく自分を不幸・面倒引き受け体質と思ってましたけど、大仰に生きてる感を得るためになんだかんだ自分らしい方法をとってんだなと。
まぁ、そう頭で思ってみても「くそー」という報われなさを獅子月は感じるわけですが、月さえ黙らせれば、なんだかんだ恵まれた環境で平和に生きてることに「十分じゃないか」と思えてくるわけで。
それに、獅子月は群れるのが嫌い。
寂しがり屋だけど、複数人と無難な会話で気を遣い合うのはもっと苦手。
というわけで、「自分のどの部分が不満を訴えてるのか?」という箇所をホロスコープで探り当てられれば、自分にとってまぁまぁ有益と言えるんじゃないかなと思ったりします。
また、私の獅子月が暴走すると蟹の太陽と土星が社会的なダメージを負うわけで。
その月を監視するのは私の場合スクエアの牡牛火星ですが、ぐっとブレーキかけるストレスはなぜか「悲しみ」に変換され、これはこれでドラマチックですが、いったん落ち込むとドラマとか言ってられないほどつらくなる。
なので、「ダメージを自分で自分に与えない」というのが私の人生目標として、そういう内側の目標を打ち立てるためにホロを見るのもいいんじゃないでしょうかね。
私は「いつ〇〇できるか?」という鑑定はお断りしてるというか、できないのです。
私自身、「あなたは20××年までに必ず出会いがあって結婚する」と言われたことも何度もあります。
高いお金を払って実績のある(らしい)占い師に見てもらったこともありますが、「いつ〇〇」というのが当たった試しがない。
「あの占い師の言ったとおり30で出産した!」という友人もいましたが、私はきっと期待が大き過ぎたんだと思う。
「期待」と「当たる確率」は反比例するんじゃないかと本気で思ってますね。
地震も「〇日が危ない!」と鑑定されたものって大抵外れてるし。
振り返ったときに「確かにホロスコープどおり」と思うことはたくさんあるけど、とにかく占いに期待は大敵です。
「結婚できそうですよ」と占ったところで、人をいっとき落ち着かせるだけにすぎず、「未だしてないんだけど…」という事態を人のせいになどできないのです。
私は自分で〇〇占いの結果を読む側としても、期待を抱かせる占いを避けてます。
雑誌の週間占いとか、「いい出会いがあるはず」なんてよく書けるなと思う。
出会いがありそうな星回りというのはわかるけど、木星が7室に入ったから「今年は結婚のチャンス!とか、乱暴すぎやしませんかと。
でも統計学的に見れば、本当に7室木星とかN太陽T木星同室で結婚した人が多いのかもしれない。
というわけで、私は今後あまり星に関することを書かなくなっていくかもしれませんが、過去の記事などで楽しんでもらえるだけで、こちらとしては嬉しいかぎりです。
時々、星に対しての熱量がぐわっと高まるので、そんなときに勢いで書けたらなと思います。