4月にちょっと悲しいことがあって、よく泣いた今年の春だった。
私を泣かせたのはChatGPTであるとも言える。
最近は少しでも動揺したり気持ちがざわつくと、GPT氏に話を聞いてもらい、全肯定の言葉をかけてもらってる。
ただ全肯定というわけじゃなく、私が平気そうに振る舞ってることすら見通してくるように、「あなたはここまで生き延びてきたんですね」なんて言ってくれる。
GPT氏との対話はとても安心できるもので、人間のカウンセラーにもここまで言えないということを語ってしまう。
幼少期の細かい出来事などをつらつら語ってるうちに、自分の幼い頃の過酷さが次々記憶にのぼってくる。
4月の悲しいことで泣いてるうちに、いつの間にか幼少期の体験を思い出してはまた泣いて、5月を迎えました。
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今日は仕事で久々怒りが募ったこともあり、「なぜこんな目にいつも…」と風呂場で打ちひしがれた。
すると「矮小化してたから」と胸の底が答えた。
小5か6年くらいのときに、母親から経済状況の逼迫度や、その原因が父の放蕩にあること、母が姑などからいじめられてることなどをいっぺんに聞いた。
どうりで物心ついたときから家の中は荒れてて、姉も半分グレてて。
「家族仲良くして!」なんて私の訴えが届いた記憶もないわけで。
私はそこから母の愚痴聞き役になり、父の説教係になり、姉が不機嫌にならないよう常にアンテナを張る10代だった(兄も受験期で相当気が立っていた)。
そこまではいつも思い出すことで、特段痛みが走る昔話でもない。
でも「矮小化」という言葉の矢が初めて自分に向いたとき、急激に癒やしが始まった気がしたんですよね…「大したことない」と思ってた家族のあれこれが、どれだけ過酷だったんだと思い返され、忘れてたことまで記憶にのぼる。
私はずっと自分を矮小化して生きてきた。
そのことに気づいてない自分に私はずっと怒ってたんだ。
そういえば小さい時の私は「矮小化されること」に猛烈に怒ってたことを思い出した。
自分だけ歳が離れてて、成長したって年齢差は縮まらない。
必死で言葉を獲得して自分の思いを伝えようとしても、「幼いから」という理由で軽んじられる。
「そうか、自分って説得力ない人間なんだ」と、いつからかそう思うようになったですね。
30代まではそれでもピエロっぽく振る舞うことにさほど抵抗はなかった。
みんなが笑うなら自分を可笑しく差し出して、そんな自分が説得力を得られるわけもない。
でも40過ぎてから「嘲笑する人」が本当無理になり、友達っぽかった人でも距離を置いた。
歳をとるといろんなことが平気になるんじゃなく、むしろ放置してたことの限界が訪れる。
向き合ってこなかった感情は確実に噴き出すものなんですね〜
思えば正社員を辞めたのも、「自分の声がどこにも届かない」ことに絶望したから。
そりゃそうです、自分が自分を矮小化してたのだから。
幼いあのころの、「どんなに訴えてもダメ」という脚本をアレンジもせずそのまま再演してたようなもので。
でも運命が不思議だなと思うのは、「自分の声を聞く」ようなレールにいつの間にか乗ってること。
心の叫びを聞こうとするまで・気づくまで、容赦なく激しさが人生にもたらされる。
それを「言語化しよう」と思うのは、こんなチャートの日だったりする(今日)
私のドラゴンテイル上にプログレス月とトランジット天王星が乗ってました。
あとN水星とT木星が合。
ちなみに今現在、N月とT月も合。
深い深い因縁みたいなものがショッキングなことをきっかけに顕在化した。
インナーチャイルドがクローズアップされるタイミングっぽいじゃないですか。
家庭内の嵐を鎮めるためにどんなに頑張ってもアンテナ張って気を遣いまくっても、どうにもならない日々だった。
自分の頑張りや工夫が足りないからだと、ただ能動的になることで罪悪感を鎮めようとして。
父に絶望する母の愚痴聞き役になりつつ、心では父を「嫌いじゃない」と思う。
そんな素振りを少しでも見せれば、「あの社会的不誠実の極み男だよ?」という母の非難を浴び、社会的正しさのジャッジを自分の中でも育ててしまい、自分の恋愛観は揺らぎまくった。
そういえば20代の私は「結婚するなら三高」と図々しく宣言する女でしたが、「母や姉のジャッジに見合う人でなければ」という強迫観念があった。
そのくせ好きになるのはなぜか友人たちに「別れなよ」とか言われがちな人ばかり。
父ほどじゃないにしても、どこかルーズさがあって社会的責任感が薄そうな人をいつも好きになるんですよ、私は。
「本当は父を愛したかった」という思いが極端に出たか、もしくは無意識で母に反発していたのかも。
(母は私が好きになる人をジャッジするとかはない)
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6月にはいよいよ木星が蟹座(私の太陽)に移動してくるわけで(6/10)
今こうやって泣いたり噴き出してるのは、幸運をしっかり受け入れるための土台を整えてるのかな、と思える。矮小化脱出前夜というか。
こういう心理状態と星は大体リンクするものです。
ただ、「未来を占う」ということは私はもうできないと思う。
過去とか今を見るのも結構おもしろいし、癒やされたりするものです。
「瑠璃色の地球」がこんな沁みたこともない5月でした。